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すごかったに関するaround89nのブックマーク (2)

  • 終局直後

    (終局直後、対局室は重苦しい空気に包まれていた) (激闘の余韻が残る) (うつむく豊島前竜王) 以下は終局後インタビューの質疑応答です。 ―局を振り返って 藤井 中盤はずっと難しいと思って指していたのですが、▲3九飛(81手目)から角交換になったあとに△4四角(84手目)としたのがよくなくて、それからは苦しいかと思って指していました。 ―終盤に入ったあたりの形勢は? 藤井 先手からの攻めが多いので、どう指されるか怖かったです。相手の玉を薄くして嫌みをつけるしかないと思っていました。 ―100手目△7七桂成の考慮中に何か誤算があった? 藤井 △4四角と打ってからは自信がないかと思っています。 ―勝ちになったところは? 藤井 最後、△3四桂(118手目)と打って、恐れずに攻められる形なのかと思いました。(あくまでも控えめにインタビューに答える藤井新竜王) ―竜王戴冠について 藤井 まだまった

    終局直後
    around89n
    around89n 2021/11/14
    ...終盤の攻めとしのぎで見どころの多い一局でしたね。/豊島九段が淡々と『力負け』『実力不足』とのコメント。彼らしい。そしてまたしずかに腕を磨くのでしょうね...。/静かなここに※。豊島さんを引き続き応援!
  • 「おやめなさい。ご両親が悲しみますよ」…31年前の日本ダービー・伝説の「ナカノコール」は“競馬が認められた”瞬間だった(江面弘也)

    31年前の5月27日、日ダービー当日。東京競馬場の史上最多入場者数を記録した日である。この記録は、いまだ破られていない。そこで、その時誕生した“伝説のコール”を振り返った「Sports Graphic Number」掲載記事を特別に公開する。 〈初出:2019年5月16日発売号「私はそこにいた! ナカノコールの残響」/肩書などはすべて当時〉 日競馬史上初めて、勝利騎手を称える大合唱が沸き起こった1990年の府中のスタンド。当時のブームを象徴するかのような伝説のコールは、どのようにして起こり、どう時代を変えていったのか。 アイネスフウジンの中野栄治を称えるコールは突然はじまった。スタンド1階のゴール付近でおきたコールは波紋のように広がり、スタンドを覆っていった。ダービーに乗っていた騎手たちに聞くと、その声は地下の検量室まできこえてきたという。 前代未聞の、何十年も競馬を見てきた人たちもは

    「おやめなさい。ご両親が悲しみますよ」…31年前の日本ダービー・伝説の「ナカノコール」は“競馬が認められた”瞬間だった(江面弘也)
    around89n
    around89n 2021/05/28
    1990年の日本ダービー。アイネスフウジンと中野英治。朝日杯から追っかけた馬。いまでも思いかえすことができるなぁ...。なつかしい。実はこのときの優駿はまだ取ってある。まだ出してきて読んでみようかなぁ....。
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