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ブックマーク / finalvent.cocolog-nifty.com (184)

  • 「おなかが空いた」という言葉を怖いと感じる感覚について: 極東ブログ

    語の日常会話では「主語」が抜けることが多い。しかも、そのほうが自然な会話になるという話を聞いていて、「おなかが空いた」という例が挙げられていた。ぎょっとした、私は。 その話では、「私がおなかが空いた」というのは、「私」に重きを置いた表現で、自然な日語の会話では出てこないというのだ。もちろん、それはそうかもしれないと私も思った。 ただ、私はぎょっとしたのだ。 私は、私の身近な他者から、「おなかが空いた」と言われると、冷水を浴びたような感覚になる。物心ついてからそうなので、訓練に訓練を重ね、その驚愕感を表出することはないので、私の身近な人も私のそうした内面は知らないだろう。 が、まず、怖いのである。そして、何が怖いのかと考えることもある。他者の気持ちや渇望が自分に、ぬるっと侵入してくるような気持ち悪さとそれを避けることができない怖さというものに近い。 だから私は、「おなかが空いた」と他者

  • 自動翻訳と指示語の順序: 極東ブログ

    今朝がた、岩田健太郎先生の以下のTweetを見かけた。 条件をちゃんと読むべし CDC recommends wearing cloth face coverings in public settings where other social distancing measures are difficult to maintain (e.g., grocery stores and pharmacies), especially in areas of significant community-based transmission. https://t.co/Wn3xNpkaTW — 岩田健太郎 Kentaro Iwata (@georgebest1969) April 18, 2020 条件をちゃんと読むべし CDC recommends wearing cloth face cov

  • 「国家の重⼤局⾯」で複数の声はどのように可能なのだろうか?: 極東ブログ

    昨日、厚⽣労働省のクラスター対策班の北海道⼤学‧⻄浦博教授は、⼈との接触を以前の八割まで減らさないと、COVID-19の流⾏終息までに、⼈⼯呼吸器などが必要となる重篤患者は約85万⼈となり、また、その49%にあたる約42万⼈が死亡する、という推計を発表した。⻄浦教授は「今は国家の重⼤局⾯にさしかかっている。今のままではまずい」とも述べていた(参照)。 驚くべき惨事の予測であり、しかも、感染症の専門家の予測なので、科学的に正しいものだろうと、まず思うが、驚きという印象に詳細が知りたいという思いも伴う。 どのような推計かという点については、新型コロナクラスター対策専門家のTweetにある(参照)。 説明を聞いていて、素朴な疑問が3点浮かんだ。 ①R0=2.5の設定根拠は欧米での感染爆発からの推定値なのだが、なぜ日の値を推定値に取らないのだろうか? おそらく、日の推定値がわからないからだろう

  • パオロ・ジョルダーノ『コロナの時代の僕ら』をまだ「向こう側」に感じる: 極東ブログ

    イタリアの小説家(物理学博士でもある)パオロ・ジョルダーノによるエッセイ『コロナの時代の僕ら』が、4月24日に発売されるが、それ以前に、緊急事態宣言が出された現在、日において広く読まれるべき、として、noteに特別公開(12日19時まで)されていた(参照)。読んだ。 懐かしい奇妙な感覚がした。若い日に悩んだ離人症的な世界の感覚である。それは風景の透き通った「向こう側」あるという感覚である。 日でも新型コロナウイルス感染症(COVID-19)の問題が社会的に深刻化され、緊急事態宣言も出され、人々が外出を実質禁じられ、日常の風景まで変わったようでいながら、それでも、メディアを通してイタリアやアメリカなどを見ていると、まだまだ対岸の火事のように思えてくる。だから、「向こう側」なのかというと、そういうことではない。むしろ、今その「向こう側」にすっぽり包まれているのに、なぜか実感できない、という

  • CEFRには英語の位置付けが暗黙に隠されているのではないか: 極東ブログ

    ひらめきというのとも違うのだろうが、特に脈絡もなく、「あれ?」と気がつくことがある。最近のその一つが、CEFRには英語の位置付けが暗黙に隠されているのではないか、ということだった。当たり前のことなのかもしれないが、少し書いてみたい気がする。 CEFRとは、Common European Framework of Reference for Languages: Learning, teaching, assessmentのことで、「外国語の学習・教授・評価のためのヨーロッパ言語共通参照枠」という定訳語がある。 ちなみに、フランス語だと、Cadre européen commun de référence pour les langues なので、CECRLになる。どういう発音になるか動画をあたってみると、まあ、それっぽい発音というか、Cecrel のようだが、ネットを見ていると、"Comm

  • [書評] 古代スラヴ語の世界史(服部文昭): 極東ブログ

    『古代スラヴ語の世界史』は、なんだろうか、一言でいえば、「興味深い」書籍だったということになるのだろうが、そこで少し口籠るものがある。このを読むのは誰なんだろう?というような関心もわく。 ググってみた。朝日新聞に書評が載っていた(参照)。書評したのは出口治明さん。ああ、このについて、世界史の側面でこれ以上の書評が書ける人はいないだろう、と思うし、まさに、世界史的な側面においてはそうだった。ただそれでも、なんだろうか、ある種、微妙な感じもした。もちろん批判という意味ではない。 「初めに言があった」。ヨハネによる福音書の書き出しだ。言葉は文化でもある。書は古代スラヴ語から読み解く東ヨーロッパの歴史である。私たちにはなじみの薄いスラヴ人の世界がよくわかる好著だ。 古代スラヴ語とは9世紀後半から11世紀末にかけて当時のスラヴ人が文章語として聖書の翻訳や宗教的活動に用いた言葉だったという。現在

  • アニメ『イエスタデイをうたって』の一話目でスイッチが入る: 極東ブログ

    アニメ『イエスタデイをうたって』が今季のアニメに入っていて、なんとなく見た。オープニングの時点で、ああ、スイッチが入ってしまった、と思った。僕は、若い頃を甘酸っぱく思い出してその情感に浸るというのはしない。若い頃聞いた曲とかもそれほど聞かない。嫌なのだ。が、なぜ嫌かというと、スイッチが入って懐古モードになってしまうこともあるからだ。だが、入ったなあ。 ウォークマンがいけない。大学は卒業したが就職できずコンビニバイトしているフリーターの魚住陸生がウォークマンをしていた。懐かしすぎる。あれが出たときの感動を思い出す。友人も興奮していた。すごいよ、これしていると、日常生活が映画のシーンみたいになるんだ、と。それは革命的なほど生活の感覚を変えるものだったのだ、当時。いつ? 1979年。40年ほど前というか、昨年復刻モデルとか出てたな。 アニメのそれは体は初期モデルに似ている。ヘッドホンはオレンジ

  • 法と道徳の境界:リクライニングと横断歩道: 極東ブログ

    このところ、ぼんやりしていると、いつの間にか、法と道徳の境界について考えている自分がいる。難しい話ではない。具体的な2つの事例で書いてみたい。 1 飛行機や長距離列車の座席の背もたれを自由に倒してよいか? 飛行機や長距離列車の座席の背もたれ(リクライニング)を、後ろの人に配慮せずに自由に倒してよいものだろうか? 常識的に考えれば、後ろを確認して、人がいたら「席、倒していいですか?」と声をかけるというものだろう。それで大抵は問題とはならない。だから、深刻化しないとも言えるかもしれないが。 それで、もし、後ろの人が、「やめてください」と答えたら、どうなるだろうか? 常識的には、しかたないなと、背もたれを倒すのを諦めるものだろう。ただ、その時でも、変な人の前の席になっちゃったなあ、アンラッキーくらいには思うだろう。 逆に自分がその後ろの席だった場合はどうか。常識的には、「どうぞ」と答えるだろう。

  • オカリナを3つ買った話: 極東ブログ

    オカリナを3つ買った。結局、という感じ。どれもプラスチックのオカリナなので、オカリナをきちんとやる人には参考にならない話が、以下である。 なぜ、オカリナ? 合唱の音取り用である。この用途にはすでに小さい電子キーボード(SA-46)を買って使っていたのだが、それでも持ち運びというか、気楽に持つには大きい。ので、小さな笛のようなものがあればいいかなと考えていた。それで、オカリナ、ということになったかというと、そうでもない。私はオカリナがあんまり好きではないのだ。小学生のころ学研の学習という雑誌の付録についてきたプラスチックのオカリナを使っていたことがある。面白いなくらいには思ったが、中学生以降吹いた記憶がない。それと、オカリナが好きな人というのに微妙な抵抗感があったりもした。なんだろ、トトロみたいな。 リコーダーはどうか?というと、リコーダーには小学生のときのトラウマ記憶がくっついているのでや

  • アニメ『けいおん』を全部見終えて: 極東ブログ

    人は知らず、呪いの言葉を抱えて生きていることがある。私のその一つは、「第三発目の原子爆弾はまた日の上に落ちると思います」という言葉だ。 エッセイ集『思索と経験をめぐって』の『木々は光を浴びて』の最後に、次の文脈に続いて唐突に現れる。 どういう話のきっかけだったか忘れたが、というのはその時かの女が言ったことばに衝撃をうけて、何の話の中でそうなったのかよく記憶していない。かの女は急に頭をあげて、殆ど一人言のように言った。 場所は国際基督教大学。森は1969年から同大の教授であった。時代は1970年代に至るあの空気のなかにあった。「かの女」というのは、当時の若いフランス人である。 森はこう続ける。 とっさのことで私はすぐには何も答えなかったが、しばらくしても私はその言葉を否定することが出来なかった。それは私自身第三発目が日へ落ちるだろうと信じていたからではない。ただ私は、このうら若い外人の女

  • これは東京オリンピック中止(延期)かな: 極東ブログ

    ああ、これは東京オリンピック、中止かなと思った。物騒なので書かなかったが、以前からその想定もしていた。が、まあそろそろ言ってもいいレベルになってきたなあと思った。その一番の要因は、トランプ米国大統領が12日、その意見を表明したことだ。 もちろん、「中止」という言葉は修辞的に「延期」とされていたし、実際のところ、まったく中止で以降はなし、というわけにもいかないだろうから、延期にはなる。インディペンデント紙のリードでは、"Olympics should be cancelled amid coronavirus outbreak, Donald Trump suggests"(ドナルド・トランプは、コロナウイルスの発生中にはオリンピックをキャンセルすべきだと示唆した)とあるが、「キャンセル」という言葉も響く。修辞的には「キャンセル」は「中止」とは違うとも言えるが、実質同じだろう。 「キャンセル

  • 「ちゅうちゅうたこかいな」: 極東ブログ

    今年、2月ごろだったか、弥生時代の硯の話題をよく見かけた。紀元前2世紀末から前1世紀ころに日ですでに国産の硯があったらしい。昨年の吉野ケ里遺跡展示室「むかしむかしの文房具」展でも展示されたと聞いた。硯があれば、文字もあったと考えるのは自然なことで、すると、弥生時代に日で文字が使われていたか? 当然、その文字は、当時の漢字であるには違いない(どう音価を与えていたかはわからない)。そしてもし弥生時代に文字があれば、以降の歴史を探るための文書・文献も出てくるのではないかと期待が膨らむが、その後続報も聞かない。古代史と文字の関連で言えば、稲荷山古墳出土鉄剣銘が5、6世紀。それ以前の、現状最古の日の文字というと、4世紀ごろの短甲に書かれた「田」とされるらしいが、これは定説には至っているともいえないだろう。 とはいえ、概ね、従来説でも5世紀の日には文字があっただろう。これが弥生時代の硯から推測

  • 新コロナウィルスでわかったこと: 極東ブログ

    新コロナウィルスでわかったこと、いや、正確に言えば、新型コロナウィルス騒ぎでわかったことだが、どうやら世の中にはニュースと言うものはないんじゃないだろうか。 もう何日前からだろう。あるいは数週間前からだろうか、毎日見るNHKの7時のニュースが、ほとんどニュースと言えるものではなくなってしまった。30分間のニュースだが、新型コロナウィルスの騒ぎとスポーツニュースと天気予報を除くと、残りはあと5分ほどだろうか。そこでは地方の話題やスケジュール通りの出来事の報告といった話で終わる。逆に言うのなら、新型コロナウィルス騒ぎとスポーツニュースと天気予報がなければ、いったいNHKのニュースは30分間に何を伝えるのだろう。 もちろん、新型コロナウィルスの話題が重要であることは間違いない。経済活動などに波及する要素についても重要だろう。横浜寄港のクルーズ船は各国でも重要な話題にもなっている。しかし、あえて言

  • ファイナル・シュクメルリ: 極東ブログ

    松屋のシュクメルリをべたあと、これなら作れるかなと思った。物のシュクメルリがどういうものかわからないが、shkmeruliで画像検索すると、グリルしたチキンにニンニクの効いたソースをかけているようにも見える。まあ、物がなんでもいいし、サツマイモ入れるというアイデアも面白いなと思って試作してみた。 イタリア料理に、名前を忘れたが、ニンニクをミルクで茹でてペーストにしたのがあったなと思い出し、あれをベースにしたらいいんじゃないかと作る。ニンニクの臭みが抜けて上品なものが出来てしまった。うーむ。松屋のシュクメルリはけっこう生ニンニクのにおいがきついので、弱めようと思ったら弱めすぎ。 次は、バーニャカウダの要領でオリーブオイルにニンニクの香りを移して作る。うーむ。ニンニクの効いたチキンクリームシチューみたいなものになる。 それから、ニンニクをスライスしてローストしてみたりもしたが、いまいち。

  • [書評] ぼくたちの離婚 (稲田豊史): 極東ブログ

    年の終わりに、昔のブログでよく流行っていたように、今年読んで感銘を受けたリストでも作ろうかと思ったが、なんとなく、機会を逸した。ただ、『ぼくたちの離婚 (稲田豊史)』は、奇妙に心に残った。 どういうかというと、対談をベースにしたルポではある。テーマは、離婚経験のある男性から見た、離婚の経緯や顛末である。徹頭徹尾、男側から見て、女側の言い分は聞かない。端から、公正さは狙っていない。男は離婚を、そしてつまるところ、女との結婚生活をどう見つめて、破綻したかということだ。そして、ルポにブレはない。が、同じく離婚経験者である著者は、なんとも言えない、インサイトというか受け止めを持って、離婚を語る男を見つめている。その視線も面白い。 で、つまるところなんなのか? 奇っ怪な世界なのだ。女というのはこんな奇っ怪な存在なのか? もちろん、そんなことはない。まして差別につながるようなことが言いたいわけで

  • 日産自動車元会長・カルロス・ゴーン被告の国外逃亡: 極東ブログ

    年末、日産自動車元会長・カルロス・ゴーン被告の国外逃亡という珍事というか、洋ドラのような話を聞いて、そう、まさに、洋ドラのように面白いなあと思ったのが、第一印象である。いやあ、まじでそういうことがあるんだなと。もちろん、保釈中に国外逃亡という事例が今回初めてというわけではないにせよ、これはさすがに面白すぎるだろう。 で、面白ろがっていていいのかだが、日の国法に対する挑戦であり、日国としては真面目に向き合っていかなくてはならないのは確かだ。が、現実問題、もう済んでしまったことであり、まあ、レバノンという国を考えれば、昭和な人の思いなら当然というべきか、もうどうとなるものでもない。ゴーン被告はもう晴れて自由の身というに近い。 さて、呑気なブロガーとしてこれをどう思うかというのを簡単に書いておきたい。というか、それなりに、正月でもあり、この問題をどう考えるべきか、と、おせち料理をつまみながら

  • WTO、運命の日は12月10日: 極東ブログ

    ろくでもない事態になることがわかっていて、どうにもならない、というのが現実というものだろうし、歴史の真なる姿というものはそういうものなのかもしれない、と呑気なこと言ってられない事態になった。12月10日がやってくる。WTO(世界貿易機関;World Trade Organization)が国家間の紛争解決で機能不全になる。ごく簡単に言うと、WTOが明日死ぬ。日時間だと明後日だろうか。残念だったなあ。 ニュースを確認にしておく。NHKニュース『WTO 紛争解決で初の機能不全に 委員選任 米の反対で難航』より。 WTO=世界貿易機関は10日、貿易紛争の解決が1995年の設立以来初めて、機能不全に陥る見通しとなりました。アメリカの反対で、紛争解決にあたる委員が選任できないためで、貿易をめぐる各国の対立は一層激しくなりそうです。 (中略) 貿易をめぐる対立が加盟国どうしの協議で解決できない場合、

  • 京急「踏切の600m手前から信号見えず」って大ニュースだろ?: 極東ブログ

    年を取ったせいか、大抵のニュースに驚かない。あるいは、驚くべきニュースなら、ニュースのほうで、事実より驚きを伝えてくれるので、まあ、そのお作法に則って驚いていればいいのだが、さらっとびっくりするようなニュースがあった。京急「踏切の600m手前から信号見えず」というのだ。おい、それは、驚くべき大ニュースだろ? 京急「踏切の600m手前から信号見えず」当初の説明と異なる 2019年11月12日 5時37分 ことし9月、横浜市で起きた京急線の脱線事故で、踏切内の異常を知らせる信号機について、当初、会社が説明していた踏切の600m手前からは運転士が目視で確認できないことが分かりました。京急は再発防止策として信号機の設置場所などを見直す方針です。 (中略) 京急は当初、踏切の600m手前から運転士が目視する事ができると説明していましたが、その後の会社の調査で、この地点からはカーブなどがあって目視で確

  • 漫画『宇崎ちゃんは遊びたい!』と日赤のコラボポスターについて: 極東ブログ

    赤十字社が献血PRとして作成した、漫画『宇崎ちゃんは遊びたい!』とコラボポスターがネットで話題というか、問題として議論を呼んでいた。ここでは、そうした議論を整理する意図はない。ただ、いちブロガーとして個人的見解を述べておこうと思う。 話題の発端は、次のTweetのようだ。該当ポスターが結果的にここに含まれている。 I admire the work the Red Cross does, which is why I’m disappointed that @JRCS_PR in Japan would run a campaign using the over-sexualized Uzaki-chan. There’s a time & a place for this stuff. This isn’t it. #women #metoo #kutoo pic.twitter.c

  • "フランスの高校生"は日本をどう見たか?: 極東ブログ

    今年の4月下旬のこと、パリ北部サン・ドニ地区『ポール・エリュアール高校』の二年生13人が山梨県富士吉田市の富士北稜高校の日研修プログラムに参加した。同市のホームページでは、こう説明されている。 現在、市では、フランス共和国との人的・経済的・文化的な相互交流や日人オリンピアンなどとの交流を図り、地域の活性化と観光振興などを推進するため、ホストタウン交流計画に基づき、地域一体で各種交流事業を積極的に展開しています。 こうした中、フランス共和国パリ北部のサン・ドニ地区にある『ポール・エリュアール高校』の生徒が海外での体験を有益なものとするため、地元の富士北稜高校との交流を図ることで、お互いの文化を経験する機会となりました。 日側から見ると、そう見えるだろうし、たぶん、ちょっと意地悪な言い方になるが、富士吉田市としては「地域の活性化と観光振興などを推進する」というクリシェくらいしか考えてい