今週のネット界はこの話題で持ち切りだった。 http://blog.livedoor.jp/dqnplus/archives/1495370.html(「人志松本のすべらない話」で千原ジュニアがした話が、レイプ未遂、傷害罪では?と批判殺到) 放送作家でタレントの木村祐一が、自宅に招いた女性に、カチカチの凍った鶏肉を投げつけたという話。深夜に招いたのに、やらせてくれなかったのに腹を立て、鶏肉を放って追い返したというのだ。 それを千原ジュニアが粗暴な雰囲気ぷんぷんさせながら語るものだから「どこがすべらない話なんだ」「ただのDV野郎じゃねえか」「犯罪自慢かよ」と非難ごうごうなのであった。 リンク先にそのときの模様があった。見たけれど、なるほど、これは誤解を生むだろうなと思った。ニヤっと笑ってしまうところもある。私はゴシップや陰口が大好きなので、「ああ、木村祐一って(文化人ぶってるのに)そんなあぶ
(世間)いくら不況でも贅沢言わなければ働くところはある。働け!(失業者改め非正規労働者)確かにそのとおり。なので「それなりの仕事」があったけど何か?(世間)大学出てるんだろ!もっとマシな仕事やれよ!今まで何やってきたんだよ!(失業者改め非正規労働者)は?そんな仕事があるならとっくにやってるよ。ていうか言ってることめちゃくちゃじゃん。(世間)うるさい!屁理屈言うな。 糸冬 了 付録:http://www.ichigobbs.org/cgi/15bbs/economy/1318/568568: 名無しさんの冒険 2009/12/04(Fri) 10:43 「働け」・・・その人を「雇う」とは決して言わない。「起業」・・・実績も担保も無い無業者に開業資金を融資する金融機関ってある?「介護・就農・自衛隊」・・・その職業の人たちに対して、相当失礼な言い回し。自分自身も未経験な分野を安易に勧めたり、「
亀田長男対内藤戦をテレビ観賞。 事前に亀田が判定で勝つであろうという予測を立てていたけれど当たってしまった。う〜ん。 いや普通にいい試合であった。TBS系の世界チャンピオン戦というと、どういうわけか殴ることより相手に抱きつくことばかりが先行する試合が多いのだが、これはほとんどクリンチがなく、緊張感のあるいい試合だったと思う。鬼塚の髪型からにじみでるナルシズムにちょっとうえっとなったけれど。 ここ最近における内藤の際際の防衛や、スタミナがあっても顔面がついてこないもろさを考えると、たぶん亀田のパンチに顔面を崩されて、パンチの精度が落ちて苦しむだろうという予想を立てていた。しかし想像を超える顔面崩壊ぶり。鼻がぽっきり折れているなかで、あれだけ闘えるのだからやっぱり根性の人だったのだと思う。 一方の亀田長男は地味に強い選手になっていた。フットワークなしのアウトボクシングというどっちつかずのスタイ
「国のかたち」を変える - 池田信夫 blogを読んで。昨今の状況を明治維新になぞらえるのは、この記事に限らずよくある話だが、単に「長期政権からの交代」という一点だけで似ているだけでなく、意外に比喩としてはよくできているのではないかと思うようになってきた。つまり、「幕府=自民党、倒幕=民主党」という権力面の構図だけでなく、「開国派=グローバル化追随・構造改革・小さな政府、尊皇攘夷派=格差是正・大きな政府」という思想面の構図も、それっぽい感じなのだ。■幕末、江戸幕府(自民党)は開国に振れていた。特にリーダー井伊直弼(小泉)が現れ、彼に権力を集中して乗り切るという体制がいったんでき、攘夷派は厳しく弾圧された(郵政選挙)。しかし、そうした弾圧は攘夷派の激しい恨みを呼び、桜田門外の変でリーダーが倒れると(安倍退陣)、その動きは頓挫し攘夷派が息を吹き返すとともに、幕府の権威は失墜、開国政策は惰性で続
今週は、行政刷新会議のワーキンググループの会合が三回開かれ、いわゆる「事業仕分け」がなされた。日本にいたら、中継を見ていたところだが、出張中で見ることもできず、やむを得ないので、今日になって情報収集をしている。 三つのワーキンググループが並行して走るという興味深いやり方で、そのうちの第三ワーキンググループが学術行政にかかわるもので、とくに13日にいくつか気になる決定がなされた。スーパーコンピュータやSpring8については、それぞれ専門家が議論するのに任せよう。私はこれらの事業の予算縮減や、凍結は、それほど大きな問題ではないと考えている。それらはより時間をかけて、やっぱり実施が望ましいとなれば、後からやり直せるからだ。復活に成功すれば、研究が一定期間遅れるだけのダメージで済む。私が一番気になるのは、人材育成関係の事業の予算縮減である。人材育成・若手支援で道を誤れば、一世代の人材が欠落し、長
http://d.hatena.ne.jp/arn/20091113#p1毎日新聞のシンポジウムで、仙谷由人行政刷新担当相が「事業仕分け」について「これまで一切見えなかった予算編成プロセスのかなりの部分が見えることで、政治の文化大革命が始まった」と発言した。http://zarutoro.livedoor.biz/archives/51297026.htmlさすがは社会党出身……。本当にこの国大丈夫か?http://sonicbrew.blog55.fc2.com/blog-entry-353.html政治家やマスコミの方々が国民の支持やら視聴率やらを重視する中で、不要不急不当不正だとレッテルを貼られた事業が公開の場でフルボッコです。魔女裁判とか公開処刑なんていう言葉を思い出してしまいましたが、それは「敬うべきモデル」の復権を遂げた民意至上主義の現政権に対して失礼ですね。かねてから危惧して
いくらデフレ下よりデフレ脱却後の方がいろいろな意味で経済成長に寄与するんだと説いても納得しない人がいるとしたら、そもそも「経済成長(=豊かさへの志向)そのものへの懐疑心」や、「追い詰められないと奮起できないといったような創造的破壊論」が彼らの中に根強く巣食っているんじゃないかと思う。清貧の思想とシバキ主義の合体と言えば「欲しがりません勝つまでは」を思い出す。状況が悪くなればなるほど事態を改善するのではなくより悪化させる方向へ向かいがちなのは日本に顕著なのかどうかはわからないが、とにかく論理的に説得できない人たちが少なからずいることは確かなようだ。そしてそうした感覚を醸成強化してきたものこそ他ならぬ長期停滞なのだろう。「今までいろいろやってきたけどうまくいかなかったではないか、なのにそんな魔法のようなことが出来るはずはない、インチキに違いない」という警戒心が先に立つのかも知れない。「ここはや
メディアで議論を開陳する構造改革な人たちが農林業等への「退歩的な産業シフト」に異議を唱えない(どころか今のところ推進側に立っているような)ところを見ると、日本における構造改革運動の本質があくまで政治的・イデオロギー的な(ほとんど信仰に近い)もの*1であり、経済学的な根拠に基づくものではないのではないか、ということが強く疑われる。もちろん旧来型の農林業ではなく企業化しろとか国際競争力をつけろとか言ってはいるが、現実問題として「他に投資した場合と比較して利益につながりそうもない比較劣位産業に投資しようとする」民間企業はかなり奇特と言えそうだし、ここでの「競争力」とは国家の競争力=国策的な意味であり、各経済主体からすれば「儲からない判断」を誰がするのかという話である。なので民間のインセンティブによってこうした企てが成功するとは思えない。仕方がないのでここで国家が農林業に介入し保護育成政策(=産業
http://d.hatena.ne.jp/WATERMAN/20091102/1257155631上手く行かないから離農が起きるんですよね。コストと引き合わない農地から放棄されていく。デビッド・リカードの資本蓄積モデルが何となく思い出されますが、経済学とは限られた投資で生産を最大化するための理論ではあっても、労働力の余剰をどうするかという理論ではないのですね。ケインズ以降、不況下では金融政策によって凍り付いている投資を活性化させるとか、政府部門で吸収するとかそういう話ではあっても、非効率部門に無理やり労働者をねじ込むなんて不可能であることは明らか。誰かが農業や林業はダメなんですと言わないといけないんだけど、鳩山内閣も何を考えているんだろうか。こういう点で考えると、食料自給率の問題も所詮は国内問題、農林水産省の省益、農林利権でしかないということが分かる。今日の日経朝刊を読んでいたら頭がくら
「若者論」なんてテーマだった「朝まで生テレビ」、観ちゃいました。かなり議論がとっちらかっちゃってた印象だったんだけど、まぁ、面白かったかな。 湯浅誠さんは出てなくって、雨宮処凛さんと赤木智弘さん。それから、東浩紀さん。 東さんは、雨宮さんに「雨宮さんはベーシックインカムについてはどうなの?」と訊くフリをして、実は田原さんに議論のテーマとキーワードをそれとなく提案する、という(しかも一回目は空振り)高等戦術を繰り出したりしつつ、完全に場をロックしてましたねぇ。面白かったのは、中盤、田原さんが1人で(場の仕切りの)発言をしているときにも、東さんを入れ込むようなアングルで映ってたりして。東さんの“理屈”が、現実感ゴリゴリの田原さんとぶつかり合う、というのは、俺にとっては結構大きい出来事でした。ぶつかり合って、昇華するものがあった気がしたし。思想地図に田原さんを招聘して議論の続き、なんつー展開があ
有吉弘行と堀越のり司会の新番組「崖っぷち」を見た。10月13日放送。 今回は放送2回目。ゲストは優香。 全然知らなかったんだけど、堀越のりは、「優香の妹分」オーディションでデビューしたとのこと。お互いの胸を触り合うヨゴレな絡み。 有吉も便乗して触ろうとして怒られ、「志村さん的な……」と笑いながら言い訳。 すでに世間的に話題になってるみたいだけど、愛川ゆず季の「3ヶ月でブログ2000万アクセス行かなかったら芸能界引退」っていう企画が猛烈に面白い。 有吉:知ってます? 愛川ゆず季。 優香:あんまり、わからないですけど。 有吉:知らないでしょ。すげえブスでデブなんですよ(笑)。 堀越:そんなことないですよ。 優香:ひっどーい(笑)。一番言っちゃいけないこと二つ言っちゃいましたよ。 有吉が上手いのは、ひどいことを言い放ったあと、ゲラゲラ笑ってること。本気じゃないようにも見える。 ブログ生活の説明V
新自由主義と左派の親和性 思い出す90年代前半の政治風景http://d.hatena.ne.jp/kechack/20090925/p1高校生の頃、左翼社会科教師の影響を受けてバリバリの左翼だった私は、自民党の土建政治を憎んでいた。ちょうどその頃、自民党の改革派議員や保守派の論客の中で公共事業を批判する言説が散見されるようになり、私はそのような言説に親しみを覚えるとともに、左派のワンパターンな反公共事業理論にない鋭い切り口に新鮮さを覚えたものだ。私の場合は逆のパターンで高校生の頃はバリバリの右翼で日本も防衛費を大幅に増やし核武装が必要だと考えていた。ミリタリーオタクだったことも関係していたかもしれない。そして「左翼社会科教師」には反発していたことを記憶している。ただkechack氏より世代が古いこともあり、周囲の思想環境もやや違っていたようだ。当時新保守あるいは新自由主義はまだサッチャー
自民党が大敗した原因は小泉退陣後「改革」が後退し続けたことが原因で、もしよりいっそう「改革」が進んでいたら経済情勢も今のようにひどくならず自民党も負けなかっただろうとする意見がある。しかしこれにより世論の支持をつなぎとめていけたとするなら政治的には成功かもしれないが、経済的にはどうなっていたかというと疑わしいところがある。こういう人のいう構造改革というものが具体的に何を意味するのかもわからないのだが、仮に緊縮財政や金融引き締めによるシバキ上げ鍛錬政策を継続していたとしたら、逆に日本経済はさらなるどん底に叩き落されていた可能性が高い。現在は金融はともかく少なくとも財政出動による片肺飛行でかろうじて持っている状態に思えるので、これさえ取っ払って(しかも世界的経済危機の中世界各国の政策方針に逆らい)彼らの言う「改革」を強行することは自殺行為だったともいえそうだ。また、「小さな政府」や「健全財政」
http://d.hatena.ne.jp/JD-1976/20090904/p1彼らが国政を担っていくうえで、今後どういう方針修正やら妥協やら転向やらがあるかは未知数だが――いや実際、骨抜きの腰砕けになるであろうことは、多くの選挙民は薄々織り込み済みで投票したんじゃないかとさえ思えるんだが――、最終的には、財政規律重視、金融政策軽視、そしてデフレ放置というシナリオに落ちついてしまうんじゃないだろうか。まあ、つまり、自民党となにも変わらないってことですけど。前回エントリとも関係するが。民主党に期待している有権者の中にもいわゆる「バラマキ」の財源を心配する声が多いことからしても、そうした空気に合わせていく可能性はあるだろう。そして公共事業の削減は強行したままでそれを付け替えることもしないで財政再建に補填するか、あるいはかつての国民福祉税構想のようなかたちで実質的な消費税増税に踏み込むケースも
マスコミの論調などを見ていると、世論の民主党政権への期待の少なからずが従来型の官僚支配政治の打破という改革スローガンの部分にあるように見える。こうしたことから国民は「小泉改革そのものへの反動」から今回の選択をしたというよりはむしろ「小泉改革の政治改革的主要部分を継承する形」で選択したと解釈した方がすんなりいくのではないだろうか*1。そして官僚批判の文脈ではむしろ民主党の方が小泉政権より過激なところがあって、それがこの傾向を増幅したと言ってもいいかもしれない。一方、一部の論者から指摘される小泉改革の負の遺産や改革の歪といった部分については、国民マジョリティはそれほど自覚的ではないように思われる。派遣村を象徴とするワーキングプア現象にしても、依然多くの人にとっては他人事意識が強いのではないかと思う。ただ生活が以前より苦しくなっている傾向そのものは自覚してはいる。しかしあくまで「ワーキングプア」
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