宮城県気仙沼湾で漁師として牡蠣の養殖をしながら「森は海の恋人」をキャッチフレーズに地元の漁師の方々と共に植林活動を続けられています。元々は、川を良くするための運動だったということですが、その時の様子をお話いただけますか? 私は、ここ気仙沼で親父の代から牡蠣の養殖業を営み、今は息子が三代目として跡を継いでいます。私が親父の跡を継いだのが、1961(昭和36)年、水産高校を卒業した18歳の頃でした。当時、海では、ウナギは捕れるし、貝や魚の種類も豊富、雨が降れば海苔は豊作と海の恵みはそれは豊かでした。ところが、1960年代の半ば頃から、牡蠣や海苔に異変が起きたんです。赤潮ってご存知ですか?