それからいかにもお嬢様大学なのに女子トイレに「お願いだからトイレで煙草を吸うのはやめましょう」という趣旨の、当局がほとほと困っているという感じのにじみ出た哀願調の張り紙がたくさんあったことだ。 私はフェミニストなので、女の癖に煙草吸うなとは口が裂けてもいえないが、JJから抜け出したようなファッションの女子大生がトイレで吸う図を想像するとはっきりいって同性としてあまりにも陰惨な感じがする。隠れてしなきゃならないようなことならやめようね) 口が裂けなくても「いかにもお嬢様大学なのに」と言っているではないか。大阪女学院大学はほとんど全面禁煙だから、トイレで吸わざるをえないのだよ。隠れてしなきゃならないことじゃなくて、喫煙所を激しく限定する大学が悪いのだ。女子学生は、私のように、禁煙でも吸うという闘争姿勢をとれないだけ。低学歴層では女の喫煙率も高いのだ。 (それにしてもアジア法学会は土・日だったの
前から私に絡んでいる奴。廣川和花。大阪大学文学研究科日本史学専攻博士二年(*)。さて、 「そもそも煙草は自分が好きで吸っていて、やめようと思えばやめられるんだから、 人種・性別・出自・病気とか、不可抗力の属性に基づく差別と同列には論じられないはずです。それゆえ両者が「ほぼ同質」の差別を受けているなどというのは妄言としか言いようがありません。」 いつか誰かがこういうことを言うだろうと思って隠し玉をとっておいたのだ。では「同性愛」(私の用語では「同性志向」)は不可抗力の属性か? しばしば同性愛解放運動家はそうだと主張する。だが実際にはそうではない同性愛もある。バイセクシュアルだった者が自ら同性志向を選び取ることもある。自ら選び取った同性志向者は差別してもいいのか? 実はこの論理は、嫌煙家の作家・三浦俊彦に教えられたものだ。 もっともそれだけではない。屠畜業者、刑吏なども差別を受けることがある。
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