新党さきがけの代表を務め、細川護煕、村山富市内閣で、内閣官房長官と蔵相(当時)を歴任した武村正義さんが9月28日、腎不全のため死去した。88歳。2度の政権交代に関わり、小選挙区制導入を柱とする選挙制度改革を進めたほか、小政党ながらキャスチングボートを握る新たな政治スタイルを実践した。 滋賀県の旧八日市町(現東近江市)出身。東京大を卒業後、自治省(現総務省)に入省。旧八日市市長を1期、滋賀県知事を3期務め、1986年に衆院選滋賀全県区で自民党公認で当選。小選挙区制下の滋賀2区時代も含め、4期連続で当選した。 93年の宮沢喜一内閣に対する不信任案可決に伴う衆院解散を機に、自身を含む10議員で自民党を離党し「新党さきがけ」を結成、党代表に就任した。直後の衆院選で「新党ブーム」に乗って躍進し、13議席を獲得。非自民8党派の連立による細川政権を樹立し、内閣官房長官に就任して、小選挙区比例代表並立制と