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ブックマーク / mutronix.hatenadiary.org (80)

  • Wii Music - 焚書官の日常

    ここ10日そこらはWii Musicなどやっていた…と淡々と書こうと思ったが、ちょっと興が乗ったので長めに書く。 ちょう楽しいので毎日やってますよ…。 Wii Music 出版社/メーカー: 任天堂発売日: 2008/10/16メディア: Video Game購入: 9人 クリック: 125回この商品を含むブログ (111件) を見る このゲームの正しいタイトルは「耳を鍛える大人のWiiトレーニング」 なんかひょっとして、このゲームの意味って、大人にあんまり正しく通じてなくて、全く売れてないのかも知れない、と思うので、大人こそこのゲームを遊ぶべきであると宣伝しておきたい。 コントローラを振りさえすれば気持ちよく音が鳴る=子供もお年寄りも楽しめる…というのがセールスポイントではあるのだけど、CMやニンテンドーチャンネルの動画ではそこがクローズアップされすぎている気がする。 たしかに「楽器ごっ

    Wii Music - 焚書官の日常
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    another 2008/10/30
    「コード進行が同じだけで「だから最近のJ-Popはつまらない」と断罪しちゃう耳では、Wii Musicの「きらきら星」一曲でなんぼでも遊べることが、説明できないと思うのだ。」
  • ブクマ話で全力でDISりたい部分 - 焚書官の日常

    (註:ブックマークされたので補足。ここと合わせて http://d.hatena.ne.jp/mutronix/20080604/p2 もお読みいただくと、多少意味が通じるかも知れません) 最初読んだだけでは、それが自分にとって、どういう意味を持つのかがまだわからないエントリというのが、けっこうあって、そのことを私は問題にしたいんだなぁと思った。 そういうものに「人生」「ネタ」「もめごと」みたいなタグを振るという行為は、ものすごい妥協なのだよね。妥協ってわかってやってるならともかく、だんだんタグを振ることが自己目的化していく。 で、ふと我に返って自分に突っ込む。「お前、後で自分のブックマークを「人生」とかいうタグで検索して眺めんの?」うへぇ。 ある文章が、自分にとってどういう意味があるかっていうのは、タグづけじゃフォローできない。 とりあえずピンときたものを何かにしまっておくのが、せいぜい

    ブクマ話で全力でDISりたい部分 - 焚書官の日常
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    another 2008/06/10
    「この話の前提 / 実用的な情報をクリップしてまわってるぶんには、あまりこういうことは問題にならない。」
  • 「SBS=ミニブログ」という視点から見えてくる、ブクマに足りないもの - 焚書官の日常

    承前 何かに関心を持って、ちょっと検索してみて、興味を惹いた記事、あとでゆっくり読もうと思ったものを、ブックマークする。 私がブックマークしようとすると、ときどき、「このエントリはすでにブックマークされています」と、出て来る。昔自分がブックマークしたものを、もう一度ブックマークしようとしたらしい。 これは、私の物忘れがひどい、という話かしら。でも、そういう細かいことを忘れるために、ソーシャルブックマーク(以下SBS)を使っているはずなので、私は悪くないはずだ。 「SBSはミニブログなんです!」「なるほどー」 ここに、SBSが「ミニブログ」である、という視点から、補助線を引く。その日考えたこと、目にとまったものをブックマークしていくわけだから、ミニブログと言ってしまっても問題なさそうに思える。(see.google: ミニブログ ソーシャルブックマーク) すると、さきほどの二重ブクマ問題は、

    「SBS=ミニブログ」という視点から見えてくる、ブクマに足りないもの - 焚書官の日常
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    another 2008/06/05
    「私的な」タグの話。「だから、人と被らない、誰も使いそうにない言葉で、オリジナルのタグを振ろうとするのだ。/ …あれ、SBSってフォークソノミーがどうたらこうたら言って始まったんじゃなかったっけ?」
  • 「マルチポストは禁止ですよ」 - 焚書官の日常

    mixiで「マルチポストは禁止ですよ」「広告は禁止ですよ」と、規約を持ち出して、以降の投稿を禁止する光景を見ることがある。 a. 明らかにコミュニティと関係のない広告ポストならまだしも、関係ありそうなコミュニティ複数箇所に投稿しているのを見つけただけで、「あなた**にも投稿してますよね、マルチポストは禁止ですよ」とmixiポリスが出動する。 b. …ところで、なぜそれらは禁止されているのだろう。私には実は、この理由が、よくわからない。 許容すると限りなく投稿ができてしまう、という、消極的な理由ならわかる。しかし「限りなく投稿ができてしまう」のは、質的にはシステムの問題だと思うし、そんなことをユーザが声を掛け合って取り締まるのは、単にシステムのやらない仕事をユーザがやらされてるだけではないか、という気もする。 だいたい、「マルチポスト」というのはとても曖昧なもので、誰にも観測されなかったら

    「マルチポストは禁止ですよ」 - 焚書官の日常
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    another 2008/05/20
  • ネットには声が大きいユーザというのがいるらしい - 焚書官の日常

    声が大きいってどういうことかよくわからないけど。 フォントが大きいって意味かなー。 村の中でなんとなーく声が大きいように思われている人、というのなら、いるのかも知れない。 でも、村人のなかでの発言力は、実際に運営者に影響を与える力じゃない。どれだけ「声の大きい」ように見える人が騒いでも、運営者は勝手に意思決定する。 で、まぁ、そんなことは「声の大きい」側もわかってると思うんだけどな。 以上の混乱はそもそも「声が大きい」とかいう比喩を持ち出してくるところから生まれているので、比喩もたいがいにしろ、と思った。

    ネットには声が大きいユーザというのがいるらしい - 焚書官の日常
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    another 2008/04/01
  • わたしは誰と知り合い誰を無視してきたか(rehearsal) - 焚書官の日常 (cached)

    こんど、地方紙がゲーム会を取材に見えるのだが*1、最近はそういうものにもあまり驚かなくなった。というより、地元のテレビに映ったり雑誌に載ったりしても、それを見てあそびに来ていただける方はごくわずかなので、あまり緊張したり期待したりすることがなくなった。 いやぁほんと、マスメディア効果ってないもんですよ。できあがった紙面や番組をみても、よくまとまっていると思うんですけど… でも、当にそれが結論なんだろうか? 私が思うのは、取材する人たちが期待するような(かならずしも意ではない)模範解答を用意して答えたところで、だれひとり面白くはならないかもしれない、ということだ。 答えている側が「こんなこと言っておけば無難?」なら、取材する人も「あぁ、やっぱりそうなのね」と思うだけだし、そうやってできあがった記事や映像を見た人が、興味を抱くわけがないのでは、ないだろうか。面白くないのはまぁいいのだが、誰

    わたしは誰と知り合い誰を無視してきたか(rehearsal) - 焚書官の日常 (cached)
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    another 2008/03/19
  • 読んだ本 (九尾の猫) - 焚書官の日常

    見開き右の「…なのですよ」的な、エラリィのちゃぶ台を返す台詞で章が終わって、そのページには白々と余白、そして見開き左のページ、次の章からおもむろに説明が始まる…あぁこの様式美、トレビアン。もうほとんどそれだけ。あぁしかし、話がシンプルなので、国名シリーズみたいにダルくて読む気が失せるということはない。 「そ、そんな捜査の穴を読者に隠しておくなんて…」と誰でも思えるし、謎解きはどうでもよい。精神分析というテーマが当時は斬新だったのだろうなと思った。(6) 九尾の (ハヤカワ・ミステリ文庫 2-18) 作者: エラリイ・クイーン,大庭忠男出版社/メーカー: 早川書房発売日: 1978/07/01メディア: 文庫購入: 1人 クリック: 4回この商品を含むブログ (39件) を見る

    読んだ本 (九尾の猫) - 焚書官の日常
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    another 2008/03/15
    「あぁこの様式美、トレビアン。」
  • 可視化と影響力 - 焚書官の日常

    はてなリング」がサービス終了するそうだ。 はてなアイデア こういったアイデアに賛意を示すとどうしても「足を引っ張っている」ように見えてしまう。 私はこうやって言及したり、該当アイデアにポイントを支払ったりしてはみているが、実のところ、そういう「サービス終了を撤回させよう」という意図は、あまりない。所詮、何を言ったって私らはユーザーでしかない、意志決定をしている人たちの真意なんて、うかがい知ることは不可能。 ただ、「こういうことが起きるとこういうプラスとマイナスがあるよ」「こういうタイプの人がイエスと言いノーと言うよ」という、ものの見方が集約されることには、意味があると思う。 集約したからってそれが力になるなんて思ってない。 ただ、後でそのノードを見て、何かを辿ることができるかもしれない。 一般論 以下の二つは別のこと。 a.考えを可視化すること b.表明された考えが影響力を持ちうること

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    another 2008/03/01
  • 文化人類学者のノート(「絵描きさん」の村に関して) - 焚書官の日常

    …この「絵描きさん」の村には、村人同士で絵を贈り合うという風習があり、さいしょそれを私は、奇妙なものだと思っていた。複製が可能なデジタルデータを「贈る」ということの意味が理解できなかったのだ。 それで私は、彼らが絵を贈った後の行動をすこし観察した。 絵を書いた側の者は、贈ったあとも、オリジナルのデータを自分が持っているわけだが、その絵を自分の管理するスペースに飾ることはしない。贈った側は、自分のスペースに飾るかわりに、贈った相手のページ(トップページ)へのリンクのみを、自分のスペースに書くのが、通例であるようだった。 一方で、絵を貰った側は、その絵を自分のページに飾り、贈ってくれた人のページ(トップページ)へのリンクを併記していた。 どうやらかれらは、デジタルデータである絵を複製することを、擬似的に贈り物とみなし、制作者でない者が絵を「所有」しているかのように、見立てているようなのだった。

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    another 2008/02/21
  • Slice - 焚書官の日常

    寝転がって 加藤和彦の出ているテレビ番組を見ていた。山潤子(ハイファイセット)がサイボーグすぎてすばらしいと思った。 はてなが京都移転 それはそうと「最近のはてなつまんないよねー」という言い方は、「最近のミステリつまんないよねー」という言い方に似てる。つまんないのは基的に主観であり、つまらなくなったのはたいてい、自分の感覚が合わなくなってきたということなのに、何か外的要因があることにしたがるという。 まぁそういう意味では、私も「つまらない」。でも自分を面白くするのは自分だよな。

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    another 2008/02/16
    「でも自分を面白くするのは自分だよな。」
  • Slice - 焚書官の日常

    a. 日記的には既に半分死んでいる昨今。書くことでインタラクションを起こして、それで生活をよくする、というのには、書く内容に自制が必要だと思う。 それとは別のまた楽天的な話題だが、webの仕事に携わっているエンジニアの人が「全部晒せば」「全部読めば」幸せになれる、という意味のことをさかんに言うけど、そのやりかたが機能するのは、一部の職種と一部の居住地の人なんじゃないだろうか。 b. 朝から雨。 c. twitterの中でどーでもいい喧嘩らしきことをやっているのを見て、陶しくなった。観測範囲を広げて、陶しさが全体の誤差として観測されるようにするか、見ないようにするかどちらかだなと思った。…んーいや、ちょっと違うかな。そういう馴れ合いと情報収集の軸では割り切れないところに魅力があるような気もするし。

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    another 2008/01/23
  • Slice - 焚書官の日常

    a. 「30男の趣味はドラクエ4のレベル上げ」という主旨の記事をタイトルだけ読んだ。ゲームにかわるエロスが見つけにくいという意味で、意外と深刻な問題なのかも知れない。人生のさまざまな楽しみ方のヒントを教え、ゲームに汚染された脳からリハビリさせてくれる機関があるとしたら、わたしはいくらか払ってそこに行くだろうか。 b. またインストしてるときに相手に寝られた。私の説明が単調で申し訳ございません(棒読み)。たぶん、そういう説明というのが、楽しみの前の退屈な授業みたいなものに思われてるんだろうなぁ。インストする側もそうなってるということもある。する側として、プレゼン的なまとめ方とか情報の整合性とか考える前に、相手とのコミュニケーションだということを認識したほうがいいと思った。

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    another 2008/01/16
    「ゲームにかわるエロスが見つけにくい」「人生のさまざまな楽しみ方のヒントを教え、ゲームに汚染された脳からリハビリさせてくれる機関があるとしたら、わたしはいくらか払ってそこに行くだろうか」
  • 読むことについて - 焚書官の日常

    『ジョナサンと宇宙クジラ』『ミニ・ミステリ100』を買って、喫茶店で読んでいた。 「九月は三十日あった」を読んだ。こんな話だ。 男が、古道具店で見つけた家庭教師ロボットを買って、家に帰った。この時代、増えすぎた人口に対応するため、教育をはじめとするほとんどのサービスにはテレビが使われている。教育サービスはシリアルフレークの企業が提供している。男は、フェイストゥフェイスで教育を受けたことのある最後の世代だ。それから後の時代、テレビ教育企業がネガティブキャンペーンを行ったこともあって、実体を持った教師への風当たりは強い。顔をしかめると息子をなだめながら、男はロボットのスイッチを入れる。古き良き時代のロボットは、男の記憶にある、ほんものの先生のように働くが…。 あとは、まぁ、それなり。なんということはないが、わたしはおっさんなので、こういう話でも簡単に涙腺が緩む。 しかし、その感覚が、ほぼ生理

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    another 2007/12/06
  • 「まじめにやれ」 - 焚書官の日常

    http://fragments.g.hatena.ne.jp/knephin_steg/20071109/1194554474 で、はてブコメントに言及をもらったので、関連したことを書く。 anond.hatelabo.jpに虚構を書いて遊ぶと、皆が音を書きあっていた空気を壊してしまってよろしくない、という意見がある。 そうだな、とは思うが、それで壊れてしまうようなものなら、仕方がないんじゃないか、とも思う。壊れる部分は、もとから無根拠なバブルだったのでは。 虚構だって音だって、まじめに書いている時点でおなじリングにあがっているのだから、そこで共存すればいいと思うのだ。 もしも自分が ここはみんなが音を書きに来てるところなんだよ、まじめにやれ と言われたら、私はこう返す。 たとえばあなたが、自分の不遇をanondに書いている人だとして、あなたが当に不遇かどうかは、あなたの書いたも

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    another 2007/11/11
  • 「ではまたどこかで…」など、ない - 焚書官の日常

    http://d.hatena.ne.jp/ichinics/20071108/p1 ある人のブログが閉鎖したときに交わされる「またどこかで」というカラっとした言葉について考えた。 私には、「またどこかで」という感想は、ない。いや、この日記を書いている【私】にはそれはあるが、こうやって読者に読まれている、書かれたほうの私には、ない。わかりやすく言うと、そういうことは、思ってもなるだけ書かないようにしている。 たとえば何かもめ事が起きて、 ご不快に感じられることがありましたら土下座してあやまります。このブログも、閉鎖することにします などと、書かれた記事があったとしよう。 そこにどれほどの【中の人】の気持ちが込められているかは、測定できない。仮にもし測定できたとして、それがどうした、と、読み手だっていくらでも居直ることができる。文章に誠意があるだのないだの傷ついただの、印象でしかないことを、

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    another 2007/11/09
  • 失敗しないブロギング - 焚書官の日常

    自分にとって重要だと思うことは絶対書かないほうがよい。わたしも書いてない。ちょっとした思いつきを自分の人生に実りをもたらすものにするためは、こんなところに書いてはいけない。 さて以下は余談。 このことを敷衍すると、技術者なら、自分の携わっている技術についていっぱしのことが言えるまでは、ブログにはその技術の話題を書かないほうがよい、といえる。 間違いをおそれずブログに書いてたら、指摘をうけて直しているうちに次第に力が付いてくるよ、といわれる。しかしこれは、誰にでも当てはまるわけではない。ブログで試行錯誤してよいのは、ある一定のレベルに達した人だけだ。 http://b.hatena.ne.jp/entry/http://phpspot.org/blog/archives/2007/10/phpspot.html 尻馬に乗って閉鎖とか責任とか隠蔽とか、大袈裟な言葉をぶんまわしている人を見て、そ

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    another 2007/10/24
    「メタ学習という能力」。
  • let's go away for awhile - 焚書官の日常

    gmailにいろいろ集めるというのをやってみようと思って、ブックマークをパブリックに戻した。プライベートだからといって何か特別な使い方をしていたわけではない。くだらないな俺は。 ブックマークから、自分が一生かかっても行き着けないような場所で読み書きしている人を見つけると、なんとも言えない気分になる。絶望や焦り、とは呼べない、鞄を持ってでかけたい、といった気分だ。

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    another 2007/09/27
    おかえりなさいませ。
  • ヴォーカロイドが面白がられる理由がよくわからない - 焚書官の日常

    a.知ってるあの曲が機械チックな綺麗な声で b.技術の進歩はすごいなぁ c.作者はよく手間をかけたなぁ b.は一回聴けば理解できる。 a.なんだけど、人は脳内にミキシングスタジオを持っていて、知っている音楽なら自分でヴォーカルやパートを入れ替えて遊べるものだ、と思っていたのだが、案外そうでもないのか。あぁそれで選曲勝負になるのかな…? c.は、ニコニコ動画に参加して自分でコメントを書かないとおもしろがれない類のものだろうか。 追記 どこかで「お前等これを聴け!」とやる気満々で「オペラ座の夜」を完コピするうざい洋楽好きのオッサンが出現するが、既にブームは終わっている。

    ヴォーカロイドが面白がられる理由がよくわからない - 焚書官の日常
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    another 2007/09/19
    「知っている音楽なら自分でヴォーカルやパートを入れ替えて遊べるものだ、と思っていたのだが、案外そうでもないのか。」そうでもないと思います。
  • いつまでも子供の靴だから生活が子供のままなのだ - 焚書官の日常

    ときどきやってくる日記的不定愁訴を、口語に翻訳すると、高校生が「ちょっとそのへん走ってくる」と言ってるときの、苛々した感じに近いのではないかと思った。 さよならを言わないで、「ちょっと走ってくる」を繰り返して成長できないか、などと、まだ考えている。

    いつまでも子供の靴だから生活が子供のままなのだ - 焚書官の日常
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    another 2007/09/14
  • 「ひぐらし」が面白かったので - 焚書官の日常

    PCゲームとしてちゃんと買おうと思って、体験版をちょっとやってみたが…んー、微妙だな。出てくる文字を、ノベルゲームの文章として読んでしまうので、ちょっとした違和感や気持ち悪さが、そのまま「そういう設定だから」で、通ってしまう。 活字で読んだときに味わう、最初から現実から浮いて閉塞してる感じが、あんまりしないというか。 「楽しい」とか「爆闘」とか書いてあるのを、活字で読んでも、寒い嘘にしか感じられないが、MSゴシックだと、あぁそうなんだなぁ、と、それなりに納得してしまう。 どうして先生やクラスの他の人の描写がこんなに少ないのだろう。この人たちは自分から自然にくっついた、ような自己認識で自分たちのグループを考えているが、実際にはそうではなく、客観的にはそうとうイタい人たちなんじゃないだろうか、云々。ゲームでやると、主要登場人物以外が書き割りなのは、制作上の必要に迫られてだよな、と納得するが、活

    「ひぐらし」が面白かったので - 焚書官の日常
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    another 2007/08/28
    「30人の学級の中で5人だけが友引高校みたいなやりとりを繰り返す」「周囲のあんまり見えてない人たちで作ったオタ共同体のイノセンス」。