会社にはストレスや面倒なこと、冷たい人間関係とイヤなことがいっぱいあるけれど、これがあるとよくなるかも。 既報の通り(というのは大げさだ)我がギャラリーにutte文庫をオープンした。現在70冊くらいの蔵書はすべて個人寄贈。寄進者は4名くらいで、それぞれ個性がある。 cherryさんの寄贈の自転車の“蛮ちゃんの本”のことは昨日書いた。中村さん(三和印刷=ギャラリーのあるビルの印刷会社)寄贈の『火の鳥』も全巻完読。さて次は何読もうかな…と手にしたのが『ツレがうつになりまして』。中村さんの寄贈。 漫画家細川貂々の夫がうつになった実話を、おもしろくしかも切実に描いた漫画エッセイ。うつの人はこうなんだ、こんなことができない、こうしてほしくないのか…ズシンときた。明日は我が身かと身につまされたが、なぜcherryさんが「ごうさんは絶対にうつにならない」と言ったのかもわかった(ちゃらんぽらんでテキトーだ
被災地支援のぐるっとブレスレットワークショップで預かったお金の寄付先を決めた。被災地支援団体aoSORAnt(あおぞらん)さん。 「レストランの料理をシェフと共に被災地に届けて、食の魅力を知らせ、コミュニケーションを促進する」「関東と関西でチャリティーイベントを開く」ミッションにぐっときた。さっそく寄付をしたいのですが…とメッセージを送ると、代表のAOさんからすぐ返信あり。引用させて頂きます(一部省略)。 本団体は「最低10年」を掲げてはおりますが、被災地に足を運ぶたびに「本当に10年で足りるのだろうか…」という不安に駆られます。 いずれ経済的な復興を果たすとしても、そうした合理性の網では救いきれない方々は必ず出てくるでしょう。 「どうせ自分たちは忘れられたんだ」と話すひとたちに対して、「そんなことはない」と胸を張って言い続けるためにも、私たちはまだまだ全力で、精一杯、私たちなりの支援活動
あなたは“ちゃんと写真家”ですか?それとも“衝動写真家”?ぼくはまぎれもなく衝動オンリーそれだけ(^^) スタイルよし姿勢よし背中の汗よし(^^)。衝動的にiPhoneの指を滑らせた。うふん。タイトルは「真夏の背中美人」。そんな衝動写真家が今日はちゃんと写真家の助手を務めた。 ギャラリーのショーウィンドウで、9月の展示会“アジアのチクチク小物たち”のブツ撮り。Dukriさんとcherryさんと、ランプシェードや時計や布をとっかえひっかえ。写真家cherryさんのスタイリングや撮影術の講習会でもある。ぼくは…レフ版持ち(^^;)。そんなの…と言うなかれ、レフ板は効果絶大。 我がiPhone4で固定焦点での撮影。レフ板を支えるだけで… 明るくなって「布の表情」まで見えてきた。レフ板と言ってもハレパネですから誰でも作れる。望遠で絞りを5以下にして手前をはっきり後ろをぼやかす…と言われたができなく
一般論では語れない。個人差もある。だが見聞きするのはツラい話ばかり。それはSE、システムズ•エンジニアの仕事ぶりである。 愚娘がそれになるとは就職するまで半信半疑だったが、1年たち2年が過ぎようとしている。遂にというかやっぱりというか、根を上げてきた。まだぺえぺえで単体とか結合テストとか言っているくらいだから下積みも下積み。そんなんで根をあげるか、と小言のひとつも言うのが親の役目かもしれないが…言えん。 まず親が言うのもナニだが、この愚娘は意外に出来がいい。遠くの学校でもへこたれずに通学したし、ITの資格も取ってきたし、会社が某巨人ITに買収されリストラされるかと思えば残った組だ。だが同期入社はほぼ壊滅し、所属プロジェクトからも刃こぼれするように人が消えてゆく。 そういえば、ぼくの前の勤め先のIT部門にも心身病がいっぱいいた。休職者もいたし、死ぬように辞めた人もいた。といっても繰り返しにな
「百聞は一見に如かず」の英訳はSeeing is Believingだが、違う表現もある。「A picture’s worth a thousand words(1枚の絵は1000語に匹敵する)」それを知ったのはInstagramとTwitterの喧嘩?である。 写真共有コミュニティのInstagramが、Twitterとの連携を止める。Instagramの画像がTwitterのストリームでは文字しか表示されない“らしい”。らしいというのは、ぼくはTwitterは公式アプリは見ないので、よくわからん。でもHootsuiteでは見えていた。 諍いのワケは、Instagramは今やFacebook傘下にあり、Twitterと競争しているからだろう。勝手におし。ぼくが興味を抱いたのはそれじゃない。みんなの「画像表現欲」についてなのだ。 iPhoneとSNSのおかげで写真で語る人びとが増えた。14
「ぼくのは背伸びするオクラかな」 この意味が何かわかるまい。わらなくていい。自分に正直サークル(フェイスブックの非公開グループ)に書き込んだコメントである。このサークルでは自分の好きなこと・画像を自由に投稿ができる。次の画像は手ぬるいぞ…(笑) この中で新入りの会員がつぶやいた。 あぁ、自分に正直になりたい。。。 すると「正直に投稿しちゃえば楽ですよ^^」「正直すぎるくらいに正直な方がより多くの賞賛を集めるという画期的なグループですから遠慮なく正直になってください」とツッコミが入り、「ここでやっと正直になれました\(^o^)/他では、嘘つきかな」とつぶやきもあり、グループの管理人が「やっぱここ作って良かったね~(^O^)/」と締める。 なんという正直者愛!(笑)投稿はスケベなものとは限らないが、スケベなものが多いのは否めない。吾輩は投稿数でたぶんトップクラス。このサークルではスケベな仮面を
仕事場のある秋葉原を歩くと中国人が減っている。観光バスから降りて免税店に群がり、写真を撮る人びとがめっきり減った。逆もまた然りで、全日空の中国便は過去3ヶ月で往復4万席がキャンセルだとか。 昨日からの国連総会では、尖閣諸島・釣魚島・竹島・独島を巡って「オレんち」「オマエが奪った」とやりあっちょる。しかし冷静に見れば、中国の反日デモは「中国当局が仕組んだ」ものである。中国人アーティストのai weiwei氏もそう指摘していた。同感ですたい。 この扇情的な画像はai weiwei氏のドキュメンタリー映画『Never Sorry』より。天安門への“クソったれ”、実に力強いメッセージがある。彼はアートと政治の間で表現活動をするが、それは民主化が遠い国にいるからだ。 思えば今回の領土問題、年寄りの日本人タカ派政治家が火を点けたけれど、その前からずっとくすぶっていた。始まったタイミングに意味がある。中
毎朝何人かの子連れ自転車のお母さんと擦れ違う。何気なく観察すると乗せる子供を守るぞ、育てるぞという責任感に溢れている。それは頼もしい。 一方で失ったものもある。それは女としての現役感。可愛らしさが減り、すっかり「お母さん顔」なのだ。おばさん化が忍び寄っているのだ。もちろん男性も同じで、脂こいとかタイコ腹という外見だけでなく、どう見てもオサーンという人は三十代でも多い。 ところが奇跡的にオバサン化・オジサン化をまぬがれる人びともいる。たとえば森高千里。 2012年9月2日、西武VSロッテ戦、始球式の姿。43才。結婚して子育てしてるのにこんなにかわいい。「わたしが♪おばさんになっても」愛したい(^^。 ミック・ジャガー(念のため左からふたり目)は69才。二十代の体型、皺だらけだけど若顔、フサフサ髪…。もちろんエクササイズはしているし、あらゆる有酸素トレーニングをしている。夜更かしせず夜11時に
東京新聞の記事『増える書店ゼロの町』(町のどこにもリアルの本屋がないという町が増えている)と、藤村厚夫さんのアップデート『iBookstore のランキング上位はアダルト小説ばかり』(読んで字のとごし)が気になった。 一日一店の割合で本屋が潰れているからさもありなん。それはネットのせいだけではなく、本屋の仕入れ力が失われた自滅もある。 ネットでエロと漫画しか売れないのは、車内でスマフォ観察をすればハハンだし、ぼくだってエロは好きだ。でもぼくのは「女子美術愛好」で、胸を張って言うが、女子の仕草や造形や表情の美を探求している。愛している。単なるエロは変態だが、美の本質の追求なのである。 と言い訳はともかく、cherryさんとぼくの最近の趣味は「古典読み」である。 cherryさんは電子リーダー『kobo』を購入して、ぼくはiPhoneアプリ『i文庫S』を購入して以来、青空文庫にハマっている。
ぼくは「自分が」になったときモヤモヤする。心が狭くなっている。ねたみや嫉妬がでている。気がつくと文章も「論」を書いている。エエイぼくらしくないぞ。 そんなときはひとっ風呂浴びるか、まだその時間じゃなければ神社にお参りする。「心に平静さをください」とお祈りして、木々をじっと見上げて深呼吸。すると不思議に気持ちが落ち着いてくる。 「自分が」が小さくなり「自分は」になってゆく感じ。 「が」と「は」のたった一文字違いだが大違い。それを教えてくれたのは寺社ガール1号の平岡理枝さんである。「どうして自分が認められないのか」と「どうして自分は認められないのか」はちがう。自我が出るから苦しいのよ、と彼女は言う。 「自分が」と思うと「君にはぼくの文はわからないよ」とスネて自分を苦しめる。「自分は」と思えば「なぜわかってくれないんだろう?」「どう書けばわかってくれるんだろう?」と心を開ける。前向きにチェンジで
体が疲れたときは体を休めればよい。心が疲れたときは癒せばよい。それをする「どこか」をもっていればよい。 今朝は体の疲れが出てつらかった。瞼の裏を見るだけの二度寝か三度寝をして、気合いという名のジャッキで体を持ち上げて、ようやく家を出た。仕事場についてギャラリーの開場準備をすると、お客さんがやってきた。よおしファイト一発!リポビタンDを飲んだのだが、ファイトの代わりに眠気が出て、cherryさんがやってきた後、しばらく午睡をとった。 起きた後は頭痛も小さくなり、チラシづくりなど手だけ使う仕事をした。「帰ってください郷さん」とcherryさんは言った。 「いやこの暑さじゃバターになるし、早退しても家で邪魔扱いだから…」 がんばってここで仕事をしていた方が、いくらかは休まるのだ。そういう性分でもある。 そうこうするうちにギラギラの暑さは和らいで、日暮れてきた。いとおしい影の時間が近づいている。す
中小企業のAという会社があった。傍目からA社の社員は不幸だ。辞めた人もいるし、辞めなくても社長の悪口を言うばかりなのだ。 社員は口々に「社長が決めない、やらない、決めてもすぐに意見を変える」と。中には“妄想癖”とさえ言う社員もいた。実際のところはどうかわからないが、社長は無能なわけではない。資金調達に才があり、夢は語れるし事業構想力もある。だが現場マネジメントに弱みがある。 彼には片腕がいた。片腕は逆に実務能力に優れ、構想を実現する才があった。社長とふたりのセットは、まさにクルマの両輪のようだった。だが悲しいことに、片腕も現場マネジメントには興味が薄いようだった。夢を実現する事業の立ち上げに最大の力を発揮するタイプだった。 社長と片腕は社員に意見を聴く。時に語り合う。だが社外の人の意見に左右され、決定したことをくつがえすこともあった。次第に意見を言う人は限られていった。 A社では前輪(経営
フェイスブックのグループのお誘いが来た。 『自分に正直なグループ』というのを作りましたのでご参加ください。 どういうのか。「ぼくはスケベです」「オレも」「あたしも(女性)」と自分に正直な書き込みができるクラブだ。「ここでのことは他言は無用、バレたら命の保証はしません」というので、ぼくは明日、抹殺されているかもしれない。しかしまあこのサークル、正直というよりスケベなだけかと(笑)。 クラブ員たちの盛大な「正直ぼくスケベ」の盛り上がりを見て、ふと思った。「正直である」ってどういうことなんだろう? 【正直って何?】 まず、ここの書き込みのように「自分をさらけだす」ことである。 「実はぼくはこんなヤツなんだ。それでもいい?」ぼくも人知れず相当スケベだし、心の中には小心者もいるし、アホウもいるし、うっかりはひどいし、嫉妬も隠れている。仮面をかぶり続けて演技者で生きるより、さらけだして肩の力を抜いて生
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