『狐の足跡』は歴史書として依拠できるものではない 実のところ、拙著でも検討した通り、今日では『狐の足跡』には、恣意的引用や歪曲があり、とうてい歴史書として依拠できるものではないということがあきらかになっている。ところが、日本のロンメルに関するミリタリー雑誌の記事や通俗的な読み物では、なお『狐の足跡』に依拠した記述が少なくない。 たとえば、ある日本のライターの著作では、ロンメルの未亡人ルチー=マリアと息子のマンフレートが『狐の足跡』に異論を唱えたり、抗議していない以上、資料として信頼できるとされている。強弁であり、事実の歪曲でもある。 まず、ルチー=マリアは1971年に死去しているのだから、1977年に出版された『狐の足跡』をチェックすることは不可能だったのである。そもそも、アーヴィング自身、同書のなかで「ロンメル夫人とは生前、二回会って話をしたことがある」と記し、『狐の足跡』刊行以前に彼女
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