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  • ますます静かに・安全になっていく社会は人間を自由にするか - シロクマの屑籠

    anond.hatelabo.jp リンク先の文章には、近隣の公園の喧騒に過敏になり、クレームをつけるに至った人の体験談が丁寧に記されている。いつものようにはてなブックマークにはたくさんのコメントが集まっていて、さまざまな意見、見解、感想が入り混じっている。 コメントのなかには、筆者の体験を病的であるとみなし精神科病院に行くよう勧めるもの、逆に精神科病院に行くよう勧めることが問題の個人化を促し、環境の改善がおざなりになってしまうのを懸念する声も見受けられた。なるほど。とても現代的だ。ここでは、近隣での騒ぎ声についての悩みが医療化されていると同時に、行政にクレームをつけることで改善を期待するさまが読み取れる。どちらも昭和時代以前には稀なソリューションだったに違いない。 昭和時代だったらどんなソリューションになっただろうか。 決まっている。「コラー!」である。 「子供が公園で自由に騒げた時代」

    ますます静かに・安全になっていく社会は人間を自由にするか - シロクマの屑籠
    SasakiTakahiro
    SasakiTakahiro 2023/06/09
    "人間の場合もそうだが、政治や経済の理論の場合も、人気がないときは目立たなかった間違いや欠陥も、勢力が増すと表面化する。" スチュアート・ミル『自由論』。
  • 時代は「自分のアタマで考えるな」だと思う - シロクマの屑籠

    今の世の中、自分のアタマで考えないほうが良いターンになっていると思いませんか。 犬も歩けばフェイクに当たる これはアウト。 物理的にありえない水の動き、現実的ではない家の配置、画質と画像サイズ。AIが作成した写真です。 熊地震の際にライオンが逃げたとフェイクニュースを流した人と同様で、災害時に不安を煽るデマを流している。通報しました。 なお、ライオンの件投稿した男性は後に逮捕されています https://t.co/WRRKb1xrWy— なかむらすばる🌻紅楼夢【き03-b】 (@subaru_chen) 2022年9月26日 先日、静岡県の水害のフェイク画像がツイッター上に流された。ある者はそれを物と思って拡散し、別の者はフェイクだと疑って拡散を思いとどまったり、疑問の声をあげたりした。自分のタイムラインではこれに引っかかる人はいなかったように見えたけれど、皆が皆、引っかからずに済ん

    時代は「自分のアタマで考えるな」だと思う - シロクマの屑籠
    SasakiTakahiro
    SasakiTakahiro 2022/09/27
    インターネット上で「自分のアタマで考えよう」って言葉が適用できる時代は遠くなった。
  • そろそろ「東京らしいこと」をしたい - シロクマの屑籠

    なぜ東京人は書く必要のない細かい地名をイチイチ書くのか はてな匿名ダイアリーに「なぜ東京人は(中目黒、などの)細かい地名を言うのか」という文章がアップロードされているのを見かけて*1、シンプルに、ああ、東京行きてぇなぁと思った。ずいぶん長いこと、東京に遊びに行っていない。 こんな風に思ったのは、つい先日、帰宅の途中でスーツケースを持った男女にすれ違ったからでもある。この、うら若いカップルは春の小鳥がさえずるように、「なんか、東京らしいことしようね」「うん、東京らしいことしよう」と言い交わしていたのだった。うんうん、東京らしいことしたいよね。 東京首都圏に住んでいる人にとっての「東京らしさ」がどんなものなのかはわからない。けれども地方に住んでいて東京をつまみいしたいと願う者にも、それ相応の「東京らしさ」「東京らしいこと」ってのはあるように思う。東京が住むのに良い街かはわからないが、地方から

    そろそろ「東京らしいこと」をしたい - シロクマの屑籠
    SasakiTakahiro
    SasakiTakahiro 2022/04/04
    東京行きてぇなぁ。
  • そうだ「ヤンキー的なもの」は規範だったのだった。 - シロクマの屑籠

    ゆうべ、twitterをぼんやり眺めていた時に、哲学者の千葉雅也さんの何気ないツイートが流れてきた。今日は、そこから色々と考えさせられたことをログとして残しておきたい。 学校をサボって昼に出かけていた、だがヤンキーではない、というのが僕にはわからないんだよなあ。学校をサボるなんて1ミリ秒も考えたことがなかった。— 千葉雅也『ツイッター哲学』発売 (@masayachiba) 2021年4月21日 僕はこういうティーンエイジを過ごしたので、人なんて放っておいても逸脱するのだから、逸脱を許すようなことをわざと言う必要はなく、まずいことの制約、禁止を言うことこそ大事だ、というのにはぜんぜん、わずかも共感できない。あの頃の僕は、逸脱を許可する言葉を切実に必要としていた。— 千葉雅也『ツイッター哲学』発売 (@masayachiba) 2021年4月21日 「学校をサボって昼に出かけていた、だがヤン

    そうだ「ヤンキー的なもの」は規範だったのだった。 - シロクマの屑籠
    SasakiTakahiro
    SasakiTakahiro 2021/04/24
    地方の規範が変わった。そして地方は貧乏になった。
  • 解呪と供養のためにシン・エヴァンゲリオンを観に行く - シロクマの屑籠

    『シン・エヴァンゲリオン劇場版』予告・改【公式】 公開情報と延期情報が行ったり来たりしていたシン・エヴァンゲリオン劇場版の日がとうとう近づいてきた。 シン・ヱヴァンゲリヲンではなくシン・エヴァンゲリオン。 10年ほど前は、こういうカタカナの違いを云々する30代のオタク古参兵みたいな人が仰山いたような気がするが、それも記憶の彼方となった。アマゾンプライムやテレビ波で『新劇場版ヱヴァンゲリヲン』の過去三作が公開され、SNSで話題になることもあったけど、もう、カタカナの違いにこだわって大きな声をあげるような人は稀だ。エヴァンゲリオンを一生懸命に語ること、それも、90年代や00年代のようにエヴァンゲリオンを語ることはとても難しくなっている。 なんか大人の人めっちゃエヴァ好きですよねwって言われて死にたい— こじま (@801_CHAN) 2021年3月5日 801ちゃんはこんな風に言うのけど、俺

    解呪と供養のためにシン・エヴァンゲリオンを観に行く - シロクマの屑籠
    SasakiTakahiro
    SasakiTakahiro 2021/03/07
    思春期の終わらない宿題。
  • オタク中年化問題 in 2021 - シロクマの屑籠

    私のライフワークのひとつは、オタクの社会適応について考えることでした。今でも「キモオタ」といった言葉が残っているとおり、かつてオタクは、社会不適応の象徴のように語られていました。 実際問題として、世間のほとんどの人が関心を寄せない子ども向けアニメやら特殊機械やらに時間・お金・アテンションなどを集中させれば集中させるほど、そのオタクは世間からズレていってしまいます。もともと性格的に世間からズレている人が、世間をまったく顧みず、あらゆるリソースを自分の趣味領域になげうてば、社会不適応者のような姿になったり、コミュニケーションの技能がぜんぜん身につかないまま年を取っていくことはあり得たでしょう。たとえそうすることで、どうにか生きていけたのだとしても。 ところで、オタクっていつまでも続けていられるものなのでしょうか。 思春期にアニメにハマった・徹夜でオンラインゲームを遊びぬいた・夏と冬には頑張って

    オタク中年化問題 in 2021 - シロクマの屑籠
    SasakiTakahiro
    SasakiTakahiro 2021/01/15
    人は変わる。時代は変わる。
  • 『「育ちがいい人」だけが知っていること』が売れる社会に逃げ場なし - シロクマの屑籠

    「育ちがいい」とトクして「育ちが悪い」と損をする、この社会の現実(熊代 亨) | 現代ビジネス | 講談社(1/5) リンク先の文章は、マナー書『「育ちがいい人」だけが知っていること』が30万部を売り上げるに至った現状を踏まえて、いまどきの不平等、いまどきの格差について記したものだ。 「育ちがいい人」だけが知っていること 作者:諏内 えみ発売日: 2020/02/20メディア: Kindle版 「育ちの良さ」とみなされ、実際、生育環境をとおして親世代から子世代へと世襲されるマナーや礼儀作法にもとづいた所作のひとつひとつが、いまどきの複雑化した能力主義(ハイパーメリトクラシー)のもとでは、逐一点検される。 たとえば就活生や婚活希望者は、そのことをあらかじめ知ったうえで就活や婚活に臨むから、自分自身の振る舞いを点検し、マナーや礼儀作法にかなった振る舞いをしようとする。「育ち」が良く、もともと礼

    『「育ちがいい人」だけが知っていること』が売れる社会に逃げ場なし - シロクマの屑籠
    SasakiTakahiro
    SasakiTakahiro 2020/10/02
    なにもかも優れた若者がいる一方で、なにもかもを持たない・持てない世界も遍在している。
  • 独りで生きて、独りで死ねる未来ができてほしい - シロクマの屑籠

    孤独死を弔い続ける神主が危ぶむ「強烈な孤立」 | 災害・事件・裁判 | 東洋経済オンライン | 経済ニュースの新基準 先日、世間では孤独死が増えている、もう既に問題だ、と提起する記事を東洋経済オンラインでみかけた。孤独に死ぬことを凄絶とみなし、また、死後の片づけの問題にも触れている。もう既に問題なのは、指摘のとおりだろう。 一方、ここ最近のスマートメディアの発展・普及や、新型コロナウイルス感染症に際して片鱗のうかがわれた健康をモニタリングする統治可能性をみるに、孤独死への対策は不可能ではないというか、将来は大っぴらに行われ、案外うまくいきそうな気がしてきた。 孤独死に関しては、まあ、AIかなんかを駆使した安価な見守りサービス(スマートウォッチかスマホと連動してバイタル観測しておいて、生体反応が一定時間消えたら自動でセンターに連絡が行く)が普及したらそれで終わりじゃないかという気が。いまさら

    独りで生きて、独りで死ねる未来ができてほしい - シロクマの屑籠
    SasakiTakahiro
    SasakiTakahiro 2020/09/26
    独りで死んでも黒いしみを床につくらなくて済むような住まい。
  • 「まともな人間の条件」と、そこからはみ出す自分自身について - シロクマの屑籠

    健康的で清潔で、道徳的な秩序ある社会に潜伏しています。 - 犬だって言いたいことがあるのだ。 はてなブログで付き合いの長かったいぬじんさんから、『健康的で清潔で、道徳的な秩序ある社会』についてお便りをいただきました。ありがとうございます。せっかくなので、前半章(1.)と後半章(2.)に分かれたreplyをお届けしています。 1.いぬじんさんは、拙著の前半章をご覧になって、こんな風に評しておられました。 シロクマ先生は書の中で、この国の「健康的で清潔で、道徳的な秩序ある社会」のあり方について疑問を投げかけるだけでなく、精神科医としてのご自身の立場に対してさえも疑いのまなざしを向けている。 たとえば、こんな感じだ。 資主義・個人主義・社会契約が徹底していく社会、どこまでも清潔で健康で道徳的になりゆく社会、秩序と社会適応の同心円へあらゆる人を包み込む社会から逃れることは困難になった。家庭でも

    「まともな人間の条件」と、そこからはみ出す自分自身について - シロクマの屑籠
    SasakiTakahiro
    SasakiTakahiro 2020/06/20
    「まともな人間の条件」の外側も含めての人間存在。
  • テレビがまとめサイトに見える - シロクマの屑籠

    ゴールデンアワーのバラエティ番組が、周回遅れの「話題の動画」を放送していた。NHKの、それよりは若干真面目そうな番組が、twitterのネタをテレビっぽく切り取って放送しているのも見かける。テレビで動画やtwitterの切り貼りをみると、なんだかまとめサイトみたいだな、と思えてしまう瞬間がある。いやいや、かかっている金額や放送される帯域の広さを考えれば、それはまとめサイトと同列のものではないのだけれども。 かつて、志村けんは素人の投稿したホームビデオをテレビコンテンツとして成功した。当時はもちろんインターネットが普及していなかったから、志村けんのあの番組、あの企画にはオリジナリティがあった。今はそうでなく、まず素人が投稿したコンテンツがインターネットにあって、そこで人気を獲得した上澄みが、テレビ番組に紹介される。 テレビテレビであってネットではなかったはず。 それでもテレビが「まるでネッ

    テレビがまとめサイトに見える - シロクマの屑籠
    SasakiTakahiro
    SasakiTakahiro 2020/06/17
    スポンサーもそのことを支持しているのやもしれない。
  • 「釣りの終焉」と「フェイクの時代」 - シロクマの屑籠

    インターネットスラングに「釣り」というものがあった。たとえば00年代の2ちゃんねるでは、「釣り」「釣り乙」という言葉がしばしば用いられた。釣りを釣りだと理解していることは、ちょっとしたネットのリテラシーだったものだ。昔の2ちゃんねるの管理人が言っていた、「ウソをウソだと見抜ける人でないと(インターネットは)難しい」という言葉が支持されていた時代でもあった。 はてなダイアリー(現はてなブログ)やはてなブックマークでもそれは同じで、「釣り記事」「釣りエントリ」といった言葉が並んでいたものである。わざと突っ込みどころのあるブログ記事を書いたり、たくさんの人の反応を集めるための仕掛けをほどこされたブログ記事などに、そうした言葉があてがわれていた。「大きな釣り針」「錆びた釣り針」といった派生語を用いている人もいた。人は大真面目にブログ記事を書いたつもりが、「釣り」扱いされて、憤慨している人もいた。

    「釣りの終焉」と「フェイクの時代」 - シロクマの屑籠
    SasakiTakahiro
    SasakiTakahiro 2020/06/03
    「ウソをウソだと見抜ける人でないと(インターネットは)難しい」の終焉。
  • 親が教師のかわりに教えることと、親子のソーシャルディスタンス - シロクマの屑籠

    今が人生でいちばんハッピーなんじゃ。|こゆるぎさん|note リンク先のnoteには、在宅勤務になって子どもと過ごす時間が増え、コミュニケーションがたくさんできるようになった喜びが記されている。こうした在宅勤務がなくなって元の勤務体制が戻ってくるのか、それとも在宅勤務が一般化していくのかは、わからない。でも、学校はもうじき再開されるだろうから、こんな風に親子が一緒に過ごす時間は稀になっていくのかもしれない。 私は在宅勤務ではないので、子どもと一緒に過ごす時間が圧倒的に増えたわけではなかった。それでも、学校や習い事が休みになり、外出や出張も減ったおかげで子どもと過ごす時間はだいぶ増えたと思う。 学校や習い事や出張が減って再認識したのだけど、現代の(核)家族は、普段、一緒に住んでいても時間や空間をあまり共有していないんだなと気づいた。寝泊りするのは同じ家でも、別々の時間割、別々のスケジュールに

    親が教師のかわりに教えることと、親子のソーシャルディスタンス - シロクマの屑籠
    SasakiTakahiro
    SasakiTakahiro 2020/05/25
    身内が身内を診るのは非常に難しい。
  • 昭和の日、繊細になりゆく令和の秩序について考える - シロクマの屑籠

    今日は昭和の日だが、最近、私のツイッタータイムラインには昭和時代の漫画表現のおおらかさ、フリーダムさに驚いている投稿がよく飛び込んでくる。 48年前の少年ジャンプに載ってた『漫画ドリフターズ』を読んでたんだけど、最高に表現が自由すぎる。 pic.twitter.com/ir2bbk4uB4— hisabilly (@x_hisabilly_x) 2020年4月27日 『あらしのエース』という恐ろしい漫画が流行っているようなので、皆さんには是非とも6巻の途中までは曲者揃いのメンバーがアメフトに青春を燃やす『5ヤーダー』を読んで欲しいですね。一癖も二癖もある少年たちの青春模様が爽やかかつ熱く描かれるとても良いスポーツ漫画です。6巻の途中までは。 pic.twitter.com/rR0tngnnUl— スーパーセクシーアカウント (@1gho) 2020年4月26日 自粛の最中だから漫画を読む人

    昭和の日、繊細になりゆく令和の秩序について考える - シロクマの屑籠
    SasakiTakahiro
    SasakiTakahiro 2020/04/30
    繊細な社会秩序の行き先は。
  • ノイズを避けるコミュニケーション──言葉も、においも、ウイルスも - シロクマの屑籠

    人間どうしのコミュニケーションは不潔でなるべく避けるべきという規範が定着してほしい— 正しさ (@verygoodreality) 2020年4月14日 少し前、たぶん新型コロナウイルス感染症でソーシャルディスタンスが求められている状況を踏まえた、皮肉めいたツイートを発見した。いや、当は皮肉ではないのかもしれないが私には判断がつかない。 というのも、私には、現在の日人のコミュニケーションの規範がこれに近いものに思われてならないからだ。 望ましいコミュニケーションと呼ばれるものの正体 現代人はしばしば、コミュニケーションを良いものとみなし、ディスコミュニケーションを悪いものとみなしている。そのうえで「コミュニケーションは良いこと」「コミュニケーションで繋がるのは望ましいこと」などと言ったりしているが、現代人がいうコミュニケーションとは、どういうものか。 たとえばコンビニのレジでの会話。

    ノイズを避けるコミュニケーション──言葉も、においも、ウイルスも - シロクマの屑籠
    SasakiTakahiro
    SasakiTakahiro 2020/04/22
    思わず伝わってしまうかもしれない何かまで遮断してしまい、伝わらなくなってしまう、ある種の可能性の狭さをはらんでいるようにも思う。
  • 最近、東日本大震災後のネットの教訓を思い出す。 - シロクマの屑籠

    東日大震災から9年目の今年、久しぶりに東日大震災のことを強く思い出している。 思い出している理由は、新型コロナウイルス感染症が流行し、ネットの内外を騒がせているからだろう。ブログを書き続けている私にとって、東日大震災はオフラインでの大災害であると同時に、さまざまなアカウントの言動が動揺しまくったオンライン空間の狂騒でもあった。 今、オンライン空間で起こっていることはあの時に似ている。 東日大震災の時もそうだったけれど、社会に不安が蔓延している状況下でこそ、私たちの心の底にあるもの、私たちの地力が問われることになる。よくネット上では「承認欲求に駆られた暴走」が問題視されるけれども、個人的には、「不安に駆られた暴走」のほうが性質が悪いと思っている。不安と承認欲求が掛け合わさった暴走はいっそうヤバい。どんな言動をしてしまうか、わかったものじゃない。 不安は、私たちの言動をぐらつかせ、間違

    最近、東日本大震災後のネットの教訓を思い出す。 - シロクマの屑籠
    SasakiTakahiro
    SasakiTakahiro 2020/03/13
    私たちはインターネットに繋がり続けるこの日常を生きていかなければならない。
  • ヒカキンを眺めていたら軽躁だらけの社会が恐くなった - シロクマの屑籠

    【フォートナイト】ライトセーバーでついにビクトリーロイヤル!?【ヒカキンゲームズ】【スターウォーズ】 先日、いろいろあってヒカキンのゲーム実況を久しぶりに眺めた。ヒカキンがフォートナイトを実況するさまは、滑らかで、楽しそうで、ゲーム内容をきちんと紹介もしていてとても良かった。 ゲーム実況中のヒカキンは、テンションが高い。 大げさに笑い、大げさに驚き、よく喋り、ポジティブだ。口調にもよどみがない。 そのおかげで視聴しやすい、というのはあるだろう。 でもこれって、まるで軽躁状態じゃないか? 軽躁状態とは、双極性障害などの精神疾患でしばしばみられる、ハイテンションな精神状態だ。上機嫌で、頭の回転が速くなって、心身が好調だと感じることの多い反面、この軽躁状態の最中に迂闊な決定をしてしまい、金銭トラブルや人間関係のトラブルなどを起こす人も多い。だから精神医療の現場では軽躁状態はハイリスクな状態のひと

    ヒカキンを眺めていたら軽躁だらけの社会が恐くなった - シロクマの屑籠
    SasakiTakahiro
    SasakiTakahiro 2020/02/03
    メディアはハイテンションの花園。
  • 「不快な奴をブロックして構わない」社会と「アライさん」界隈 - シロクマの屑籠

    個人の幸福は「お金」ではなく「不快なやつは全員ブロック」で実現される。 | Books&Apps 上掲リンク先は賛否両論のありそうな内容だが、読んで自分の考えを練るのに向いていると思う。これを読み、2019年にtwitter上で湧き出した匿名の「アライさん」界隈のことを私は思い出した。 「アライさん」界隈とは、2019年の春ごろにtwitter上に無数に現れた、「○○なアライさん」を名乗る匿名アカウント群だ。アニメ『けものフレンズ』に登場する、ちょっと不器用なアライさんというキャラのアイコンや語り口を借りている。 ねとらぼの紹介記事では、アライさんを以下のように記している。 ・借金の返済に苦しむアライさん ・ギャンブルがやめられないアライさん ・大学を中退したアライさん ・薬物依存のアライさん ・性風俗店で働くアライさん etc... Twitterにおけるアライさん界隈(かいわい)は、と

    「不快な奴をブロックして構わない」社会と「アライさん」界隈 - シロクマの屑籠
    SasakiTakahiro
    SasakiTakahiro 2020/01/10
    気に入らない相手や不快な相手を敬遠する自由があると同時に、他人に選ばれなければならず、他人に不快がられないよう努力しなければならない社会。
  • 「ブロガーが次々に言及する」文化の衰退と、はてなブックマークの変容 - シロクマの屑籠

    2020年1月6日、はてな匿名ダイアリーに「無知なお前らに最高のゲームを教えてやる(据置編)」というエントリが投稿され、それに触発されて何人かが「自分にとって最高のゲーム」をまとめる出来事があった。 じゃあ私も「最高のゲーム」を挙げてみる - シロクマの屑籠 90年代から10年代までお世話になったゲームたち! 明けまして俺の年代別最高のゲーム 20/01/07: 不倒城 個人的最高のゲーム(1980年代編) - novtanの日常 同じ話題に次々にブログ記事の投稿が連鎖したのがなんだか懐かしくて、嬉しかった。2000年代のブログ界隈ではこういうことが頻繁にあって、誰かが書いたブログ記事に次々にブロガーが言及して盛り上がったものだ。 ひとつの話題にブロガーが次々に言及し、ひとまとまりの議論や、複数名からなる広い視野をかたちづくるのは、当時のブログ界隈のカルチャーだったと思う。 しかし2010

    「ブロガーが次々に言及する」文化の衰退と、はてなブックマークの変容 - シロクマの屑籠
    SasakiTakahiro
    SasakiTakahiro 2020/01/10
    アーキテクチャが変われば、メッセージも、意識も変わる。
  • 「自分の市場価値」がついてまわる社会と、その疎外 - シロクマの屑籠

    「自分の市場価値を測ってみませんか」ってメールがドコモから届きやがったよ。自分の市場価値を測ってみませんかってキャリアからメールが届くんだぜ、すげえ世の中だな— p_shirokuma(熊代亨) (@twit_shirokuma) 2019年12月2日 この手のメールを受け取ったことは、一度や二度ではない。けれども今回、携帯キャリア会社からこのメールが届いたことにはちょっと驚いた。さんざん使っているPCのメアドに届くなら理解できるし、珍しくないことなのだけど、ほとんど使っていない携帯キャリアのメアドに「自分の市場価値を測ってみませんか」が届くということは……全国のあらゆる人間にこんなメールが送られているのだろうか。 人間の市場価値とは、どういうものか。 お金をどれだけ稼げるか、どれだけ人気者か、どれだけ他人に好ましい影響を与えられるか、等々によって現代人は他人を値踏みし、と同時に値踏みされ

    「自分の市場価値」がついてまわる社会と、その疎外 - シロクマの屑籠
  • 「いかがだったでしょうか」さん、今しか書けないこと、書いてますか。 - シロクマの屑籠

    インターネットを誰もが利用するようになって、ブログやSNSや動画でいろんな人が情報発信するようになった。文章を、フレーズを、コンテンツを配信するようになった。それはそれで結構なことだと思う。 さて、二十年ほどインターネットに文章を書き続けていると、気づかされることがある。 それは、「その年の自分には書けても、5年後の自分には決して書けない文章がある」ということだ。 たとえば、私は2006年にこんなことをブログ記事に書いている。 これから式場の下見に行ってきますが - シロクマの屑籠 とはいえ結婚などという難儀な選択肢を選ぶことも、結局は漏れ出る諸執着に由来するわけで、その限りにおいて落胆や絶望の萌芽から逃げきれません。一方、僕は自分が凡庸な人間である、少なくとも凡庸な人間とそう変わらない行動遺伝学的特徴を持った雄であると推定しているので、凡庸な人生の諸先輩が創りあげてきた世間智から大きく外

    「いかがだったでしょうか」さん、今しか書けないこと、書いてますか。 - シロクマの屑籠
    SasakiTakahiro
    SasakiTakahiro 2019/09/10
    「今しか書けないこと」が自分史になる。