日本にキックボクシングを創設し、沢村忠の活躍で空前の大ブーム。さらに、芸能界にも進出し、五木ひろしを世に送り出した稀代のプロモーター、野口修。その数奇な人生を描いたノンフィクション『沢村忠に真空を飛ばせた男: 昭和のプロモーター・野口修 評伝』(新潮社)より、日本に新しい格闘技を根付かせた当時のエピソードを引用し、紹介する。 ◇◇◇ キックボクシング誕生 《空手がタイに遠征、タイ式ボクシングと他流試合をする。遠征する空手修行者は極真会(会長・大山倍達八段)の師範代・黒崎健時四段、中村忠二段、藤平昭雄初段の3人で、一行は15日午前9時20分羽田発の日航機で出発、21、30の両日バンコクのナショナル・スタジアムで対戦する。(中略) 黒崎四段は「空手はこれまで神秘的なものとして育ってきた。ほんとうのことをいうと、私は空手の強さに対して疑問を持っている。タイ式ボクシングのルールで対戦することは、私
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