以前予告したミニ論文の序の序、前提です。1/2いちお完成 萩尾望都『トーマの心臓』『訪問者』既読を前提として話を進めています。未読者は決してこの先を読まないことをオススメします。これから私は『トーマの心臓』についてかなり偏った意見を表明しますのでご了承ください。 ユリスモールはなぜ神学校に行ったのだろうか? 『トーマの心臓』を読んだ後、私たちの心に残る余韻、そしてやるせなさの原因であるひとつの疑問。その疑問が『トーマの心臓』を名作たらしめているとすら言うことが出来る、と私は感じている。しかし、『訪問者』を読んだ時、ようやく私の中で何かがつながった。トーマの心臓』において、萩尾望都が達成できなかったこと――それを何度も何度も反復している、そしてやり直そうとしているのが萩尾望都の作品ではないか?そしてそれは最終的に、「神学校にいかなかったユーリの物語」と萩尾本人が語る、『残酷な神が支配する』を
![萩尾望都作品における救済者の性格](https://cdn-ak-scissors.b.st-hatena.com/image/square/06a15c64ba0ceec233d86d71001ebb29a9dcbf5d/height=288;version=1;width=512/https%3A%2F%2Fcdn.blog.st-hatena.com%2Fimages%2Ftheme%2Fog-image-1500.png)