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:宇野常寛に関するakihiko810のブックマーク (96)

  • SYNODOS JOURNAL : 宇野常寛インタビュー(3) ビッグ・ブラザーからリトル・ピープルへ、社会への想像力を拡張するために

    2011/8/2013:4 宇野常寛インタビュー(3) ビッグ・ブラザーからリトル・ピープルへ、社会への想像力を拡張するために ■放射能という「みえない脅威」がぼくらの日常を半歩ずらしていく感覚 もちろん、これはゲームにかぎった話ではない。アニメで考えても80年代のアニメブーム時は昔の「ガンダム」のような架空年代記ものや、「ナウシカ」「AKIRA」のようなハルマゲドンものがシーンの中心にあった。これらは(革命を失った)若者たちに「大きな物語」を保証するファンタジーとして受容されていたと思うんですよね。のちのオウム真理教への影響ひとつとっても。しかし、現代において同じ位置にあるのは学園的な日常にファンタジー要素が入り込む作品やいわゆる「空気系」とか「日常系」とか呼ばれる作品群になっている。 そしてこの「拡張現実」をキーワードに新しい「政治と文学」の関係を記述できるんじゃないのかというのが、こ

  • 宇野常寛と脱洗脳――小さな成熟へ向かって - A Mental Hell’s Angel

    宇野常寛は東浩紀ファンを非モテ理論武装系レイプファンタジー人間として批判した。最初からレイプしたいのにそれを倫理的に偽装しているという捻れの問題化である。東からその実在性を再批判されていたが、Twitter、ブログ、オフ会などの僕の観測範囲内では、実在すると言って良い。東クラスタは私見では非モテかメンヘラ女子ハンターが多いように思われる。ちなみにザ☆ルサンチマンハンター小野というWEB漫画があるのだが、これは宇野常寛とその周辺の言説空間への批評として優れている。http://rusahan.web.fc2.com/ 宇野常寛はルサンチマンに対して「小さな成熟」を推奨する。例えば卑近な例を挙げれば、もし当は三次元の女と付き合いたいのに自分に嘘をついてエロゲをやっているのだとすれば、「素直」にそれを口にし漸進的に努力すべきだということである。これは決断主義的トークラジオAliveにて何度も主

  • 「格差を超えて 僕らの新たな働き方」番組収録後インタビュー:宇野常寛 | 語った | ジレンマ+

    ――「格差を超えて 僕らの新たな働き方」で、他の出演者のコメントで印象的だったもの、また特に伝えたかったことを教えてください。 宇野 安藤美冬さんが「私は格差について実感がない」とおっしゃったことですね。こういう番組に出るとみんな“いい子ちゃん”になりたいから、そうは言わないですよね。でも、彼女は言った。その一点をもって、僕は彼女を信用します。いちばん印象的だったことをピックアップするなら、そこですね。こういう議論をすると必ず「俺は当の弱者を知っているぜ」というカードを切って優位に立とうとする人が出てくる。でも、そういう人に限って「じゃあ自分は?」と聞かれると何も言えなかったりする。だから、こういうときは正直に自分の立場はこうだ、だからこう見えている/見えないでいる、って話すしかないと思うんです。 ――個人を変えることと社会を変えることをつなげるのは難しい、という話の中で、「昼の世界と夜

    「格差を超えて 僕らの新たな働き方」番組収録後インタビュー:宇野常寛 | 語った | ジレンマ+
  • 「ゼロ年代の想像力」My view

    「自分とは何か」 人生にはそういう問いがある。そういう苦しみがある。自我の重さ。自分の重さ。自分が生きるとはどういうことか。そういうことを悩んでしまう人がいる。 このはそのような悩みを持つ少年が自分の悩みを老師にたずねるという形のだ。著者は禅僧である。しかし、このはいわゆる仏教の解説書や禅の紹介ではない。上に書いた問いの問答だけで、第一夜から第七夜という形で構成されている。このの粋が最後の第七夜に詰まっている。 第七夜の老師の印象的なことばを紹介しよう。 『 自分が存在するのではない。存在するのだ。自分が生きているのではない。生きているのだ。問いはそこから始まる。自分からではない。』 『 そうだ。君は誰が、と問いたいのであろう。それは誰でもない。「自分」とは「誰が」に問いに対する答えになるような何ものかではない。それは「人間」と呼ばれるあるものが、存在するときに必要な器に過ぎない

    「ゼロ年代の想像力」My view
    akihiko810
    akihiko810 2012/10/15
    ゼロ年代の想像力/宇野常寛
  • 宇野常寛について――宇野常寛/國分功一郎「個人と世界をつなぐもの」を読む1 - 平岡公彦のボードレール翻訳ノート

    『すばる』2012年2月号に掲載された批評家の宇野常寛と哲学者の國分功一郎の対談「個人と世界をつなぐもの」を読んだ。 すばる 2012年 02月号 [雑誌] 出版社/メーカー: 集英社発売日: 2012/01/06メディア: 雑誌購入: 2人 クリック: 19回この商品を含むブログ (4件) を見る 対談の内容は、昨年2011年に刊行された宇野の『リトル・ピープルの時代』(幻冬舎)と國分の『暇と退屈の倫理学』(朝日出版社)のプロモーションをしつつ、そこで論じられている個別の論点について意見交換をするというオーソドックスなものだ。とはいえ、なかにはかなり突っ込んだ議論もあり、とりわけ消費社会については、宇野と國分の見解は真っ向から対立しており、どちらの著者の読者にとっても興味深い対談になっていると言えるだろう。 宇野常寛という批評家について この対談を読むまで、宇野常寛という批評家に対する私

    宇野常寛について――宇野常寛/國分功一郎「個人と世界をつなぐもの」を読む1 - 平岡公彦のボードレール翻訳ノート
  • 矢野利裕のEdutainment:宇野常寛「郊外文学論――東京から遠く離れて」について - livedoor Blog(ブログ)

    2011年03月31日 宇野常寛「郊外文学論――東京から遠く離れて」について 『思想地図β』収録の宇野常寛「郊外文学論――東京から遠く離れて」を読んだときの意見レジュメを以前書いたが、とくに前提となる前半部への疑問をここに挙げておきたいと思います。 * 宇野による現在の社会認識は以下のようなものである。 鉄道網と連動し老舗のデパートと昔ながらの商店街の支える地方「都市」から、ロードサイドの大型ショッピングセンターを中心に形成された地方「郊外」へ――日の地方(田舎)の風景は大きく「郊外」のそれに傾き、その結果どこへ行っても、いやどこまで走っても「同じ」風景が並んでいる。もはや私たちはオートバイや車を手に入れても容易に〈ここではない、どこか〉へは行けないのだ。どこまで走っても〈いま、ここ〉と同じなのだから。 そして、「現代の文化を象徴する空間は、固有名をもった特定の都市ではなく、名もなき「郊

  • 宇野常寛・中森明夫=対談「危機の時代の批評」 | PLANETS/宇野常寛 第二次惑星開発委員会

    評論家の宇野常寛氏が、『ゼロ年代の想像力』以来3年ぶりに、単著の評論『リトル・ピープルの時代』(幻冬舎)を上梓した。2001年以降の世界を、表題にある「リトル・ピープルの時代」と位置づけ、それ以前の「ビック・ブラザーの時代」と峻別し、現代における想像力について、鋭く考察した注目の書である。村上春樹作品の分析にはじまり、日のサブカルチャー分析を通して、これからの社会を変革するビジョンを構想する。刊行以来、インターネット上では既に大きな反響を呼んでいるが、宇野氏と、評論家の中森明夫氏に対談をしてもらった。 (「読書人」編集部) 「01年以降の想像力」 中森 宇野さんとは、3年前の夏、『ゼロ年代の想像力』(以下『ゼロ想』と略)が出た時に、青山ブックセンターで公開の対話をしたんですよね。評論の単著としては『リトル・ピープルの時代』が2冊目で、今度のに3年間を費やした経緯から、お話しいただけます

  • [書評]リトル・ピープルの時代(宇野常寛): 極東ブログ

    「リトル・ピープルの時代」(参照)で宇野常寛が展望する現在世界の見取り図は、理解しやすい簡素な構図で出来ている。 1948年にジョージ・オーウェルが著した「1984」(参照)の「ビッグ・ブラザーの世界」は、2009/2010年に村上春樹が「1Q84」(参照)で描いた「リトル・ピープルの時代」に変貌したということだ。では、ビッグ・ブラザーとはなにか。リトル・ピープルとはなにか。 ビッグ・ブラザー(偉大なる兄弟)は、オーウェルの脳裏ではスターリンだった。有田芳生氏の名前の由来となった「ヨシフ・スターリン(Joseph Stalin)」である。同志スターリンとも呼ばれたものだった。その他に毛沢東もビッグ・ブラザーであり、金正日もそうだ。カダフィーもそうだと言ってよい。大衆の前に写真で大きく掲げらる。全体主義国家の独裁者と理解されることが多い。 だが独裁的な国家の内側では慈父として信奉される。ある

  • 【宇野常寛氏インタビュー】ネット登場以降の変化に批評はどう応じるのか――2010年カルチャーを通じて考える

    雑誌『サイゾー』の人気連載「月刊カルチャー時評」。その連載に新規コンテンツも加えて、2010年末に刊行されたのが『PRELUDE 2011』だ。映画漫画、ドラマ、アニメ、小説などの2010年カルチャーについて、多くの若手の論者が語り尽くした書。この『PRELUDE 2011』を仕掛けた、批評誌〈PLANETS〉編集長・宇野常寛氏にその内容を中心にお話を伺った。 文化文化批評が追いついていない ――『PRELUDE 2011』は、現在も『サイゾー』で連載している「月刊カルチャー時評」がベースになっています。『サイゾー』でこの連載を始められた経緯を教えて下さい。 宇野常寛(以下、宇野氏)■もともと、僕は創刊号から買っていたくらい『サイゾー』が好きで、仕事ではなく趣味で物書きをやっていたころから『サイゾー』編集部には出入りしていたんです。(初代編集長の)小林弘人さんは僕の尊敬する編集者の1

    【宇野常寛氏インタビュー】ネット登場以降の変化に批評はどう応じるのか――2010年カルチャーを通じて考える
  • 速水健朗×宇野常寛トークセッション - m-sakane’s diary

    《STUDIOVOICE ONLINE&界遊》プレゼンツ ミニコミ2.0 「誰でもメディア」時代の雑誌 ■ 出演 速水健朗(フリーランス編集者・ライター) 宇野常寛(批評家) 武田俊 〔司会〕(KAI-YOU代表) ■ 日時: 2009年12月21日(月)18:40〜20:30 ■ 会場 : ジュンク堂書店新宿店8階喫茶コーナー 《感想文:宇野は手ごわい》 「宇野は手ごわい」 この一言に尽きます。 会場でツイッターをやっている人が数人いて、(なんと津田大介さんもいた!)リアルタイムで「宇野、佐々木敦をディスる」とか報道されていたのでしょうか? 確かにそういう話も出たのですが、宇野さんの竹を割ったような物言いは、全然不快ではなく、速水さんがうまくフォローしていたので文脈を読み違えることもありませんでした。 宇野さんはサブカルチャー志向が強く、佐々木敦さんはハイカルチャー志向が強いという違いは

    速水健朗×宇野常寛トークセッション - m-sakane’s diary
  • 外部なき時代の祈りの場所について - 未来回路製作所 Hatena店

    宇野常寛氏の新著『リトル・ピープルの時代』を読んだ。前作の『ゼロ年代の想像力』から約3年、久々の単著だ。基的な主張の軸は前作と変わらないが、変化として感じられたことの一つは、「大きなもの」への想像力を取り戻す思考を目指す、という志向性だ。 『ゼロ年代の想像力』においても宮台真司氏らの指摘があったが、宇野氏の言説は現代の政治哲学の先端と響き合っているといわれるが、今回の新著ではまったくクラスタが異なると考えられているとある政治哲学の主張との奇妙な響き合いを感じずにはいられなかった。 いささかアクテュアリティに乏しいと思われるかもしれないが、その主張がもっとも象徴的に現れているのはネグリ=ハートの『〈帝国〉』(原題『Empire』)という著作である。原書は2001年に、邦訳版では2003年に発行されている。 この両者は多くの共通点を有してるように思われる。 まず決定的に似ていると思ったのは、

    外部なき時代の祈りの場所について - 未来回路製作所 Hatena店
  • 矢野利裕のEdutainment:最近の傾向?――宇野常寛『リトル・ピープルの時代』 - livedoor Blog(ブログ)

    2011年08月07日 最近の傾向?――宇野常寛『リトル・ピープルの時代』 宇野常寛『リトル・ピープルの時代』(幻冬舎)を読んだ。第3章の「拡張現実の時代なのだ」という問題設定のみとても同意だけど、全体的に、うーん、これはちょっとあまりにも論点先取なのではないか、と思った。すなわち、宇野のなかで、「大きな物語」の失効と「小さな物語」の乱立と、島宇宙間の暴力性という、『ゼロ年代の想像力』と同じ図式の問題があって(今回は、それが「ビッグ・ブラザーの壊死」と「リトル・ピープルの時代」、「だれもが〈父〉にならざるをえない」という形に言い換えられている)、その反映具合で作品の読み方なり評価なりが決まる、ということだ。この「大きな物語」云々の話は、もちろん大塚英二―東浩紀がリオタールを紹介しながら展開した議論に由来するのだが、ちょっとギデンズが入り込んでいる、というかたぶん宮台真司的な考えの色濃い影響

  •  リトル・ピープルの時代 - カオスの縁――無節操備忘録

    リトル・ピープルの時代 作者: 宇野常寛出版社/メーカー: 幻冬舎発売日: 2011/07/28メディア: 単行購入: 10人 クリック: 362回この商品を含むブログ (85件) を見る 久しぶりに、発売日が楽しみなでした。 そして、充実した読書時間を過ごせました。 私はそもそも、『ゼロ年代の想像力』以降の宇野常寛氏の動向について懸念を持っていましたし、もっと言えば心配していました。 それは『ゼロ年代〜』で提出されたモデル、「決断主義」「バトルロワイヤル」というタームが、時代の空気を的確に掴んでいて、とても汎用性があり、どんな作品を評する際にもおおよそ援用可能で――要するに便利すぎるものだったからです。 宇野氏が雑誌で作品短評のようなものを載せている際も、このモデルを元に発言しているのを何度か見かけましたし。 宇野氏が、今後ずっとこの「決断主義」のモデルを作品を単に当てはめ、このモデ

     リトル・ピープルの時代 - カオスの縁――無節操備忘録
  • リトル・ピープルの時代ーリトル・ピープルの時代。ビッグブラザーは死んだ? いえいえ【ネオ】ビッグブラザーも考えないと。 -Book Letter | 新書、ビジネス本の紹介サイト。

    Book Letter新書、ビジネスのまとめサイト Home Letter Special Works About リトル・ブラザー。小さな父親。 ビッグブラザー=大きな物語だけしか手にできない時代。 そんな時代はもう終わり。はい、終ー了。 今は誰しもが「物語」を作れる時代。ビッグブラザーなんか怖くない。 「俺たちが世界をつくっていく!」そんな時代。 でもね、その「功罪」はしっかり考えなきゃいけない。 誰もが「メディア」になれる時代は、ちょっと怖い。 Over View いよいよ誰もが父になれる時代がやってきた——。今までは上から降ってくる「大きな物語」を消費するだけしか選択肢は無かった。だけど、今や誰しもが「小さな物語」を創りだし「表に出す」選択肢をとることができる。情報はもはやデータベースにすぎず、自分の好きなカタチに加工する「遊び」に徹するヒトが増えている。小さな小さなメディアが大

  • 『リトル・ピープルの時代』と『ゴーストの条件』を読み比べる - ピアノ・ファイア

    リトル・ピープルの時代 宇野 常寛 幻冬舎 2011-07-28 売り上げランキング : 585 Amazonで詳しく見る by G-Tools ゴーストの条件 クラウドを巡礼する想像力 (講談社BOX) 村上 裕一 講談社 2011-09-02 売り上げランキング : 1469 Amazonで詳しく見る by G-Tools 8月を挟んで、ごく近い時期に出た二冊の評論書があります。 前者『リトル・ピープルの時代』(著者は宇野常寛)は社会反映論、後者『ゴーストの条件』(著者は村上裕一)はサブカル評論に寄って書かれたと言えるでしょうか。 しかし、どちらも「キャラクター論」に大きく紙幅を割いているという共通点があります。そしてそれは、『ゴーストの条件』においてより顕著です。 そんな二冊ですが、奇しくも両者の中に、字面の点では共通する術語、しかしその意味するところでは異なる術語が登場しているこ

    『リトル・ピープルの時代』と『ゴーストの条件』を読み比べる - ピアノ・ファイア
  • sisou chizu vol.4

    akihiko810
    akihiko810 2011/08/28
    新エヴァ 座談会】物語とアニメーションの未来 (東浩紀+宇野常寛+黒瀬陽平+氷川竜介+山本寛)
  • 『ゼロ年代の想像力』を読んで腹を立てた人のために(再加筆版) - 白鳥のめがね

    ※件のを冷静に読みたい方は、まず(↓)をお読みください(5月27日追記)。 『ゼロ年代の想像力』を読み直すためのレッスン+++ - 白鳥のめがね このから学べることは、こんなパフォーマンスに需要があると思われるほど文化的状況は貧しいことになってしまっているということではないだろうか。まずそれを直視しておきたい。 ゼロ年代の想像力 作者: 宇野常寛出版社/メーカー: 早川書房発売日: 2008/07/25メディア: ハードカバー購入: 41人 クリック: 1,089回この商品を含むブログ (263件) を見る 文化的状況の貧しさに徒手空拳で立ち向かう著者の努力とある種の真摯さには一定の敬意を払わなければならないだろうが、だからこそ、批判的な検討をもってエールとしたい*1。 以下、このの特徴の幾つかについて触れ、まず、あくまで著者自身が要請している倫理と論理を徹底することによって、この

    『ゼロ年代の想像力』を読んで腹を立てた人のために(再加筆版) - 白鳥のめがね
  • 碇シンジでは夜神月は止められない。だが―― - とくめー雑記(ハーレム万歳)

    21日付エントリで、私は、90年代的「萌えオタのルール」「セカイ系のルール」と00年代的「中二病のルール」を、図表化して対比してみました。 どういう「意味」を持つのか整理できてない、と21日には書いたけれど、こうやって図にしてみると、多少いろいろなものが見えてきます。それをちょろっと書いてみましょう。 『ゼロ年代の想像力』のテーマに対する、とくめーの回答みたいなエントリになってしまいました。 90年代的なものとゼロ年代的なものを比較する(09,06/22版) 90年代的作品の傾向 ゼロ年代的作品の傾向 ムーヴメント 90年代葉鍵系ブーム 90年代セカイ系ブーム 00年代異能バトル系諸作品 原風景 能天気な80年代 バカ騒ぎのバブル バカ騒ぎのバブル 暗い90年代 暗い90年代 空虚な00年代 ベースとなった文化 サンデー・少女漫画 アニメ・ブンガク ジャンプ・新格 ファンの世代 オタク

    碇シンジでは夜神月は止められない。だが―― - とくめー雑記(ハーレム万歳)
  • SYNODOS JOURNAL : 宇野常寛インタビュー(1) ビッグ・ブラザーからリトル・ピープルへ、社会への想像力を拡張するために

    2011/8/2012:58 宇野常寛インタビュー(1) ビッグ・ブラザーからリトル・ピープルへ、社会への想像力を拡張するために 東日大震災という経験をいかに描くか。3.11以後、さまざまな報道関係者や専門家が、多くの懐疑のまなざしを向けられながらも、その問いとの格闘をつづけている。もちろん、山積みとなった社会問題の解決策を提示する作業がすみやかに求められる一方で、「いまはどのような社会であり、これからどのような社会を生きるべきか/作るべきか」という「想像力」のあり方もまた、つねに研鑽されなくてはならないものだ。評論家・宇野常寛氏はデビュー以来、数多のコンテンツ分析などを通じて、「想像力」の変遷を描いてきた。その宇野氏は3.11以降、何を思考しているのか。『リトル・ピープルの時代』刊行に合わせ、インタビューを行うことにした。■日のポップカルチャーにこそ21世紀的な問いがある ――『リト

    akihiko810
    akihiko810 2011/08/20
    >「いま、ここ」に留まったままゲームのルールを書き換えるための想像力の行使 表現がコミュニケーションの一部になっている
  • 理系でも分かる!宇野常寛氏の新刊を読んでみた - はてなポイント3万を使い切るまで死なない日記

    最近、理系も人文系のを読もう運動を提唱している僕ですが、とはいっても自分自身もここ数年で大塚英志氏と東浩紀氏のの何冊かをちょっと読んだというぐらいだから、語る資格は来ない。 とはいえ似た境遇にある理系的な人間の人文書アレルギーを多少は解消する助けになることは書けるかもしれないと思い、最近、話題になっているらしい宇野常寛氏(以下敬称略)の新刊「リトル・ピープルの時代」の感想などを理系人間的に試みてみたい。 最初に断っておくが、このは数年前の僕だと読めなかった類のものだ。しかし、慣れたのか、いまはなんとなく内容が理解できる気がする。実はこのは献されたらしく、ある朝、ひさしぶりに会社に来たら机の上に置いてあった。筆者なのか出版社なのかわからないが、僕なんかに読ませてどうしようというのか。だいたい、貰わなくても自分で買うつもりだったから売上げを一冊減らしていることになる。申し訳ないから

    理系でも分かる!宇野常寛氏の新刊を読んでみた - はてなポイント3万を使い切るまで死なない日記