ブックマーク / finalvent.cocolog-nifty.com (17)

  • 普通の人が年齢とともに考えることはだいたい同じ: 極東ブログ

    世の中には一定数の割合で、他人の心が読めると思っている人々がいる。「お前がなに考えているかわかる」とか、「お前の心はこうだろ」とかいう人々もそのくち。 ネットにもけっこういる。いても別段不思議ではない。それだけは問題でもない。問題は、その人々が読んだと思っている他人の心とやらが、読まれたとされる側ではちっとも納得いかないことが多いことだ。普通なら、「おまえはこう思っているのだろ」と言うのに対して、「いや、そんなこと考えてないですよ」と言えば、それでちょっと考え直してもらえるものだが、この手の人々は、そういう返答を認めないのだ。というか、なにもかも抗弁というか、心が読まれた弁解とかにされちゃう。あー、なんなんだろこの手の人々。 とはいえ、普通に世の中を渡っていくには、ある程度、他人の心を読まなくてはならないものだ。むしろ、僕みたいに、他人の心というのがよく理解できなし、そもそも理解する気

  • 「再配分連盟」と「合理的な無関心」: 極東ブログ

    古い話題だとばかり思っていたが、「再配分連盟」と「合理的な無関心」は意外と今後の日政治に重要な視点かもしれないと思い直したので、少し補足的に書いてみよう。話の元はピーター・タスカ『JAPAN2020 不機嫌な時代』(参照)である。 「再配分連盟」とはなにか 「再配分連盟」は、ごく簡単に言えば、利権集団と言ってもよいだろう。ただし、ややこしくなるが、学術概念でもあるので、もう少し丁寧に見てみたい。 「再配分連盟」は"redistributional coalition"の訳語だが、訳語としてこなれているとも思えない。定訳語なのかもしれないが、この概念を提出したマンサー・オルソン(Mancur Olson, Jr.)の、邦訳書『国家興亡論―「集合行為論」からみた盛衰の科学』(参照)のオリジナル"The Rise and Decline of Nations"をネット上のリソースで検索すると

  • 現下の中国の反日暴動と尖閣問題についてメモ: 極東ブログ

    現下の中国についてどうなんですか、ブログ書かないんですかと問われて、まあ、それほど予想外のことはないし、実は予想していることは別にあるんだけど書くと物騒なんで、どうしようかなと思っていたけど、ちょっと概要的な部分をメモしておきますか。 まず、今回の中国の反日暴動の原因なのだけど、これはいうまでもなく政治的な裏がある。こんなのは陰謀論とか部類にも入らないイロハな話だけど、問題はどういう政治的な構図なのかというより、どういう具体的な力学というのが、まだはっきり見えない。 構図については大ざっぱに言えば、このところ勢力を固めて院政が敷けるかと思っていた胡錦濤と共青団へのバックラッシュであり、太子党や軍、地方勢力といった個別利権の政治勢力との対立がある。ではどういうふうに対立しているか。 この部分についても存外に単純で、中国共産党第18回大会で、現行9名の政治局常務委員を共青団に有利な7名体制にす

  • 心のボットネットについて: 極東ブログ

    「心のボットネット」ということを、このところ考える。私が考えた概念だけど、きっと他にも考えている人は、そういう言葉ではないにせよ、いるんじゃないかと思う。これがわかると、たぶん、ネットの世界の見方が変わるんじゃないかと思う。いやそんな大したことじゃない、かもしれないけど。 ちなみに、まんまでグーグルで検索したら「"心のボットネット"との一致はありません。」とか言われた。へえ。 まあ、一度わかってしまえば難しい術語ではないんだけど、じゃあ、説明してよと言われると、できそうにもないので、黙っていた。こっそりいうと、そういう自分が作った自分だけの概念みたいのが私にはいくつかあって、これはたぶん、狂気への道なんだろうなと思う。 「心のボットネット」を説明するためには、前提となる「ボットネット」を説明しないといけない。うへぇ。 いや、そうなんだ、ほんと、ウエーならぬ、ここは敵地だ、うへぇな感じ。 で

    SavingThrow
    SavingThrow 2012/05/23
    "特定利益の集団の暗黙の規約が、寂しい寂しい私たち群れたい多数の人々に正義のふりしてマインドウイルスを埋め込むのだろう。寂しい寂しい私たち群れたい受け皿みたいな欲望が解体できればいいけどむずかしい。"
  • [書評]意識は傍観者である: 脳の知られざる営み(デイヴィッド・イーグルマン): 極東ブログ

    デカルトの「我思う故に我あり」は通常、「思考している自分は存在している」と理解される。「自分という意識は確実に存在している」というわけである。当たり前ではないかと思うかもしれない。残念でした。「自分という意識」は脳機能の処理結果であって、それ自体で存在しているわけではない。あなたには自由意志なんてない。あなたの意識や自由意志は脳のプロセスの、ただの傍観者なのである。 冗談のようだがこの話は脳科学を学んだ人には常識の部類である。なにかをしようと意識するよりも身体のほうが先に動くことは実験科学的にわかっているからだ。座っていて「ちょっと立ち上がろうかな」という自由な意識は、実際には立ち上がろうとする身体の神経反応の後から生じている。生理学者ベンジャミン・リベット(Benjamin Libet)が1980年代に明らかにした(参照)。身体運動についての自由意識と思われているものは、身体意識の承認の

  • 政治は何のために存在するか?と愚問して陳腐な結論に至る: 極東ブログ

    政治は何のために存在するか? 自明のように思えるので、あらためて問うと愚問のようだが、そのことが実際には世界で日で、各所で問われている時代なのではないかと思う。 政治は何のために存在するか、という問いは、政治とは何かという問いとは微妙に異なっている。政治とは何か、というのであれば、まずその語感から、"government"と"politics"の二面が想起される。 "government"であれば、"governance"つまり「統治・支配」のあり方が問われる。これを日国憲法のように広義に"control"(制御)と考えてもよいのかもしれない。"politics"であれば、そのまま「政治学」ともなりうるが、支配の含みもあり、支配力の関係が問われることになる。それは政策でもあるが党略とも言えるし、つまるところ政争であれ権力闘争であるとも言える。二面に共通なのは、「権力」のあり方が問われる

  • ドラッカーが21世紀のグローバル化について語ったこと: 極東ブログ

    人はピーター・ドラッカー(Peter Ferdinand Drucker)の経営論が好きで、意外な分野――戦前さながらの旭日旗はためく高校野球とか――にも応用したいとまで考えるようだが、彼の晩年の思想はあまり顧みられていないようだ。日の戦後の成功を理論的に支援したドラッカーではあるが、そしてそれゆえに懐かしの旋律として今も老人から、また老人のように保守化した若者世代にも好まれるのだろうが、彼自身はその後もずっと世界の変化をその第一線から見つめ続けていた。 ドラッカーは21世紀におけるグローバル化のなかで、日の産業をどのように見ていただろうか。失敗と見ていた。保護主義によって衰退したメキシコ経済と日の現状を並べて「明日を支配するもの」(参照)でこう語っている。 同じように日も、金利の減免等によりいつかの産業を輸出産業として育てる一方で、多くの産業を外国の競争から守ってきた。この政

    SavingThrow
    SavingThrow 2011/11/17
    "企業、大学、病院のいずれにせよ、世界のどこかのリーダー的な組織が設定する事実上の基準に達しないかぎり、成功することはもちろん、生き残ることもおぼつかない。...そのことへの初期反応として保護主義の増大"
  • オスロ事件の印象: 極東ブログ

    もうさほどニュースにも上らなくなったオスロ事件だが、あれはなんだったのだろうか。亡くなられた方を哀悼したい。 私が当初連想したのは三菱重工爆破事件とテルアビブ空港乱射事件だった。菅首相の世代の日人が引き起こした事件と言ってよいのではないか。日人もやりそうな事件だなとまず思った。 英米圏はどう受け止めているのだろうか。渦中、いくつかニュースにあたってみると、彼らはオクラホマシティ連邦政府ビル爆破事件を連想しているようだった。ティモシー・マクベイがよく引き合いに出されていた。なるほど、類似点はある。 その後、容疑者がインターネットにアップロードしたとされる1500ページもの文書にユナボマーの引用があるというのも話題になあり、その線の話や、また「ターナー日記(The Turner Diaries)」を引いた論評なども見かけた。なんとか、この事件を物語り的に理解したいということなのだろう。 日

  • ムラディッチ被告逮捕で問われる「ジャスティス」: 極東ブログ

    26日、セルビアのタディチ大統領は、ラトコ・ムラディッチ(Ratko Mladic)被告(69)が拘束・逮捕されたとして、首都ベオグラードで緊急記者会見を開いた(参照)。ムラディッチ被告は、ボスニア・ヘルツェゴビナ内戦(1992-95)のセルビア人武装勢力の司令官で、その間のサラエボ包囲と1995年のスレブレニツァでのイスラム教徒8000人虐殺を指揮したとして国際法廷に起訴されていた。 ムラディッチ被告はオランダ・ハーグの旧ユーゴ国際戦犯法廷(ICTY: International Criminal Tribunal for the former Yugoslavia)で、同セルビアのカラジッチ元大統領とともに裁かれる。5年前、同法廷公判中に死亡したユーゴスラビアのミロシェビッチ元大統領を含め、ようやくお尋ね者の3人が揃ったことになる。 英米圏では、この事態を「ジャスティス(Justice

  • 米国はエジプトをどう見ていたか、なぜ失政したのか: 極東ブログ

    エジプトの暴動を反米のスジで読みたい人がいても別段かまわないが、あまりに予想通りの筋書きを目にすると萎えてくるものだ。背景を少し補足しておいたほうがよいのかもしれない。 今回のエジプトの暴動は時系列的にはチュニジアの暴動の飛び火と見るしかないが、エジプトでいずれ問題が起きることは予見されていた。問題はすでに昨年の時点にあったからだ。 この手の問題に敏感なワシントンポストは昨年11月5日の社説「Egypt's Mr. Mubarak moves to lawless repression」(参照)でエジプトの問題をこう描写していた。 Now, with a parliamentary election approaching, the regime's political repression has grown more rather than less severe. Hundreds

  • [書評]グーグル秘録(ケン・オーレッタ): 極東ブログ

    グーグル秘録(ケン・オーレッタ)」(参照)、オリジナルタイトル「Googled: The End of the World As We Know It 」(参照)は、すごいだった。すごい内容が描かれていた。どのくらいすごいのか? それは、大地の揺らぎと鳥と蛇の群れ、そして一機の飛行機で始まる。レニー・ブルースなら驚かないけど、台風の目の中にいる自分はどんだけ動揺してるんだ。君の都合なんか気にもかけずに、世界は自分勝手に動き出している。世界は終わりだってことを僕らは知っている。でも、いい感じ。 そのとおり。1987年、R.E.M.の曲、"It's The End Of The World As We Know It"(参照・YouTube)である。 It's the end of the world as we know it. It's the end of the world as

    SavingThrow
    SavingThrow 2010/07/28
    "ただ、人びとのドラマが歴史を作り、動かしていく事実だけを人間の肉声を通して描いていく。とても人間臭く。シリコンバレー版十八史略のように。"
  • [書評]タングラム・パズルの本 Tangram Puzzles: 500 Tricky Shapes to Confound & Astound(Chris Crawford): 極東ブログ

    [書評]タングラム・パズルの Tangram Puzzles: 500 Tricky Shapes to Confound & Astound(Chris Crawford) 10歳くらいの子供にちょっと気の利いたプレゼントをするかなという機会があり、アート的な写真集や絵がよいだろうか、知的なパズルなんかもよいかなと、いろいろ考えて、タングラム・パズル「Tangram Puzzles: 500 Tricky Shapes to Confound & Astound(Chris Crawford)」(参照)を選んだ。日のアマゾンから購入できたのだが、現在でも「通常2~3週間以内に発送します」とあり、米国に発注するのではないだろうか。私の場合も、2週間ほどで届いた。 タングラムとはなにかだが、このの表紙を見ると、皆さん、ああ、あれかとピンとくるだろう。そうあれです。正方形を7つのピー

  • [書評]これからの「正義」の話をしよう いまを生き延びるための哲学(マイケル・サンデル): 極東ブログ

    「これからの「正義」の話をしよう いまを生き延びるための哲学(マイケル・サンデル)」(参照)をアマゾンで注文したとき、発送は随分遅れるとのことだった。発売日には来なかった。が、翌日来た。昨日である。読みやすく面白い。昨晩熱中して半分読み、今日後半を読み終えた。政治哲学をこれだけわかりやすく説明する書籍は希有ではないか。高校生や大学生には社会を考えていく上で是非お勧めしたい。 書巻末謝辞を見ると、「書は講義として誕生した」とある。講義は「ハーバード白熱教室」というタイトルで現在、NHK教育放送中らしい。私は見たことがない。英語のままであれば「Justice with Michael Sandel」(参照)で見ることができる。もっと小さなクラスの講義かと思ったら、大講堂での講義である。 政治哲学というと厳めしいイメージがあるが、サンデル教授は卑近な例、日常的な問題、社会ニュースの話題など馴

  • [書評]集中講義!アメリカ現代思想 リベラリズムの冒険(仲正昌樹): 極東ブログ

    「集中講義!アメリカ現代思想 リベラリズムの冒険(仲正昌樹)」(参照)はけっこう前に読んだだが、この、失礼な言い方になるのをおそれるが、著者の考えが明示的に書かれたというより、学習参考書というか事典といったタイプに見える書籍なので、便利ですね、お得ですね、という以外なかなか書評しにくいところがある。 もちろん、現代アメリカのリベラリズム思想の系譜をこれだけきちんとまとめるには、独自の視点が必要だということは当然なのだが、その視点とは何かと考えると、仲正氏の資質でしょうというのも拙いし、日人的な微妙な立ち位置でしょうと言うのも自分が馬鹿みたいに思えるものだ。加えて、書に紹介されている各種書籍を私が網羅的に読んでいるわけでもないので、所詮アマチュアが何を言うか、吉隆明主義でもぶち上げますか、みたいなさらにお馬鹿みたいな話になりかねない。 とはいえ、ざっと読み直したのは、昨日のエント

    SavingThrow
    SavingThrow 2010/05/31
    "コミュニテリアンのウォルツァーやサンデルも、相変わらず文化的共同体への帰属の重要性を強調しているだけで、9.11に象徴される破壊的な暴力に至る文化的対立を解決できそうな画期的な提案をしているわけではない。"
  • フォーサイトの4月号からWeb版へ: 極東ブログ

    フォーサイトの4月号が届いた。昨年12月16日、同誌が休刊になるというアナウンスされ、ブログの世界でも多少話題になった(参照)。私はというと、奇妙な感じがしていた。嘘だとは到底思いもしないが、実際に休刊になる最後の号というのをこの手にしてみるまで、どこかしら信じられない気持ちがしていた。それがここにある。 表紙には創刊20周年記念号「これからの20年」とあり、創刊号からの表紙がサムネールとして並べられている。いつだったか、月刊アスキーでもこうした表紙を見たことがある。私は同誌のほうは創刊以来の読者でもあった。 20年という年月は、今20代の人にとってはぴんと来ないだろう。20年前は物心付く程度でおそらく他者から語られる「歴史」というものに違いない。30代の人ですらそうかもしれない。私は50代になっちまったので20年前はついこないだという感じもする。1990年、そうたいした昔でもないな(村上

    SavingThrow
    SavingThrow 2010/03/24
    "塩野七生氏が地中海のどこかで対談しましょう、いや、コンスタンチノープルで、と仮約束した山本七平氏は、もうこの世にはいなかった。二十年とはそういう年月でもある。死者と存分に語れるための時間でもある。"
  • [書評]代替医療のトリック(サイモン・シン、エツァート・エルンスト): 極東ブログ

    書「代替医療のトリック(サイモン・シン、エツァート・エルンスト)」(参照)は、日では、「フェルマーの最終定理」(参照)や「暗号解読」(参照上巻・参照下巻)で人気の高い科学ジャーナリスト、サイモン・シン氏の近著として読まれているように思う。シン氏の著作の訳はどれも青木薫氏に統一されていて読みやすいことも人気の一つだろう。 私もそうした文脈で書を読んだのだが、読後、書は科学ジャーナリストとして十分に書かれているものの、この分野はサイモン・シン氏にとっては不慣れなままではなかったかという印象が残った。おそらく、シン氏もその点は理解していて専門であるエツァート・エルンスト氏と共著したのだろう。 書には興味深い献辞がある。「チャールズ皇太子に捧ぐ」である。なぜか。チャールズ皇太子が代替医療に関心をもち、どちらかと言えばその推進の立場にあるため、その科学性と有効性に再考を促したいとシン氏が願

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    SavingThrow 2010/02/28
    "市民社会はEBM(Evidence-based medicine)が優先されなければならないが、その臨界は腰痛の例のようにあまり明確ではない部分があり、実際の代替医療はそうした市民社会側の要請で実質成立しているのではないか。"
  • [書評]ザ・コールデスト・ウインター 朝鮮戦争(ディヴィッド・ハルバースタム): 極東ブログ

    「あの年読んだってなんだっけ」と今年の読書のことを後に振り返るとしたら、おそらく社会的に話題となった村上春樹「1Q84」(参照)より、書「ザ・コールデスト・ウインター 朝鮮戦争(ディヴィッド・ハルバースタム)」(上巻参照・下巻参照)になるだろう。 読み終えるまで一か月かかった。大著であることもだが内容が重く、なかなか読み進められなかった。上下で11部53章あり、一つの部が軽く新書一冊分の内容を持っていることもあった。ある部を読み終えてから、過去に読んだ書籍を読み返したこともあった。再読しようと書架や実家の書架を探し回り見つけられず、再度購入した書籍もあった。そうした一冊に「新「南京大虐殺」のまぼろし(鈴木明)」(参照)がある。同書はかつて標題の関心から読んでつまらないと捨ててしまったのかもしれない。 書「ザ・コールデスト・ウインター 朝鮮戦争」は標題に「朝鮮戦争」とあるように、もちろ

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