日本国憲法の草案作りに関わり、昨年末に89歳で死去したベアテ・シロタ・ゴードン女史は、他国に憲法を押し付けるという行為に心の痛みを感じていなかった。 当時22歳で、米国籍を取得したばかりのシロタは、子供のころウクライナ出身ユダヤ人の両親とともに東京に住んでいたため日本語が話せるという理由でGHQ(連合国軍総司令部)民政局のスタッフに採用され、なぜか憲法起草メンバーに選ばれた。 著書『1945年のクリスマス-日本国憲法に「男女平等」を書いた女性の自伝』によると、シロタは「日本人というのは、本質的に封建民族」「人権という概念を話しても通じない」と見下し、民政局長のコートニー・ホイットニーから、軍事力を使ってでも憲法を押し付け日本が作ったことにするんだと訓示されて「そんなことは十分あり得る状況に、当時の日本は置かれていた」と思い上がっていた。 憲法について「ハイスクールの社会科で習った程度の知識