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ブックマーク / www.tapthepop.net (68)

  • パルプ・フィクション〜世界のポップカルチャーの記号になったタランティーノ

    『パルプ・フィクション』(Pulp Fiction/1994) デビュー作『レザボア・ドッグス』(1992)や脚作品『トゥルー・ロマンス』(1993)で「新しい才能の登場」として騒がれていたクエンティン・タランティーノが、世界的に脚光を浴びることになったのがカンヌ映画祭を制した『パルプ・フィクション』(Pulp Fiction/1994)だった。 一つの映画の中に3つの物語を入れて、犯罪映画のアンソロジーを作ろうと思ったんだ。1930〜40年代に流行った大衆犯罪小説(パルプ・フィクション)からヒントを得てね。そういった雑誌では、一つの話の主人公が別の話では脇役として登場していたりする。こういう手法って映画じゃまずないから面白いと思った。 映画音楽・コミックなど膨大なポップカルチャーを吸収分析するオタク/コレクター気質と、それを消化して自己表現へと変えていく作家性を併せ持つタランティーノ

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    advblog 2024/10/23
  • 昭和を駆け抜けた大スターの歌の原点にあったチェット・ベイカーへのリスペクト~「石原裕次郎 昭和太陽伝」

    映画界にデビューして大スターになる前から、石原裕次郎は“クールジャズの象徴”と言われたトランペット奏者、チェット・ベイカーを愛聴していた。 日では発売されていなかったレコードも、アメリカから輸入盤をとりよせて、ほとんどすべてを持っていたという。そしてとくに歌手として多大な影響を受けたのが、『チェット・ベイカー・シングス』というレコードだったと述べていた。 石原裕次郎の三十三回忌にあたる2019年7月17日に出版された評伝「石原裕次郎 昭和太陽伝」には、チェット・ベイカーのレコードにまつわるエピソードが紹介されている。 「石原裕次郎 昭和太陽伝」 著者の佐藤利明は石原裕次郎邸を訪ねた際に、まき子夫人に二階の「プレイルーム」に案内してもらった。 キャビネットには、裕次郎が愛聴した様々なLPレコードがあった。なかでも目を引いたのがチェット・ ベイカーのアルバム。一九五〇年代から断続的ではあるが

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    advblog 2024/05/13
  • プリンスの足跡〜アーティストとしての“自由と権利”を守り貫いた孤高の天才

    孤高の天才、プリンス(Prince)の足跡 1983年。マイケル・ジャクソンが『スリラー』で世界を席巻している頃、彼と同い年の二人のアーティストが翌年迎えることになる大ブレイクを前に、その魅力をゆっくりとポップミュージックの最前線に浸透させていた。 一人はニューヨークのダンスフロアを揺るがせていたデビューしたてのマドンナ。そしてもう一人は、1982年にリリースされたアルバム『1999』やシングル「Little Red Corvette」で初のTOP10ヒットを放っていたプリンス。その妖しげなルックスと独創的なサウンドで異端扱いを受けていたプリンスだったが、開局したばかりのMTVに慣れ親しんでいた若い世代ならみんなこう思ったはずだ。「この男はきっと何かをやってくれる」「次で必ず大きく化ける」と。 プリンス・ロジャー・ネルソンは、1958年6月7日にアメリカの中西部ミネソタ州ミネアポリスで生ま

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    advblog 2024/04/21
  • 
1987年はU2が遂にロックバンドの頂点へ、そしてカイリー・ミノーグがデビューした

    「TAP the CHART」第5回/1987年 まずはシングルとアルバムのビルボード年間チャートTOP 10から。 【1987年のBillboard年間チャート】 ★TOP 10 SINGLES ❶Walk Like an Egyptian/The Bangles ❷Alone/Heart ❸Shake You Down/Gregory Abbott ❹I Wanna Dance with Somebody (Who Loves Me)/Whitney Houston ❺Nothing’s Gonna Stop Us Now/Starship ❻C’est la Vie/Robbie Nevil ❼Here I Go Again/Whitesnake ❽The Way It Is/Bruce Hornsby & The Range ❾Shakedown/Bob Seger ❿Livin’

    
1987年はU2が遂にロックバンドの頂点へ、そしてカイリー・ミノーグがデビューした
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    advblog 2024/04/19
  • 1984〜数多くの音楽や映画に影響を与えたジョージ・オーウェルのディストピア世界|TAP the SCENE|TAP the POP

    『1984』(Nineteen Eighty-Four/1984) 2019年は平成の終わりと新元号、2020年は東京五輪開催と一大イベントを立て続けに控える日だが、我々はこの4つの数字(西暦)に時には弄ばれることが少なくない。 例えば世紀末の1999年はノストラダムスの大予言。音楽ファンにはプリンスの同名アルバムの方が重要かもしれない。2000年はミレニアムとしてカウントダウンイベントが世界各地で行われた。そして2001年といえばキューブリックの映画『2001年宇宙の旅』がある。 では、20世紀に目を向けてみよう。やはりまず思い浮かぶのが1984年ではないだろうか。ジョージ・オーウェルの同名ディストピア(反ユートピア)小説だ。このストーリーが他のカルチャーに与えた影響は大きく、デヴィッド・ボウイの『ダイアモンドの犬』や新進のアップルコンピュータが巨大企業IBMの独占に立ち向かう1983

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    advblog 2023/10/12
  • 炭坑節が生まれた風景〜Bluesと似たルーツを持つ日本の仕事唄

    この炭坑節(たんこうぶし)は、福岡県に伝わる民謡である。 現在の田川市が発祥で「月が出た出た月が出た、ヨイヨイ♪」のフレーズで全国的に知られるようになり、今では盆踊りの定番曲となっている。 この炭坑節、もともとは盆踊りの歌ではなく、座敷唄として歌われるような“春歌”だったともいわれている。 この歌が生まれた背景には一体なにがあったのだろう? まず、この歌のルーツは炭鉱労働者による仕事唄と言われている。 重労働で、落盤など生死に関わる事故も絶えないなか、切なさや苦しみを紛らわすため口ずさんだ。 それが大衆歌に変遷し今に伝わっている。 それはまるで、その昔ミシシッピ川とヤズー川に挟まれた地帯にあったアメリカで最初の綿農園ドッケリーファームで生まれたブルースの生い立ちと重なる部分がある。 農作業の際に歌われた「ワークソング」または「フィールドハラー」と呼ばれる労働歌がブルースの原型ということは広

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    advblog 2023/08/01
  • ラプソディ・イン・ブルー〜ジョージ・ガーシュインは短い生涯で大量の名曲を書き上げた

    アメリカ交響楽』(Rhapsody in Blue/1945) 1920〜30年代にポピュラー音楽とクラシック音楽の両面で活躍し、「アメリカ音楽を作り上げた作曲家」として知られるジョージ・ガーシュイン。「やりたいことが多すぎる」「失敗してる暇はない」「音楽が僕の生きている証」と人が言ったように、38年というその短い生涯で大量の名曲を書き上げた。 20世紀を代表する名曲「ラプソディ・イン・ブルー」「パリのアメリカ人」、オペラ「ポーギーとベス」をはじめ、スタンダードナンバー「バット・ノット・フォー・ミー」「エンブレイサブル・ユー」「ザ・マン・アイ・ラヴ」「ス・ワンダフル」といった元はブロードウェイ・ミュージカルのために作った歌まで、誰もが一度は耳にしたことがあるはずだ。 1898年9月26日、ロシア系ユダヤ人移民の次男としてニューヨークのブルックリンで生まれたジョージ・ガーシュインは、他の

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    advblog 2023/07/11
  • ルーファス・トーマスを偲んで〜底抜けに明るいキャラクターでメンフィスを元気にした男の功績と軌跡

    2001年12月15日、“The world’s oldest teenager(世界で一番歳を取った十代)”と呼ばれた人気黒人歌手ルーファス・トーマス(享年84)がテネシー州メンフィスの病院で静かに息を引き取った。 亡くなる3年前に心臓の手術を受けており、死因は心臓の衰弱からくる心不全と発表された。 ユーモラスな歌とダンスが特徴の「Walking The Dog」「Do The Funky Chicken」などの代表曲で幅広いファン層に親しまれた彼は、歌手としてだけではなくタップや漫才などマルチタレントぶりを発揮してお茶の間でも人気のエンターテイナーだった。 芸歴70年を超えた晩年でも、ステージではお馴染みのホットパンツ姿で登場して観客を沸かせていたという。 1917年、彼はミシシッピ州にあるケイスという小さな町で生まれた。 彼が3歳の頃に一家は仕事を求めてテネシー州メンフィスへと移り住

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    advblog 2022/12/16
  • オアシス:スーパーソニック〜1996年8月10日に世界の頂点に立ったギャラガー兄弟

    『オアシス:スーパーソニック』(Oasis:Supersonic/2016) 日でも公開された映画『オアシス:スーパーソニック』(Oasis:Supersonic/2016)は、2009年に解散した史上最高の英国バンドの一つ、オアシスの真の姿に追った良質なロック・ドキュメンタリー。製作総指揮はギャラガー兄弟。 90年代前半。アメリカではそれまでの商業音楽の象徴だったヘヴィ・メタルやベテラン勢の計算され尽くしたサウンドを否定するように、ニルヴァーナやパール・ジャムらのグランジ勢を筆頭とする荒々しいオルタナティヴ・ロックが隆盛。グリーン・デイらのポップ・パンクも脚光を浴びる。 こうしてロックが着実に復権されていく中、イギリスからの回答がオアシスだったのだ。1994年4月5日、ニルヴァーナのカート・コバーンが自殺してから6日後の11日。オアシスは「Supersonic」でデビューした。 中産階

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    advblog 2021/08/10
  • 叫び続けて30年~孤高のパンク・バンドeastern youthが伝えること|ミュージックソムリエ|TAP the POP

    「みんなひとつになって盛り上がろうぜ!」と全員で拳を突き上げ、一体感を味わうことも、ロックのライブの楽しみ方だろう。 だがその一方で「音楽でひとつにならなくたっていい」と、常にライブのMCで語り続けてきたのが、eastern youthの吉野寿だ。 「ロックでひとつになるために歌っているわけではなく、ロックで“個”を取り戻すために歌っている」と語り、個であることの大切さを説く。 ひとつの価値観を押し付けて、そこからはみ出る者を阻害するような社会に対して、抗い、叫び続けてきたのがeastern youthの音楽だ。孤独や不安も飾らずにまっすぐ歌い続けてきたその姿勢が、今にわかに若者の注目を集めている。 きっかけは2018年のフジロック・フェスティバルだ。 出演したeastern youthのライブをたまたま観た者に加えて、インターネットで同時配信されたライブ映像や、動画配信サイトに投稿された

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    advblog 2019/09/27
  • スリーピースバンドの世界〜最強の“3人組”は?(前編)

    あなたにとって最強の3人組は? 4人組や5人組のイメージが強いロックバンドの世界。だが歴史を振り返る時、忘れてはならないのが3人組。今回は1960〜ゼロ年代に活躍したスリーピースバンドに絞って、思いつくままにラインナップしてみた。まずは前編10組を。 ジミ・ヘンドリックス・エクスペリエンス 衝撃度という意味ではダントツか。バンド名の通り、どの映像もジミヘンが目立ってしまうが、ノエルやミッチのプレイも凄い。 Jimi Hendrix Noel Redding Mitch Mitchell クリーム ジミヘンと同時期に結成されたスーパーグループの草分け。こちらにはクラプトン。 Ginger Baker Jack Bruce Eric Clapton

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    advblog 2019/09/26
  • グリーン・デイと出会って一瞬にしてふっ飛んだ峯田和伸の憂鬱とけだるさ

    1994年。峯田和伸は自転車で片道30分のところにある共学の高校に通う、見た目は普通の高校二年生だった。 だが彼の部屋の壁には音楽雑誌「ミュージックライフ」や「ロッキング」などから切り取ったニルヴァーナのカート・コバーンの写真が、無造作にのりでベタベタ貼ってあった。 そんな峯田が自宅に届いた地元紙の山形新聞で「人気ロック歌手が死亡。自殺の可能性あり」という記事を目にしたのは4月のことだ。 “人気ロック歌手”とはカート・コバーンのことだった。4月8日の朝に遺体が発見され、亡くなったのは4月5日頃と報じられていた。 峯田が受けたショックは当然のことながら大きかった。 あんなに毎日CDを聴いて、歌詞を自分なりの解釈で和訳してノートにまで書いて、あんなに憧れてた人が、いとも簡単にこの世から姿を消してしまった。 峯田は学校に行っても一回も教科書を開かずに、ニルヴァーナの『NEVERMIND』と『IN

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    advblog 2019/06/27
  • 忌野清志郎が「ホリプロ三羽ガラス」だった頃に初めて経験した”全国ツアーみたいなもの”

    「ぼくの好きな〜」がヒットする前後、オレたちは初めて全国ツアーみたいなものを経験したよ。楽しかった。~忌野清志郎 1971年に「月光仮面」をヒットさせたモップスが、井上陽水とRCサクセションを前座に連れて全国をコンサートで回ったのは、その年の秋から翌年にかけてのことだった。 一緒にまわった忌野清志郎がその時の経験について、以下の発言を残しているのだが、自分たちのことを「ホリプロ三羽ガラス」と自称していたことには驚かされる。 テレビのオーディション番組『スター誕生!』出身の森昌子がデビューしたのは1972年の7月で、その翌年になって石川さゆり、山口百恵からなる「ホリプロ3人娘」が出揃うのは、”全国ツアーみたいなもの”が終わってから1年以上も後のことなのだ。 モップス…、そう、あの鈴木ヒロミツが在籍していたバンド。それと今、アレンジャーやってる星勝もいた。モップスは「月光仮面」がヒットしてさ、

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  • マルホランド・ドライブ〜“こんなはずではない自分”が作り出す美しく呪われた世界

    『マルホランド・ドライブ』(Mulholland Drive/2001) 前回の『ロスト・ハイウェイ』では、『ブルー・ベルベット』『ツイン・ピークス』『ワイルド・アット・ハート』といったデヴィッド・リンチ作品で“やられた”人は決して少なくないと書いた。だとすれば、今回の『マルホランド・ドライブ』(Mulholland Drive/2001)は、“完全にやられた”人が続出した映画だった。 アイデアがやってくる時は巨大な閃光のような力を伴ってやってくる。そしてすべてのものがその中に取り込まれてしまい、魂を揺さぶる。その時点から何をすべきか知る。それが完成だ。 「リンチ世界の集大成」や「リンチの最高傑作」などと評価される作は、いつもより増して謎が多いことでも話題になった。だが、リンチ映画に“理解・解決”を求めるのは野暮というもの。そういう観点で物事を測り始めたら、デヴィッド・リンチは背を向けて

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    advblog 2019/04/14
  • 追悼・内田裕也~売れていないRCサクセションをフェスティバルに出して多くのロック・リスナーに紹介したプロデューサー

    Home Extra便 追悼・内田裕也~売れていないRCサクセションをフェスティバルに出して多くのロック・リスナーに紹介したプロデューサー - TAP the POP RCサクセションは1979年の夏に、3年ぶりのシングル「STEP!」を発売した。しかし、プロモーションに力を入れた割に、レコードはまったく売れずに終わってしまった。 だからその時点の彼らは、「以前にフォークソングを唄っていたグループが、パンク・バンドみたいになった」という表層の変化だけで受け取られた。 忌野清志郎を手掛けたい一心でキティ・レコードに入社した森川欣信は、当時のもどかしい思いや口惜しさを、ディレクターの立場からこのように述べていた。 たとえ年齢とかにギャップがあったって、そんなこと問題にならないサイキックなパワーを彼らを観るたびに感じた。でもRCはずいぶん不当な扱いを受けていた。79年の夏は、いろんなオムニバス・

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    advblog 2019/03/21
  • 音楽史のターニングポイント「ロックは日本語で歌うべきか、英語で歌うべきか」の論争

    Home Extra便 音楽史のターニングポイント「ロックは日語で歌うべきか、英語で歌うべきか」の論争 - TAP the POP 今からもう50年ほど昔のことになるが、ある座談会をきっかけにして、”日語のロック”について真剣な論争が起こった。 「ロックは日語で歌うべきか、英語で歌うべきか」 今になって振り返れば、その論争は歴史の必然だったということがわかる。 タウン誌の先駆けとなった「新宿プレイマップ」1970年10月号に掲載されたその座談会は、「喧論戦シリーズ②ニューロック」と題されていた。 いわゆる”日語のロック論争”と言われたのは1971年になってからのことで、ロック批評を標榜する雑誌「ニューミュージック・マガジン」に発表の場を移した後になる。 しかし発端になった「新宿プレイマップ」の誌面からは、実に生真面目な話し合いだったことが伝わってきた。 座談会に出席したのは内田裕也

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    advblog 2019/03/18
  • 松重 豊 スペシャル・インタビュー【後編】音楽好きとしての飽くなき好奇心 そして、甲本ヒロトとの友情を語る

    「超」がつくほどの音楽偏愛俳優・松重豊さん。彼がパーソナリティを務めるラジオ番組『深夜の音楽堂』(Fm yokohama・毎週火曜深夜0:30より放送中)は、TAP the POPでも紹介してきた音楽がたくさん流れていたりと、最近では珍しいぐらいに骨太な音楽番組です。 勝手にシンパシーを感じてしまったTAP編集部は、番組収録後のスタジオに直撃し、松重さんに取材を敢行! スペシャル・インタビュー後編では、フットワーク軽くライブ現場にも足を運ぶ、音楽リスナーとしての柔軟さの秘密、そして長年の友人である甲ヒロトさんとの関係について、たっぷり語ってもらいました。 松重豊 スペシャル・インタビュー前編はコチラ 取材・文/宮内 健 松重 豊(まつしげ・ゆたか) 1963年福岡県出身。蜷川スタジオを経て、映画、舞台、ドラマなど幅広く活躍する俳優。2012年に放送開始した連続TVドラマ初主演作『孤独の

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    advblog 2019/01/04
  • 松重 豊 スペシャル・インタビュー【前編】パンクからはじまった音楽遍歴と、音楽でつながる家族の絆を語る

    ドラマ『孤独のグルメ』をはじめ、テレビ映画、舞台と八面六臂の大活躍をみせる俳優・松重豊さん。実は無類の音楽好きだってご存知でしたか? 松重さんがパーソナリティを務めるラジオ番組『深夜の音楽堂』(Fm yokohama・毎週火曜深夜0:30より放送中)は、T字路s、Rei、cero、片想い、NakamuraEmi……などなど、TAP the POPでも紹介してきた気鋭のアーティストたちを次々にゲストに招き、ディープな音楽談義を展開。流行に流されない芯のある音楽を毎回たくさん紹介している、最近では珍しいほどに骨太な音楽番組なんです。 自分を育んだルーツにある音楽を大事にしながら、50代半ばを超えた現在も、新しい音楽を貪欲なまでに漁り続けている松重豊さんは、TAP the POPが考える理想のリスナー像だ! ということで、サイト開設5周年を記念してスペシャル・インタビューを敢行。ラジオ番組収

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    advblog 2019/01/02
  • イギリスでも無名だったクイーンを日本で売り出すことを決めて意欲を燃やしたプロデューサー・渡邊晋の慧眼

    Home Extra便 イギリスでも無名だったクイーンを日で売り出すことを決めて意欲を燃やしたプロデューサー・渡邊晋の慧眼 - TAP the POP クイーンが国のイギリスでデビューしたのは1973年7月だったが、シングル「炎のロックンロール」もアルバム『戦慄の王女』も、マーケットではほとんど反応がないままメディアからは酷評されてしまった。 しかし、まだアルバムが発売になる直前の5月の段階で、その後の彼らの運命にも影響を与えたふたりの日人が、人たちの預かり知らないところで、日における売り出し方に思いをめぐらせ始めていた。 ことの発端となったのは、拡大する日音楽マーケットに関して、渡辺プロダクションの創業者で社長だった渡邊晋と、副社長で夫人の美佐のもとへ、欧米のレコード会社や音楽出版社、アーティストのエージェントなどから様々な共同事業の提案が持ち込まれていたことだった。 渡辺

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    advblog 2018/11/24
  • ガープの世界〜“人生のアップデート”を力強く優しく描いたミリオンセラー小説の映画化|TAP the SCENE|TAP the POP

    『ガープの世界』(The World According to Garp/1982) 一度観た映画を観直す人は少なくないと思う。「あの映画、また観たいな」と積極的にストリーミングサービスを利用したり、DVDを購入・レンタルする場合。そしてたまたまテレビの深夜放送を眺めていた時や、無料だからといって何となく視聴ボタンをクリック・タップしてしまう場合。特に後者は「あったな、この映画」のような感覚で突然懐かい気持ちになり、当時の自分を思い浮かべたりする。期待感がなかったぶん、どこか心地良さにも包まれる。 『ガープの世界』(The World According to Garp/1982)はまさにそんな映画だった。主人公ガープの数奇な人生を断片的なエピソードで描いていくこの物語は、性的・社会的な暴力に対する怒りのテーマが色濃い反面、子供好きで愛家という家庭回帰の幸福感も貫かれている。ハッピーエン

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    advblog 2018/11/21