鈴木光司さんの新刊『鋼鉄の叫び』(角川書店)を読んだ。私は科学作家だが、科学ジャーナリズム関係の人とのつきあいもなく、かといって作家仲間とのつきあいもほとんどない。文字通りの一匹狼なのだが、鈴木光司さんとは妙に馬が合い、月に一度は食事をしながら、四方山話をする。 鈴木光司さんの前作『エッジ』は、現代物理学がテーマの作品だったが、『鋼鉄の叫び』は1945年と1996年を舞台に、自らの意思で特攻から生還することを選んだ男と、その人生を追うテレビ・ディレクターの運命が息もつかせぬ展開で描かれる。 なんで、そのような「戦争物」の小説をこのコラムで取り上げているかというと、この作品に底流するテーマが、どう考えても「科学的合理主義」としか思えないからである。いつも2人で、物理学から日本が抱える諸問題まで、あらゆることを論じているから分かるのだが、鈴木光司という作家は、ひたすら「合理的」に思考し、不合理