日本語の日常会話では「主語」が抜けることが多い。しかも、そのほうが自然な会話になるという話を聞いていて、「おなかが空いた」という例が挙げられていた。ぎょっとした、私は。 その話では、「私がおなかが空いた」というのは、「私」に重きを置いた表現で、自然な日本語の会話では出てこないというのだ。もちろん、それはそうかもしれないと私も思った。 ただ、私はぎょっとしたのだ。 私は、私の身近な他者から、「おなかが空いた」と言われると、冷水を浴びたような感覚になる。物心ついてからそうなので、訓練に訓練を重ね、その驚愕感を表出することはないので、私の身近な人も私のそうした内面は知らないだろう。 が、まず、怖いのである。そして、何が怖いのかと考えることもある。他者の気持ちや渇望が自分に、ぬるっと侵入してくるような気持ち悪さとそれを避けることができない怖さというものに近い。 だから私は、「おなかが空いた」と他者