ブックマーク / finalvent.hatenadiary.org (16)

  • ネットで友だちになりたい? - finalventの日記

    ネットでこの人と友だちになりたい、という発想は持ったことがない。っていうか、長いネット生活だが。 っていうか、自然になる。 で、ここが微妙なんだけど、リアル世界の友人というのは違う友だちというか、友愛というか。 経験的に言うと、男の場合、子供の頃の友だち、青年期の友だち、社会に出てしばらく後の友だちという三層があるかと思う。で、それはそれなりのライフサイクルの必然性や社会の機運みたいのがある。 ネットの場合は、そういうのと違う、け・ど、30代前半くらいまでは、リアル世界と混乱するというかしかたない。 ただ、原則的というのは、「友だちになりたい」というより、硬い言い方だけど、「友愛」を感じるということだと思う。 で、そういうのは普通の展開でいいのだと思う。 ネットというウィンドウ(窓)があればつながっている。それでも消えていく。ある時期親近感を持つ・持たれる、あるいは憎悪を向けられる・忘れさ

    ネットで友だちになりたい? - finalventの日記
    azumy
    azumy 2007/11/30
    感覚的には近いものを感じるが、これって年齢と関係するんだろうか。するかもしれない気もする。
  • それは自分なりによくわかる - finalventの日記

    レスのようだけど、話題はむしろモヒカンのようにシフトしているという関心で。参照エントリが短いので比較して引用部分は大きくなってしまうけど。 ⇒夏のひこうき雲 - 悪意ととる感性への敗北 真のモヒカン族になりきるなら活性化は可能だけど、それはたぶんとてもよくないことのような気がするし。 でもまあ客観的な意義は大きいようにも思える。ある種の予防にもなる。自分を押しとどめるのは、憎まれ役になることを回避しようという保身の気持ちであるようにも思える。よくわからないな。 私が文脈を外しているかもしれないけど、すでに一部では進行しているっぽいのだが、それなりに注目されているブロガーが別ハンドルでぶくまとかで扇動していたりしているみたいに、私なりとかが数名組んで、別匿名で、あるネットの活動を展開したりすると仮定する。冗談でいえば、finalventほのめかしなし、みたいな。その暴力性みたいなものはどんな

    それは自分なりによくわかる - finalventの日記
    azumy
    azumy 2007/10/03
    『さらに別の言い方すると、ネットの見える部分に軸足を置かないこと。』
  • ほいじゃ、「妻」 - finalventの日記

    増田CALL⇒■ 「」というのは自分の配偶者に対してのみ使う、一種の謙譲語みたいなものかと思ってた。 「嫁」という表現はもっと広くて砕けた表現だよね。「うちの嫁がさ(ry」「あんたんとこの嫁さんって(ry」って感じの。 finalvent翁が解説してくれたらいいなー。 これがけっこう難しい問題もあるのだけど、「finalvent翁」くらいの歴史感覚をざらっと言うと。 まず、「」なんだけど、 ⇒夏目漱石 こころ 私は私がどうしてここへ来たかを先生に話した。 「誰(だれ)の墓へ参りに行ったか、(さい)がその人の名をいいましたか」 「いいえ、そんな事は何もおっしゃいません」 というのがある。「つま」じゃなくて「さい」と読ませている。 この作品の時代だけど。 ⇒こころ (小説) - Wikipedia 『こゝろ』は、夏目漱石の長編小説。1914年(大正3年)4月20日から8月11日まで、「朝

    ほいじゃ、「妻」 - finalventの日記
    azumy
    azumy 2007/06/20
    女性配偶者の呼び方歴史
  • 世の中には他人の弱みをうまく見つけ出す才能の持ち主というのがいる - finalventの日記

    それは、けっこう、天才的に、芸術的に。 そして、そういう才能に溢れた人は、その才能に依拠して生きるようにもなる。 で、と。 人は自分の弱みというのを覆い隠すように自我を形成しつつ、その暴露の恐怖を感じ取っている。だから、人の弱みを見つけ出す才のある人にその恐怖を投影して恐れる。 これは、恐れるなというのが無理。 そのために、弱みを持つ人は、それが弱さでないかのように自我を強化することがある。 では、その自我強化と、弱点突き芸人の芸と戦ってどっちが勝つか。 これは、弱点突き芸人のほうが勝つ。 普通の人は負ける。 というか自身の弱点で滅びる。 あるいは、人は悪には勝てないようにできている。 弱点突き芸人というのは悪だ。そしてそれは悪ゆえに人を魅了する。 もし、戦うなら戦略は逆の構図を採らないといけない。 悪のターゲットは己の中にあるのだと知ること。しかし、克己というだけではなく、その弱点は弱点

    世の中には他人の弱みをうまく見つけ出す才能の持ち主というのがいる - finalventの日記
  • 唐突だけど味を覚えるために外食とかしたほうがいいと思うよ - finalventの日記

    って、外はあかーんとかいう人多いから。 コンビニなんかゆるせーんとかいう人多いから。 どってことないよ。 バランスだよ。 品ラベルの読み方と栄養学の基を学ぶといいよ。 それと、味を覚えるために外とかしたほうがいいと思うよ。逆に言うと、味を覚えるチャンスもないような外は適当に。 あと、できるだけ外人の作ったものをうといいと思う。味覚の構造が抜的に違うことがあって、いろいろ勉強になる。

    唐突だけど味を覚えるために外食とかしたほうがいいと思うよ - finalventの日記
    azumy
    azumy 2007/05/31
    美味いまずい関係なく、とにかく種類や機会を多様に体験するのはかなり重要だと思う。そのためには外食・中食は有用。多様というところがポイントかと。
  • マザー・テレサのこと - finalventの日記

    私はマザーとコルカタで会えたらと思ったが、かなわなかった。まあ、それほどの情熱もなかった。 私はマザー・テレサのことがわからないし、それほど関心もないのだが、あるテレビのドキュメンタリーで彼女が若い新参のシスターを教育している場面を見たことがある。それは、率直にいって、恐ろしいものがあった。 彼女は、シスターたちを前に、あなたの夫はイエス・キリストですというのだ。もちろん、比喩だろうし、そう言葉でいえばそれだけのことなのだが、その状況のなかで、彼女が伝えていたのは奇妙な怒りとエクスタシーだった。そして、シスターたちもそれをなにか受容しているようだった。私は、なにか、これは悪魔的な光景なのではないかと、鳥肌が立った。 話は変わる。 The flavor of lifeのなかに、「忘れかけていた人の香りを 突然、思い出す頃 降り積もる雪の白さをもっと素直に喜びたいよ」というのがある。このフレー

    マザー・テレサのこと - finalventの日記
    azumy
    azumy 2007/05/31
    このマザーの様子に違和感は覚えない。カトリックの聖職者たちの特性かなあ。
  • ついでに料理の基本がたいてい基本になってない理由 - finalventの日記

    推測なんだけど、料理のうまい人が基といっている基は、実は奥義に近い。 料理を書く人はそれなりにセンスとかあるから、実は、ある意味、人が料理をするということがまるでわかっていない。 むしろ、料理の味付けがめちゃくちゃな人がなぜそうなるのかの過程を分析するといいのにと思う。これは見ていると面白い。 じゃあ、料理の基ってどうよなんだけど、とりあえず、それが理解できるかということだろうと思う。たとえば、霜降りとか、言われたとおりにすればいいのだけど、霜降りしてどう変わったかを自分で理解できるかことが実は、つまり、その理解を積み重ねていくメタ能力が基だったりする。 ついでにいうと。 素材の蘊蓄とか、料理を知識化するのは、基のまるで反対。料理の美学とかご勝手に。

    ついでに料理の基本がたいてい基本になってない理由 - finalventの日記
    azumy
    azumy 2007/05/24
    優れた料理の先生は、試食してみると、調味や手順のどこで間違ったか指摘できるんですよね。
  • 増田ネタが続いてなんだが、料理の能力とお菓子を作る能力は別 - finalventの日記

    増田anond:20070523144910 逆にお菓子がなぜか作れない人は計量を端折る奴が多い。 お菓子というのは、計量しないと絶対ぃぃぃぃにできない。というか、計量しないでできているお菓子は、うーむ、なんといっていいのか。 料理は計量しないでもできる。なぜかとかいうと……めんどくせ。 でだ。 じゃ、計量さえできればお菓子は作れるのかというと……これがけっこうできる。いや、お菓子のレシピっていうのは、料理レシピより厳密なのだからして、これをべたにやってみるといいと思う。もちろん、最初は、計量の道具を揃えること。ついでにいうとお菓子作りには所定の道具を揃える必要がある。 ただし、お菓子の当にというか一つ越えるところからは才能が必要。香りのセンスとか甘味のセンスとかとかとか。 まあ、でも、計量すればできるってば。 じゃ、料理も計量でできるのか? それが、できる。 料理が下手な人は、まあ

    増田ネタが続いてなんだが、料理の能力とお菓子を作る能力は別 - finalventの日記
    azumy
    azumy 2007/05/24
    お菓子は計量と手順が全てだね/平野レミに笑った。確かに目が凍ってるわ。
  • ぶくまで知ったのだけど、ブログが終わるときというか - finalventの日記

    はてなブックマーク - kmizusawaの日記 - ご挨拶 ⇒kmizusawaの日記 - ご挨拶 kmizusawaさんの日記はぶくまに上がると見る程度だったのだけど、先日の都知事選関連についてはずいぶん率直な意見だなと関心したことがあった。 で、と。 ここしばらくブログを更新しながら、ときどきいただく批判コメントやトラックバック等を参考にあれこれ考えた結果、「別に私が発言する必要なんてないんじゃないか」という結論に達しました。私はもともと「伝えたい」とか「共有したい」という感覚があまりなくって、書きたいことがメモ的に書ければいいので(長文になるのはただの癖)。 まあ、それをいうと私も同じかなとも思うし、ただ、なんかそうでもないような気もしているので、ただ惰性で続けていますね。 また、表面的には個別のエントリ内容への批判の形で、事実ではないことや勝手に思い込まれた意図を前提に、まった

    ぶくまで知ったのだけど、ブログが終わるときというか - finalventの日記
  • 非コミュ、って言葉 - finalventの日記

    いや、なんとなく知っていたけどね。 ⇒我輩は非コミュである : うぃーちきまーちき ⇒非コミュとは - はてなダイアリー 私は非コミュか? とここで数分固まってしまった。なんと言っていいかわからない。 まあ、なんか言ってみますか。 私はけっこう普通な人なので、普通に非・非コミュですよ。まあ、それはそう。ご近所付き合いとか、なんとか付き合いとか、実は内心微妙に避けているけど。 ふと思い出したが、こんとこ非コミュどころか、俺って小さな市民サークル作りそうだし(ああ、なんてこった)。それと別のサークルみたいのに参加する予定だし。まあ、そんなんで人生見知らぬ人の出会いとかあったりして……で、そういうのに、うーむ、自分から組織したり参加したりするから、それって、非コミュじゃありえないでしょう。 で、うーむとうなる。内心はなかなかそうでもない。 人間長くやっているので、非コミュとコミュのバランスは適当

    非コミュ、って言葉 - finalventの日記
    azumy
    azumy 2007/04/19
    すっきり。
  • 昨日の一発ギャグの使い方解説編 - finalventの日記

    間の取り方はDVDで勉強しよう。 (1)状況で使いこなそう 「やべー、バイク便来ちゃうよ」 「もうだめかもですね、ダミーできたぁ?」 「ダミーって何よ?」 「うひゃ、もうもう、瀬戸際寂聴」 (2)何気なくオヤジギャグに持ち込もう 「なにパニくってんのさ」 「明日までにカネ返さないと、命の瀬戸際寂聴」 (3)さらっとした話に馴染ませてオヤジの貫禄を示そう 「俺もう歳だしさ、退化していくだけね。」 「そんなことはないよ、人は、八十がきても、九十になっても、成長することが出来ます、って、瀬戸際寂聴も言っているし」

    昨日の一発ギャグの使い方解説編 - finalventの日記
    azumy
    azumy 2007/04/12
    オヤジ万歳。
  • ある人が生存している理由 - finalventの日記

    というか。 例えば。これは金田正太郎的問題。 好きな女性ができて孕ませたが出征しなければならない男がいるとする。彼が生存したい理由は、その子供に会いたい、ということである、という主張はけっこう説得力がある。 いや別に子供に会いたいとも思わないし、戦場で死んでもいいやと考える男がいるか? これは設定的に無理。というのは、男にとってその女は「好きな女性」だったから。 つうことは。 最初に愛があると、生存の理由というのは付随しちゃうもんだし、子供とかできちゃうし、人類になってしまう。 なので、その男にとって、最初に、「好きな女性」という原初のイベントがありえたか、が、とても重要になる。 もっといえば、人生の場で、「愛」に遭遇したか? で、愛とはなんぞやとかとりあえずスルー。 ここでは、愛とは、あなたの外部から突然嵐のようにやってきて、あなたがそれまで惰性的に存在した理由をすべて奪い去っていくこと

    ある人が生存している理由 - finalventの日記
    azumy
    azumy 2007/03/12
  • 若きバートランド・ラッセルが自殺を思いとどまった理由 - finalventの日記

    私はバートランド・ラッセルが好きで、よく読んだ。英語の勉強をかねて読んだりもした。読みやすい英語かというとそうともいえるしそうでもないとも言える。文章のリズムが現代英語的ではない。この歳こいてみると文章のリズム感は小林秀雄なんかと似ているかもと思う云々。 ほいで。 若きバートランド・ラッセルが自殺を思いとどまった理由なのだが。 数学の問題を解きたかった、 ということらしい。 ラッセルから学んだことはいろいろある。 ラッセル幸福論: B. ラッセル,安藤 貞雄 もあるが、訳はこっちのほうがよいかと思う。 こっち⇒「 幸福論: : ラッセル」 ラッセルをちと離れて思うのだが。 子供の頃、小学校一年生くらいだったか、同級生の女の子が、「怖くておかしくて悲しい話って知っている?」というのだ。教えてもらた。 それは、「鬼が出て、おならをして、死んでしまいました」というのだ。 私は感動して、50歳に

    azumy
    azumy 2007/02/20
    確かにそうだったなあ。
  • 女性のネットワーカーっていうか今ならブロガー? - finalventの日記

    どっちでもいいけど。 アスキーネットの初期からもちろん女性ネットワーカーはいた。当たり前。ただ、なんというのか、うーむ、ちょっと微妙で、なんとも言えない。今と違っていた面もある。一般的にネットの世界が大衆化したなと思ったのはニフティからか。 未だに実名・匿名議論が盛んな地域もあるが、私の世代では実名というのは性の表明でもあった。実名にせい、ということは、性を含み込むのだがそういうふうに議論が展開されたのを見たことない。ありますか? 最近はどうなのかよくわからない……いや、どうなのかというのは、実名がわかると性がわかるかどうか。ま、たいていはわかるだろうな。今の10代くらいになると子供の名前はもうシュールな世界だからわからんのが多くなるだろう。「れおん」とか聞いて女とか思うのは先に略。 ネットワーク歴、ええと、20うん年か、まどうでもいいけど、私は、私だけの性向かもしれないが、ネットで相手を

    女性のネットワーカーっていうか今ならブロガー? - finalventの日記
    azumy
    azumy 2007/02/06
    そういえばパソ通時代は特に表明しなくてもいつの間にか性別を自然に知っていたなあ。圧倒的に男性が多かったから新人を見たら男を思え、でだいたい合っていたこともあるが。
  • あなたは自分の人生の経営者ではありません。子供たちもいずれ自分の人生の荒波に消えていきます。 - finalventの日記

    って感じかな、俺はね。 私は人間の人生というのは失敗するようにできているのだと確信している。 なので、成功を実感しつつ、ポジティブに生きている人間というのがよくわからない。ボルネオには私の知らない生物がいるのと同じくらい。 というあたりで、考えが止まる。 まあ、いいや、私は私なり考えてみよう。 生きていると困難にぶつかる。半分は偶然だ。しかし、その偶然が、げ、それはないでしょっていうくらい悲惨なことがあるのが、人生の不可解の一つだ。ここから得られる一般論は、人生というのは大方運命だな、と。 死んだ人は帰らない。 失われた愛は戻らない。 がっつんと不運に会ったら人生は終わるまでの不良債権処理みたいなもん。 で、あと半分だが。 自分が生きようと目論見ると、困難になる。これは多分に、自分は自分の心に嘘はつけないなというところに端を発している。もちろん、自分の心に嘘をつけないやつなんか社会に生きて

    あなたは自分の人生の経営者ではありません。子供たちもいずれ自分の人生の荒波に消えていきます。 - finalventの日記
    azumy
    azumy 2007/01/25
  • ブログの風景 - finalventの日記

    困窮した議論がさらに困窮し。 話題がハイパーリアルになりながら、しょーもない正義の連帯がネット参加の奇妙なインフレーションを誘う。 というあたりで言うと皮肉っぽいがそういう意図ではないが。 ⇒はてなブックマーク - 分裂勘違い君劇場 - 子供の「どうして勉強しなきゃいけないの?」→ 勉強することの具体的で直接的で切実なメリットを説明 まあ、なんつうか。書いている人が思うこととブクマの数の乖離はなんだろとちと思うがまどうでもいいといえばどうでもいい。 ブログの過去エントリは読まれない、と、言われている。 どうもそうでもない。 細く静かに読まれているし、ある意味で文学みたいに細く小さくしかし強く。 そのあたりの動向が先のインフレーションからはかなり見えなくなる。 ブログの風景が変わる。 変わる要因は、基的には忘却というかショートタームメモリー的な話題の流れだし、その背景にある個の孤独だろう

    ブログの風景 - finalventの日記
    azumy
    azumy 2007/01/23
    「男も女もおそらく30代まではそうでもないが、40代になると、男には女の匂いが、女には男の匂いが漂いはじめるし、それは顔にもだろうが、文章に出てきてしまう。」
  • 1