タグ

関連タグで絞り込む (0)

  • 関連タグはありません

タグの絞り込みを解除

twitterと考察に関するarc_at_dmzのブックマーク (2)

  • 「まおゆう」に見るポストモダン文学

    迷亭水鏡@同人噺家 @m_suikyou 「まおゆう」のまとめを読んで、「ノベルゲーム文体を読み解く素養の有無」ってのが自分の中で響いているなあ。「地の文の描写がほとんどなく、ほぼ会話で進む」というのが「ノベルゲー文体」と自分の中では考えている。そして、このノベルゲー文体は既存の小説のあり方と真っ向から対立している。 迷亭水鏡@同人噺家 @m_suikyou 自分にとって、ノベルゲー文体は敷居が高い。それは会話の間にある描写を想像する力が弱いからだと分析する。既存の小説では、地の文によって登場人物の心理や情景の描写が行われているため、人の動きを追うことができる。しかし、ノベルゲーにはそれ(描写)がほとんどない。 迷亭水鏡@同人噺家 @m_suikyou もっとも、一般のノベルゲーでは人物のイラスト・背景によって地の文の描写に置き換わっている。しかし、「まおゆう」に代表される2ちゃんの物語ス

    「まおゆう」に見るポストモダン文学
  • Twitterとはなんだったのか——「コンテンツ」としての日本Twitterユーザー(後編) - コンテンツ編 - マぜンタとシアん

    Twitterは「残念」だったのか?はてな村は、なぜそう呼ばれるのか前半では、Twitterの「アーキテクチャ」を分析し、その上で日TwitterユーザーはどのようにTwitterを利用し、どのような活動を行ってきたのか、ということに焦点を当ててみました。さて、前半冒頭の問題意識に戻ってみましょう。この記事は「日Twitterは残念だったのか?」という問いから始まりました。この「残念」という言い回しは、梅田望夫さんの岡田有花記者によるインタビュー記事のタイトル、「日のwebは残念」から取ったものです。そこで、まず、「なぜこの記事で、日のwebは『残念』と呼ばれているのか」について確認しておきましょう。かつてweblogの発明を「一億総表現社会の到来」と言祝ぎ、進化していくウェブの姿を機敏に捉えた梅田さんはなぜ今になって「日のweb」を見切らざるを得なかったのでしょうか。それは

  • 1