天心流兵法の由来 天心流兵法(てんしんりゅうひょうほう)は寛永年間、時沢弥平(※1)師によって創出された古流武術です。 流祖は幼少より後に徳川将軍家の剣術指南役、徳川幕府の総目付となる柳生宗矩公に仕え、柳生石舟斎師に新陰流を学びました。 流祖はその後も宗矩公の側に仕えて、影として護衛やさまざまな役務に携わりました。 役目を許されて後、宗矩公の意向を受け宗矩公が編み出した二百数十の技法を整理し独自の兵法を編み出して、これを天心流と名付けました。 これは単なる武芸の剣技としてではなく、徳川の世を影で支えるため、士林(武士の繋がり)にて用いられる上士(城士)の剣であり、異(い)なる流儀として誕生しました。 神君 徳川家康公により天下が統一されたとは言え、織豊(しよくほう)時代のように短期政権で終わる可能性もある中で、士林団は総目付 宗矩公の配下として、まだ盤石とは言えなかった江戸初期の柳営を護持