1972年2月、真冬の長野県軽井沢町の山荘で、未曽有の立てこもり事件が起きた。千人を超す警察官、山荘にぶつかる巨大な鉄球、犯人側の激しい銃撃、そして死者―。過激派の連合赤軍によるあさま山荘事件だ。元警察庁長官で、当時は広報担当として現場にいた国松孝次さん(84)がインタビューに応じ、時代の転換点となった事件の様子や背景を振り返った。後にオウム真理教事件のさなかに何者かに銃撃され、生死の境をさまよった治安組織の元トップが語る事件の教訓とは。(共同通信=岩橋拓郎) 【動画】あさま山荘事件から50年 昭和史舞台、鉄球跡は修復 ▽真っ白な現場 連合赤軍が立てこもりを始めたのは1972年2月19日。当時、国松さんは警視庁広報課長を務めていた。武装した過激派による立てこもりは大ニュースとなり、報道陣は長野県警担当はもちろん、警視庁担当記者も多数が現場に押し寄せた。テレビ局や雑誌なども含めて千人を超え、