絶え間ない自己革新で世界の産業界に君臨してきた米ゼネラル・エレクトリック(GE)。そのGEにして、今彼らが挑んでいる変革こそ、過去最大と言って過言ではないだろう。インターネットとソフトウエアによる抜本的なものづくりの刷新。30万人の社員にスタートアップ精神を植え付けるため、従業員が重視すべき理念さえも変えた。 日経ビジネスは12月22日号の特集「モノづくりの未来を変える GEの破壊力」で同社を取り上げた。日経ビジネスオンラインに掲載する連動記事の1回目では、ソフトに注力するGEの戦略に迫った。 「アマゾンが小売業界を破壊し、アップルが音楽業界を破壊したように、GEが変わらなければ、いずれ産業機器の世界でも同じことが起きる」。米ゼネラル・エレクトリック(GE)のソフトウエア部門を率いるバイス・プレジデント、ビル・ルー氏はこう危機感を露わにする。 GEは2013年度の売上高が1460億ドル(約
4月は習い事を始める子どもが多い時期です。小学校に入る前から、沢山の習い事をさせる親御さんたちは少なくありません。 自分の叶えられなかった願望を子どもに投影させて習い事をさせたり学校を決めたりする人々を見るたびに、「子どもは大人のおもちゃでもない」と私は思うのですが、そんな人は問題外だとしても、子どもの将来を真剣に考えて沢山の教育を提供しようとする、教育パパ・ママは後を絶ちません。 私は子育てをしたことはないものの、自身のNPO(特定非営利法人)を通じて子どもの養育の実状を見てきた経験を踏まえると、知能教育よりも「気質」を育てる養育のほうがはるかに重要なものであると考えていますので、本稿ではその点について考えてみたいと思います。なお、ここでいう気質とは、行動特性といったものとして考えて頂ければとおもいます。 教育パパ・ママが生まれた背景 幼児期教育ブームの嚆矢となったのは、カーネギー財団に
悲観主義は気分に、楽観主義は意志による。気分任せにしていると、人間はだんだんに暗くなり、ついには苛立ち、怒り出す。このことは、ルールのない遊びをしている子供たちを見ていると、よくわかる。遊びがすぐに喧嘩になってしまうのである。これは、無秩序な力がやがては自分に刃向かうからにほかならない。 じつは上機嫌などというものは存在しない。正確に言えば、機嫌というものはいつだって悪いものである。だから、幸福は意志と自制の賜物と言える。理性は、機嫌にも意志にも奴隷のように従うだけで、当てにならない。 人間は、気分次第でとんでもないことを構想する。狂人に見受けられるのは、それを拡大したものだと考えればよい。被害妄想に陥った不幸な人の弁舌には、妙にほんとうらしい説得力がある。一方、楽観主義者の口ぶりはおだやかで、いきり立った人の雄弁とは対照的に、気持ちを和ませてくれる。大事なのは話し方であって、言葉そのもの
「神様、どうかあれが畑の番人ではありませんように」――畑の中に迷い込んだ無邪気な女子学生たちは、男が近づいて来るのを見て、動転して祈った。祈ったところで手遅れだから間抜けな話だが、この話をとっくりと考えてみて、私はようやく人間というものを理解した。なるほど、少女たちはすっかりうろたえている。だが混乱しているのは、考えより言葉の方だと言えよう。考えることより話すことを先に覚えた人間にとっては、これは誰にでも起こりうることである。 この話を思い出したのは、ある人が楽観主義者を非難していたときのことである。この人はかなり教養のある人なのだが、足を踏み鳴らして、「わざとらしい楽観主義者」だの「根拠のない期待」だの「自己欺瞞」だのと立腹していた。 彼の標的になっていたのは、アランという哲学者だった。こやつは無知で、まだ野蛮人のような輩であり、人間は自ずから誠実で謙虚で理性的で愛情深い生き物だと考えた
陸上選手も、サッカー選手も、ボクサーも、苦しい練習に打ち込んでいる。人間は快楽を求めるとされているが、ほんとうにそうだろうか。むしろ人間は苦しみを求め、苦しみを愛しているように見える。ディオゲネスは「苦しみこそが最もよいものである」と言った。そこから、人間は苦しみを追い求めることに快楽を見出すのだと言う人もいるが、これは言葉遊びに過ぎない。それに、そういう言い方をするなら、快楽ではなく幸福と言うべきだろう。快楽と幸福は、隷従と自由ほどにちがうものである。 人間は自ら行動したいのであって、与えられたものを耐え忍びたいのではない。進んで苦しい練習をする選手たちにしても、無理強いされたらたぶんいやだろう。誰しも強制労働はいやだし、災禍に襲われるのは避けたいし、必要に迫られて何かをするのは好まない。ところが自分の自由で苦労を選ぶとなると、たちどころに満足する。 たとえば、いま私はこの文章を書いてい
ひとりが言う。「親しすぎる人とはじつに暮らしにくい。自分の身の上をくどくどと嘆いて小さな不幸を大げさに言う人がいるが、親しすぎる人もそうだ。じぶんのやったことや言ったこと、感じたことを何かにつけてこぼす。感情を爆発させたり、つまらぬことで怒ったりする。こちらが関心を払い、愛情を示し、許してくれるものと決めてかかっているのだろう。礼儀正しくふるまうにはお互いに知りすぎているのだ。 こんなふうに四六時中遠慮をしないのは却って本当らしくないし、万事がおおごとになってしまう。仲のよい家族の間では、口調がきつすぎたり身ぶりが荒っぽかったりして、他人を驚かせることがよくある。それは、こうした遠慮のなさから来ている。礼儀や作法は、人が思っているより役に立つものだよ」
このコラムについて 「幸福だから笑うのではない、笑うから幸福なのだ」。アランの『幸福論』の有名な一節です。アランはリセ(高等中学校)の哲学教師でした。『幸福論』は、教師生活の傍ら、1906年から1914年まで「プロポ(哲学断章)」として新聞に毎日連載されたものが基になっています。日本でも愛読されてきた『幸福論』を、翻訳家、村井章子さんの新訳でお届けします。落ち込んだときや、心が“折れた”と感じたときに、ぜひ読んでみてください。そんなネガティブな感情がすうっとなくなり、いつの間にか自分だけの幸福感を味わえるようになると思います。 記事一覧 記事一覧 2012年9月7日 ともかくも幸福になることを誓わなければいけない 【最終回】幸福になるという誓い 悲観主義は気分に、楽観主義は意志による。気分任せにしていると、人間はだんだんに暗くなり、ついには苛立ち、怒り出す。このことは、ルールのない遊びをし
英米人は誉め言葉の中に微妙に本音をにじませて伝えます。この方法を体得することは彼らと対等にやり合うのに不可欠です。しかし、最初はなかなかできません。第1ステップとして、英米人流の誉め方を学びましょう。これはgoodさえ使えれば、誰でもすぐにできるようになります。 英米人は建前の世界 日本人は本音を言わない、英米人は単刀直入に話す、と言われています。この指摘は外国人がしたものです。日本人がこう思うはずはありません。こちらは外国人が話すちんぷんかんぷんな英語を聞かされるわけですから、「ああ、外人って単刀直入だなあ」と思うことはないからです。 この「日本人は本音を言わない、英米人は単刀直入に話す」という指摘は正しいでしょうか。われわれは検証することもなく、この指摘を真に受けていないでしょうか。ぼくの経験では真実はこの逆です。日本人は本音をよく言います。 例えば、顔馴染みの寿司屋に入って、「久しぶ
気になる記事をスクラップできます。保存した記事は、マイページでスマホ、タブレットからでもご確認頂けます。※会員限定 無料会員登録 詳細 | ログイン (前回から読む) 「自分の人生はこれでいいのだろうか」という問いに取り憑かれる中年の危機に、アメリカの男女がそれぞれどのように対応するか、前回は恋愛や結婚・家庭生活を中心にのぞいてみた。恋愛感情や性にまつわることがらの多くがそうであるように、そこに表れる男女の悩みは、切実でも深刻でもあり、同時にはたから見ると滑稽でもあることが多い。 今でこそ、「ミッドライフ・クライシス」という言葉は、家庭生活の束縛や性生活の倦怠からの解放や刺激を求めて、スポーツカーを買ったり若い相手と浮気をしたりする中年、というイメージが定着しているが、もともと1960年代に「ミッドライフ・クライシス」という表現が生まれたときにそれが指していたのは、中年期に入って自分の才能
気になる記事をスクラップできます。保存した記事は、マイページでスマホ、タブレットからでもご確認頂けます。※会員限定 無料会員登録 詳細 | ログイン 「見える化」という言葉が広まって長い年月が経つ。しかし、見える化の技術がどのようなものか、どのように役立つかが、整理して十分に説明されているわけではない。設計や開発や経営の様々な課題に対して、「見える化」は大変重要なのだが、それぞれの世界によって内容はバラエティーに富みすぎているので、結局、「見える化」の技術はあまり進歩していないようにも思える。解説や評価や論説や論文などに使われる「見える化」の図に、目新しいものが出てくることも少ない。 自然現象でも社会現象でも経営状態でも、しっかり「見える化」して本質を深く理解することは極めて大切である。ところが、「見える化」が進歩していないということは、自然現象や社会現象や経営状態が見えないまま、理解が不
物が売れない時代になった。お客様は本当に欲しいものしか買わない。売れないだけでなく、売れ行きに対応するのが難しい時代にもなった。何が売れるかの予想が当たらないし、急に売れたり、急に売れなくなったりする。商品を売る小売業も、商品を在庫し物流する卸業も、商品を生産するメーカーもやりにくい時代になった。売り上げも増えないし、利益を出すのは至難の業である。 需要が旺盛な高度成長期は良かった。メーカーはマーケット調査をし、商品を企画し需要を予測すれば、結構当たったし、マスメディアで広告すれば大ヒットする商品もたくさん出た。卸業は、在庫計画も立てやすく、リスクも少なかった。メーカーの帳合制(メーカーが卸を通じて特定の小売業者にだけ販売)や建値制(メーカーが流通の利潤を含めた小売価格を決定)も維持しやすかった。 小売業は店舗を作って、そこそこの商品を並べておけば何でも売れたし、価格を安くすれば飛ぶように
金髪のラテン美女がラーメンをすする町 浜松駅に降り立って、北に5分ほど歩く。遠鉄というローカル線のガード下に十数軒のラーメン屋が軒を連ねている。ひょっこりはいって「ラーメンとビール」と注文すると、隣のカウンターで金髪のラテン系美女がラーメンをすすっている。それが「未来世紀ハママツ」の風景です。 東京駅の地下を歩いてラーメン屋に入っても金髪女性と遭遇する確率は低い。ハママツでは日常茶飯事。なにしろ人口約82万人のうち約3万人が外国人。うち2万人弱がブラジル人。町を外国人が闊歩しています。ブラジル国旗をはためかせたブラジル人が経営するコンビニ、レストランがしっかり根付いています。 「未来世紀ハママツ」へようこそ。 未来世紀ハママツとは、管理社会の恐怖を描いた奇才テリー・ギリアム監督の名作「未来世紀ブラジル」をもじったものです。自由で豊かな普通の生活が、「ブラジル人」という属性を持っているだけで
スキャンダルだった。 何しろ、子どものころから数十年にわたって比叡山で修行を積み、「智慧第一」とあだ名されるほどの秀才僧侶だ。それが、突然、山を下りると京のみやこに移り住み、「修行はいらない、戒律も守らなくていい」と言い出したのだ。「念仏さえ唱えれば極楽へ行ける」「悪人こそ救いの対象だ」と。 ときは平安末。秀才僧侶の名は、法然。 彼の思想は「浄土の教え」と呼ばれている。 「一枚起請文」……法然の浄土の教え 法然は、どんな悪人でも、阿弥陀仏(あみだぶつ)の名を呼んで救いを求めれば、死後、つらいことなどひとつもない阿弥陀仏の国(極楽浄土)に行くことができる、と言う。 では、その阿弥陀仏の名を呼ぶこと、つまり念仏は、どんなふうにすればいいのだろう。 特別な唱え方があるのだろうか。
私が起業して始めた「企業理念コンサルティング」という仕事がめざしているのは、「社長も社員もみんなが幸せに働ける会社を、世の中にたくさん作りたい」という理想です。 「何をきれいごとを。あなたは昭和の労使対立の歴史も知らないのか」と言われることもあります。私自身、新人サラリーマンとして社会人をスタートし、中間管理職や幹部も経験して社長になりましたが、現場の気持ちは今でも忘れていません。そのうえで、先ほど書いた理想は実現できると信じています。そして実現している会社も、まだ少数派ながら確実に増えているように思うのです。 私が新卒で入社した株式会社リクルートは、労働組合のない会社でした。長い歴史の中で設立の動きがなかったわけではありませんが、在籍した16年余りの間、私は労組を作ろうという声を聞いたことがありません。現場で働く社員にとって必要がなかったのです。 たとえば会社が数千人規模に成長しても、新
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