「流線形」と聞くと、初代新幹線の0系が思い浮かぶでしょう。イメージも相まって「速そう」ですが、そもそもいつ流線形は登場したのでしょうか。0系生みの親である島 秀雄は、日本における流線形採用には懐疑的でした。 世界的ブームは戦前だった 「流線形」の車両と聞くと、初代新幹線の0系が思い浮かぶでしょう。実はこうした流線形のデザインは、1930年代の鉄道で世界的に大ブームを巻き起こしました。代表的なものとしては、国有鉄道の急行電車モハ52形や、ローカル線で活躍したガソリンカーのキハ42000形、名古屋鉄道の3400形などの電車・気動車、国有鉄道の蒸気機関車C53(一部)や電気機関車EF55、南満州鉄道の「パシナ」など、それまでのスクエアなデザインの鉄道車両とは異なる、滑らかなフォルムを取り入れました。 ひと目で「近代的」「速そう」と感じるデザインは、交通機関の速度が飛躍的に向上した1930年代を象