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ブックマーク / www.nttcom.co.jp (4)

  • 畠山重篤 かしこい生き方のススメ - COMZINE by nttコムウェア

    宮城県気仙沼湾で漁師として牡蠣の養殖をしながら「森は海の恋人」をキャッチフレーズに地元の漁師の方々と共に植林活動を続けられています。元々は、川を良くするための運動だったということですが、その時の様子をお話いただけますか? 私は、ここ気仙沼で親父の代から牡蠣の養殖業を営み、今は息子が三代目として跡を継いでいます。私が親父の跡を継いだのが、1961(昭和36)年、水産高校を卒業した18歳の頃でした。当時、海では、ウナギは捕れるし、貝や魚の種類も豊富、雨が降れば海苔は豊作と海の恵みはそれは豊かでした。ところが、1960年代の半ば頃から、牡蠣や海苔に異変が起きたんです。赤潮ってご存知ですか?

    anhelo
    anhelo 2008/09/16
    気仙沼の牡蛎漁師畠山重篤氏。植林を進めてきた人
  • サトウの切り餅 ニッポン・ロングセラー考 - COMZINE by nttコムウェア

    昭和30~40年代初期の工場の様子。つき自体は機械で行っていたが、その他の工程はほとんど工員の手作業で行われていた。 いつからだろう。臼と杵でをつくという光景を見掛けなくなったのは。今やお正月でも、とんと目にする機会がなくなってしまった。昔はご近所さんのどこかで、必ずをついている家があったはずなのに。 ひと昔前まで、私たちはこう思っていたはずだ。「は正月にしかべられないもの」と。 つきの光景を見かけなくなった代わりに、私たちは季節を問わずいつでもべられるを手に入れた。一切れずつきれいに包装された、加工品としてのを。 その代表的存在が、「サトウの切り」。新潟に社を構えるサトウ品が世に送り出したこのは、包装歴史を塗り替えるエポックメイキングな製品だった。 サトウ品のルーツにあたる佐藤勘作商店が、初めて正月用のしの製造を始めたのは1958(昭和33)年。のし

  • ニッポン・ロングセラー考 - COMZINE by nttコムウェア

    塩沢家伝来の古文書。養命酒は作るのに2300日余りもかかる事、製法が秘伝中の秘伝である事などが記されている。 お酒に生薬を浸しておくと、アルコールに生薬の薬効成分が浸出して“薬酒”となる。「百薬の長」とされるお酒に生薬の成分が加わったこの不思議な飲み物は、古くから世界中の人々に愛飲されてきた。中国では紀元前91年頃に書かれた『史記』にその記述が見られ、ヨーロッパでも1世紀に記された書物『薬物誌』に、57種類の薬酒が記載されている。 日では、奈良の東大寺正倉院に伝わる文書(739(天平11)年頃に書かれたとされる)に、薬酒の存在を確かめることができる。宮中で用いられるようになったのは811(弘仁2)年から。以降、長い年月を経て徐々に庶民の間に広まっていったらしい。 1000種類以上といわれる中国に比べると、日で販売されている薬酒の数は決して多くない。というより、ある一銘柄の独壇場といっ

  • 永谷園 お茶づけ海苔 ニッポン・ロングセラー考 - COMZINE by nttコムウェア

    欲がないときやお酒を飲んだ後、あるいは夜ちょっとお腹が空いたとき、あなたなら何をべますか?」 この質問に、多くの人は「お茶漬け!」と答えるのではないだろうか。 日人にとって極めて馴染み深い事であるお茶漬けのルーツは、平安時代にまで遡る。この時代の貴族は冷たいご飯にお湯をかけてべていたようで、これは「湯漬け」と呼ばれていた。時を経るとともに湯漬けは一般化し、茶道の発達に伴って、次第にお茶漬けに変わっていった。 さて、現代に生きる私たちにとってお茶漬けといえば、まず思い浮かべるのが永谷園の「お茶づけ海苔」だろう。ご飯の上にパラパラと振りかけ、お湯を注げばハイ出来上がり。サラサラと短時間でべられるうえ、小腹はしっかり満たされる。日人にとってはカップラーメンと並ぶくらいポピュラーな即席品だ。 そのお茶づけ海苔を生んだ永谷園のルーツを辿ると、江戸時代中期に京都の宇治で製茶屋を営んで

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