ブックマーク / p-shirokuma.hatenadiary.com (40)

  • 『何者かになりたい』が出版されます - シロクマの屑籠

    何者かになりたい 作者:熊代 亨発売日: 2021/06/12メディア: 単行(ソフトカバー) このたび私は、「何者かになりたい」という願い、「何者にもなれない」という悩みについてのを出していただく運びとなりました。 SNS時代の「何者」とは、いまどきのアイデンティティの問題とは 『何者かになりたい』はじめに SNS時代の「何者」とは、いまどきのアイデンティティの問題とは 中年期を迎えた私自身にとって、「何者かになりたい」という願いや悩みは新しい問題ではありませんでした。先達が残したアイデンティティ論のおかげもあり、私のなかでは回答が出ている問題だと思っていました。もう回答があるから、わざわざ語るまでもあるまい──そうも考えていました。 ところが2020年、ある編集者さんから「何者かになりたい」「何者にもなれない」について熊代亨のを読んでみたいとお誘いをいただき、アップトゥデイトな"

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  • 2020年から見たエウレカセブン、良さ・しんどさ・わからなさ - シロクマの屑籠

    TVシリーズ 交響詩篇エウレカセブン Blu-ray BOX2 (特装限定版) 発売日: 2017/09/27メディア: Blu-ray 2020年の夏アニメにはあまり指が動かず、『放課後ていぼう日誌』と『ゼロから始める異世界生活 第二期』ぐらいしか見ていなかった。で、アマゾンPrimeを眺めていたら『交響詩篇エウレカセブン』が配信されていたので、これを見ることにした。 『エウレカセブン』は2005年にオンエアされた頃から自分の好みではない作品だとわかっていて、避けていた。オタクたるもの、自分の好きな作品と嫌いな作品はおおよそわかるべきで、好きな作品にこそ時間を費やすべきだと当時は思っていたからだ。いや、今だって当はそうだと思っている。話題の作品を追いかけたりジャンルの系統的理解のために作品を見たりするのは、来、サブカルや批評家のやることであって、オタクは自分の好きなものを知り、好き

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  • ボイスチャットから聞こえてくるリテラシーの欠如 - シロクマの屑籠

    最近は、いままで以上に家に閉じこもってゲームをしている。当はPS4で発売されている『十三機兵防衛圏』を遊びたいし「遊びたいゲームが発売されているゲームハードを買う」はゲーオタの懐だけど、PS5のリリースが近づいているこの時期にPS4となれば尻込みしないわけにはいかない。 仕方がないのでswitch版の『フォートナイト』を遊んでいるのだけど、昼間、野良で遊んでいる時に聞こえてくるボイスチャットが興味深くて、最近はそっちが目当てになってきている。 『フォートナイト』を野良でやっていると、小学生や中学生とおぼしき、若々しいボイスチャットの声が聞こえてくる。 "たなか ひろと です。 ボイチャははじめてですがよろしくおねがいします" "すいません 今から助けにいきます" "ありがとうございました。" こういう礼儀正しい声を耳にすることも、ないわけではないが、どちらかといえば少数派だ。いや、きっ

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  • 「はてなダイアリー」の気持ちを思い出したい - シロクマの屑籠

    こんな時だからこそ多くの人に日記を書いてほしい……ウェブ日記に日々の淡々とした記録を、言葉を残すんや……今はSNSとちゃう、インターネット日記の言葉が状況に合うんや……ほんまやで……— 平民金子 (@heimin) 2020年4月1日 そうですね。こんな時だからこそ日記のようにブログを書きたい、SNSでみんなと不安をシェアしながら囀るより、自分の場所に籠って自分のことを書けたらいいですね。せっかく自分のブログがあるんだし。 その昔、「はてなダイアリー」というサービスがあった。まだブログという言葉が広まるか広まらないかの頃に誕生したサービスで、まさにダイアリーとしか言いようのない使い方をしているユーザーがたくさんいたという。私も、自分のはてなダイアリーを持ってからは日記のような文章をたくさん書いていた。いつしか、私は内向的な日記から常連さんに読んでもらうための文章へ、見知らぬ不特定多数が読む

    「はてなダイアリー」の気持ちを思い出したい - シロクマの屑籠
  • "「萌え」の時代から「推し」の時代へ"について - シロクマの屑籠

    オタクの"界隈"で「萌える」という言葉を見かけなくなって久しい。 かわりに、「推し」という言葉を見かけるようになった。 このことについてtwitterの片隅で幾つかの意見を見かけ、私も何か書き残したくなったので、先週の続きとして書いてみる。 「推し」という言葉は、どちらかといえば実在アイドル方面で用いられてきた言葉だったと記憶している。アニメやギャルゲーのキャラクターに対して「萌える」という言葉が頻繁に使われていた90年代後半~00年代中盤にかけて、「推し」という言葉は"界隈"ではマイナーで、いわゆる二次元の美少女キャラクターは専ら「萌える」対象だった。 「萌える」という言葉は『電車男』が流行した2005年以降はニュアンスが単純化していったけれども、もともとは多義的なニュアンスを含んだ言葉だった。 「萌える」という表現がオタク達のボソボソオタク談義のなかで広がった要因のひとつに、「エロい」

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    Seiji-Amasawa
    Seiji-Amasawa 2020/03/29
    「ひとりのオタクが特定の二次元-美少女キャラクターを「推す」時、「推し」のキャラクターと一対一の関係、セカイ系的な抜き差しならなさは存在するだろうか? たぶん、存在しないのではないかと思う」
  • 新型コロナウイルスのせいで消耗している - シロクマの屑籠

    体力も気力もなくなった。 疲れて、いる。 原因の見当はついている。 だいたい新型コロナウイルス(COVID-19)騒動のせいだ。 この騒動によって私は消耗し、体力も気力も出なくなってしまっているのだと思う。 この騒動が間近なところにやってきたのは2月中旬ぐらいからだ。職場でも対策について話し合われるようになった。もちろん、自分の職場にはこれに対抗する設備や人員が無い。しかし医療機関である以上、そのような患者さんに遭遇してしまう可能性もゼロとは言えない。そういった「もしも」についての話し合いは、2月15日ぐらいまでは「念のため、用心として」といった趣だったが、ここにきて、俄然、真剣みが増してきた。 それと精神科・心療内科のフィールドには、少数ながら「世間の不安なニュースに弱い人」が混じっていたりする。不安が主な症状の患者さん、被影響性の強い患者さんのなかには、新型コロナウイルスの騒動を非常に

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  • 「努力の目利き」は必要。では、どれをどうやって身に付ける? - シロクマの屑籠

    ※お世話になった方をとおして、ときど『世界一のプロゲーマーがやっている 努力2.0』の献をいただきました。この文章は、それについての私個人の感想文です。 世界一のプロゲーマーがやっている 努力2.0 作者:ときど出版社/メーカー: ダイヤモンド社発売日: 2019/12/05メディア: 単行(ソフトカバー) 筆者のときどさんは、三十代のeスポーツ現役プレイヤー。中学生時代から大船のゲーセンに通っていたというから、アーケードゲームのプレイヤーとして早くから鍛錬していたようだ。そういう経歴の持ち主だけあって、eスポーツ以前の時代、それこそ『ゲーメスト』や『アルカディア』でスコアを集計していた頃の話も出てきて、私は90年代のアーケードゲームシーンを思い出さずにいられなかった。 現代のeスポーツでは、20世紀よりもずっと試合の回数が多く、録画をとおしてプレイを分析することも当たり前になっている

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  • あの頃、俺達はゲーム障害/ネット依存だったのだろうか - シロクマの屑籠

    「バイトテロ」でも話題になったネットと承認欲求について専門家に聞いてみました! | 一般社団法人 日産業カウンセラー協会ブログ 「働く人の心ラボ」 リンク先は、産業カウンセラー協会さんが、先日のインタビュー記事の一部をオンラインに抜粋してくださったものだ。全文掲載ではないけれども、特に後半に述べた私の問題意識はほとんど丸ごと掲載していただいた。 これを再読しているうちに、私が一番ゲームやネットをやり込んでいた頃を思い出したりもした。 皆、何かを切り詰めてハイスコアを目指していた 1990年代の私は大学より長い時間をゲーセンで過ごしていた。とはいえ臨床実習はサボったことが無いし、留年もしなかったので一応の線引きはできていたのだろう、たぶん。 そんな私でも、『バトルガレッガ』と『怒首領蜂』がゲーセンに登場した時は危うかった。1990年代の弾幕シューティングゲームを代表するこの二作品に、私は熱

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  • 若者でなくなったら「成長のルール」が変わった - シロクマの屑籠

    ひたむきに成長しようとする若者を観るのが好きだ。 オンラインでもオフラインでも、10代~20代、ときには30代前半ぐらいの年齢の人が、しゃにむに成長しようとして、あれこれ試みたり、ジグザグに努力したりするのを観るのが好きだ。一点集中突破の成長を目指す若者も気持ちいいし、3つ~4つの成長の芽を隠し持ちながら、したたかに成長を目指す若者にも惹かれるものがある。 私が若者の成長に惹かれるのは、過去の自分自身の姿がダブるからでもあるし、成長に対してスレきっていない感じがするからでもあろう。若者は、肌ツヤが瑞々しいだけでなく、成長に対する感性という点でも瑞々しい。 若者はフラフラしていても成長する そして若者の可能性。 長くブロガーをやっていると、年下のブロガーや年下のSNSアカウントの成長過程を、数年にわたって眺める機会がままある。ときには、オフ会でそうした成長過程をつぶさに確かめることさえある。

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  • アタマが良くてマーケットがわかる人しか稼げない社会は「要らない」。 - シロクマの屑籠

    以下のリンク先記事は、現状分析としては間違っておらず、実際、仕事への要求水準は高くなっているのだろう。 人手不足なのに給料が上がらないのは、経営者の強欲のせいではなく、仕事に要求される能力が高くなったから。 ですから現在の状況を単純に言えば、 1.事務職の消滅とともに、「普通の人」が遂行できて、「それなりのお金がもらえる」職場は消滅してしまった。 2.今は「低賃金・肉体労働」の仕事に就くか、専門家として「知識労働」に従事するか、その2つしか選択肢がない ということになります。 日だけでなく、欧米諸国でも「普通の人」が働いて「それなりのお金がもらえる」職場は少なくなっている。低賃金の肉体労働や単純労働に従事するか、高度なスキルを必要とする知識労働にジャンプアップするか、そのどちらかを迫られがちな世相なのは、そのとおりなのだろう。 加えて、リンク先ではマーケティングセンスの重要性も指摘されて

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  • 最近、「あの頃のはてな」に色んなところで出会う - シロクマの屑籠

    はてなダイアリー、2019年春に終了 「苦渋の決断」で「はてなブログ」へ統合 - ITmedia NEWS 2019年3月27日(水)「はてなハイク」サービス終了のお知らせ - はてなハイク日記 はてなダイアリーとはてなハイクが店じまいするという。00年代のはてなのサービスが、記憶になっていく。 *     *     * ここ数年、私はいろいろな場所で「あの頃のはてな」や「あの頃のテキストサイト」に出会ってきた。 どういうことかというと、「はてなブックマーク」「はてなダイアリー」「はてなハイク」「はてなブログ」といったサービスを使ってきた人と意外なところで知り合ったり、「若い頃はテキストサイトに夢中になっていた」という人に、オフラインの色んな場所で遭遇するのだ。 あるはてなユーザーは、紆余曲折を経てネットメディアの最前線で活躍するようになっていた。ああ、こんなところに「あの頃のはてな」を

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  • ネットde政治闘争がとまらない背景心理 - シロクマの屑籠

    2010年代に入って、インターネットで種々の政治闘争を見かける頻度が激増したように感じる。 2000年代においても、いわゆる「ネトウヨ」は話題になっていて、匿名掲示板ではそういった人々とおぼしき書き込みは目に付いた。また、はてなブックマーク・はてなダイアリーあたりでも、極左的な政治闘争を叫ぶ人々の姿を目にしなくもなかった。 そうはいっても、当時のネット政治闘争はまだしも限定的だった。2010年代に入ると、東日大震災後の原発/反原発を皮切りに、ジェンダー・国政・表現・道徳秩序といったものについて、あちこちのアカウントが自分の声をあげはじめ、論争に飛び入った。そうやって声をあげはじめた無数のアカウント同士は、シェアやリツイートや「いいね」といった手段を使って繋がりあい、派閥というには曖昧とはいえ、ともかくも、ひとつのオピニオンの塊を為して激しくぶつかり合い、いがみ合うようになった。 ネットで

    ネットde政治闘争がとまらない背景心理 - シロクマの屑籠
    Seiji-Amasawa
    Seiji-Amasawa 2018/11/26
    「繋がり過ぎてしまうネットメディアは人類には早すぎた」
  • 現代人にインストールされた「適切な努力をすべし」という規範意識 - シロクマの屑籠

    現代人は、適切な努力を積み重ねるよう求められている。 我々は、いつかは「適切でない努力には意味がない」という現実と向き合わなくてはならくって、子どもの頃は努力するというスタンス自体を身に着ける為に「努力なら何でも褒める」という方針でも問題ないんだけど、どこかで「努力は適切なやり方でするべき」という切り替えも多分必要なんだと思う— しんざき (@shinzaki) 2018年11月8日 で、「努力は無条件で尊い」から「努力は適切なやり方でやるべき」に転換する為の、一つの機会というかタイミングが受験なのではないだろうか— しんざき (@shinzaki) 2018年11月8日 [詳しくはこちら→]我々はどこかで、「努力は無条件で尊い」から「適切でない努力をするべきではない」に思考を切り替えないといけない: 不倒城 「適切でない努力には意味がない」という現実は確かにあって、とりわけ大学受験は、適

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  • 「健康は道徳、不健康は不道徳」 - シロクマの屑籠

    昨今のインターネットでは、何が正しくて何が正しくないのかについて、言い争いが続いている。 それは狭い意味での"ポリティカルコレクトネス"に留まらない話で、たとえば特定のメディアコンテンツの趣味の良し悪しについてだったり、自転車運転や自動車運転についてのマナーについてだったりする。 そうした正しさを巡る言葉の揺らぎを眺めていて、数年前から気になって、時間が余った時に調べものを進めていることがある。 それは不健康と不道徳についてのものだ。 2018年現在、健康を損ねているからといって、その患者さんが不道徳とみなされることは一般に無い。交通事故に遭って怪我をした患者さんや、先天的な疾患傾向によって健康を損ねざるを得なくなった患者さん、癌や認知症といった難しい病気によって健康を損ねざるを得なくなった患者さんが、そのことを理由として不道徳な人間だと扱われる心配は無い。 ただし、自己選択によって不健康

    「健康は道徳、不健康は不道徳」 - シロクマの屑籠
    Seiji-Amasawa
    Seiji-Amasawa 2018/10/26
    「昨今のインターネットでは、何が正しくて何が正しくないのかについて、言い争いが続いている」
  • 『東京タラレバ娘』という神経症的葛藤 - シロクマの屑籠

    東京タラレバ娘(1) (KC KISS) 作者: 東村アキコ出版社/メーカー: 講談社発売日: 2014/09/12メディア: コミックこの商品を含むブログ (10件) を見る スピード感と明るい筆致で麻酔をかけながら、えぐるようにメスを入れる漫画だ。 『東京タラレバ娘』に出てくる主人公・倫子の生きざまを眺めていると、私は懐かしさを感じる。「あー、こういう女性っていたよね」的な懐かしさである。しかし、懐かしさを感じること自体、彼女達のマズさを暗示していると思う。 彼女達は、花盛りだった十代~二十代の頃の価値観や人生観のまま、三十代を生きている。自分は人生の主人公であるべき・仕事も恋もできるシティガールであるべき、そして文化的にも優れた女性であるべきだし、それに釣り合った男性をみつけるべき……といった具合だ。 作中、倫子の幻覚として「タラ*1」と「レバ*2」が何度も登場する。「人生のif」を

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  • 「超自我」は滅びんよ、何度でも甦るさ - シロクマの屑籠

    フロイトは、自我とイド*1と超自我の三つの概念を用いて精神機能を説明した。「精神分析なんて古い」と考えている人にとって、この精神機能のモデルはいかにも古風に聞こえるだろうし、時代遅れにも感じられるだろう。 わけても、時代遅れに聞こえそうなのが超自我だ。 自分の行動が社会のルールからはみ出さないか、禁じられた行為をしていないかを自己検閲し、自分自身の行動どころか思考にまでブレーキをかける、そういう精神機能のことを超自我と呼ぶ。 昔、超自我はしばしば性的な取り決めと関連づけて語られていた。精神分析が生まれたころのヴィクトリア朝時代のヨーロッパ、とりわけフロイトが顧客とした中~上流階級の子弟においては、性についての社会のルールは厳格をきわめていた。とりわけ女性は、その厳格な性的な取り決めによって束縛されていた。 当時の女性たちは、ジェンダーやセクシャリティについて、実社会で束縛を受けていただけで

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  • 恋愛は要らない。ならば、親しさも要らないのか。 - シロクマの屑籠

    恋愛は要らない。これはわからなくもない。 なら、親しさは要らない。これはどうだろうか。 1.若者の恋愛離れが指摘されて久しいが、確かに、恋愛は中学校でも高校でも必須単位になっていないので、やらない人がいることに不思議は無い。 恋愛が面倒くさいからやらない、もよくわかるし、学生生活はいろいろ忙しいんだ、もよくわかる。だが、恋愛は年齢が上がるにつれて男女双方の要求水準や、期待される社会性の内容が変わっていくので、「やらない」を放っておくと「できない」に変わっていってしまう側面がある。そういう意味では、恋愛を若いうちに経験しておかない人は、そのぶん、招来の生き筋を狭めていると言えるかもしれない。 だが、恋愛をしなければならないご時世でもなくなった。いまどき、セックスとか見栄とか、そういうゴリラのような動機にもとづいて恋愛をわざわざやる意義は減ってきているように思う。恋愛とは似て非なる結婚について

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  • 学力だけじゃない、体力もカネで買う時代 - シロクマの屑籠

    最近、建設業の人手不足の話を耳にする。帝国データバンクの2014年調査によれば(参照:pdfファイル)、建設業者の59.7%が正社員不足に陥っているという。飲業や情報サービス部門でも人手不足が目立つ。 その一方で、「正社員になりたくてもなれない」という嘆きの声も聞こえてくる。建設業やサービス業で正社員が足りないなら、正社員になりたくて仕方の無い若者をリクルートしてくれば良いのではないか――そういう年配者の声を聞いたこともある。一昔前まで、建設作業員が土方(どかた:差別用語)と呼ばれて社会問題になっていたぐらいだから、肉体労働なら誰にでもできると見做しているのかもしれない。 だが、そういう見方は時代錯誤も甚だしい。建設業の高度化が進んだというのもあるが、そもそも、持続的に身体を動かせる若者は今どれぐらい存在しているのか?持続的に身体を動かす能力は、若者の大半が持っているものではなくなったし

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  • 失われた「田舎の子育てのアドバンテージ」 - シロクマの屑籠

    blog.tinect.jp リンク先を読みながら、地方で子育てをやっている我が身を振り返って、少し悲観的な気持ちになった。 私は、地方の国道沿いの、イオンやユニクロやニトリから程遠くない郊外に住んでいる。家族で普段の買い物を済ませるには便利だし、東京のような不動産の高騰にも直面していない。 私立中学校にお受験させなければならないわけでもなく、公立高校の進学校を選べば学費はそれほどかからない。高専に進学するならもっと安くて済むだろうし、地元の国立大学を選べば大学でも費用は少なめになる。「子育てを地元で完結させる」ぶんには、地方は子育てしにくい土地だとは思えない。 けれどもリンク先のfujiponさんがおっしゃるように、都会で色々な文物に触れてまわっている子どもたち、早くから進学校に通い、都内や海外の大学へ進学していくであろう子どもたちと比べた時、地方暮らし・田舎暮らしに利点があるかというと

    失われた「田舎の子育てのアドバンテージ」 - シロクマの屑籠
    Seiji-Amasawa
    Seiji-Amasawa 2018/09/12
    「結局、親が子どもにバリエーション豊かな経験を積ませようと思ったら、カネを積んで、経験を買うしかない」
  • 「自分に刺さるコンテンツ」がなくなったっていいじゃないか - シロクマの屑籠

    https://anond.hatelabo.jp/20180829224019anond.hatelabo.jp b.hatena.ne.jp ※このブログ記事を書いて数時間後、ブログ記事体が削除されたのではてなブックマーク上の反応を追加しました。 2018年は季節の移り変わりのテンポが早くて、もう、朝夕はめっきり涼しくなった。 そのためか、ちょっとメランコリ―なブログ記事に、はてなブックマーカーが殺到しているのを見かけた。 いまどきの人生を四季に例えるなら、20歳までは春、20代~40代は夏、50代~60代は秋だろうか。40代を「夏の終わり」とみるのは早すぎる気がしなくもないけれども、20~30代から見れば、40代人生の後半にみえるかもしれない。もちろん、50代以降の人には40代はまったく違ったものとしてうつるのだろうけれども。 これについて、ブログ記事筆者の気持ちとはほとんど無関

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