アリエスの『<子供>の誕生』は、近代になって、純真無垢な子供という幻想ができた(これを「A」とする)という説なら良かったのに、近代以前に「子供」という概念はなかった(「B」)という極論に走ってしまった本だ。丸谷才一の『忠臣蔵とは何か』も、「仮名手本忠臣蔵」という浄瑠璃ができる過程で御霊信仰が働いた(A)とだけ言っておけばいいのに、赤穂浪士討ち入り事件そのものが御霊信仰で、しかも徳川綱吉という「悪王」の「王殺し」だ(B)とか言い出すからトンデモになってしまうのである。 サイードの『オリエンタリズム』にしても、西洋人が東洋について書いたものには、幻想や偏見があるものが多い(A)という程度でとめておけばいいのに、西洋人が東洋について書いたものは全部いかん(B)と言うから変な本になったのである。しかしこれらは、極論Bを打ち出したから売れたのやもしれない。こうなると厄介である。柄谷行人の『日本近代文