日本プロレス界の父・力道山は「プロレスはルールのある喧嘩である」と言った。ルールに基づいて行えば、どんなに激しい流血戦も、ただの喧嘩でなくプロレスになるのである。 しかし、時にはその範疇を越えた不穏試合や「喧嘩マッチ」と呼ばれる試合もある。今年10月1日に亡くなったアントニオ猪木(享年79)も、プロレスラーとして活動する中で幾多の「喧嘩マッチ」を経験してきた。 ここでは、『プロレス喧嘩マッチ伝説―あの不穏試合はなぜ生まれたのか?』(彩図社)から一部を抜粋。1978年8月2日に日本武道館で行われた「アントニオ猪木VSザ・モンスターマン」戦と、1980年2月27日に蔵前国技館で行われた「アントニオ猪木VSウィリー・ウィリアムス」戦の舞台裏について紹介する。(全2回のうち1回目/北斗晶VS神取忍編を読む) ◆◆◆ 新日本プロレスの運命を背負う、猪木の異種格闘技戦 プロレスの看板を背負い、数多の格
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