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論理に関するbaisemoi_bulletのブックマーク (8)

  • http://www.ajwrc.org/modules/news/article.php?storyid=393

    baisemoi_bullet
    baisemoi_bullet 2008/03/08
    回答文にある様な「被害者への配慮」「犯罪の再発防止」は微塵もない記事。米軍贔屓でもないけど……アメリカ人と未成年者の両方への干涸らびた悪意に満ちている。
  • 欲望とその権能 - Arisanのノート

    『キリンが逆立ちしたピアス』より 「欲望は禁止できない、しかし…」 http://d.hatena.ne.jp/font-da/20080214/1202980795 児童ポルノ規制の問題について書かれた東浩紀氏の文章を紹介しながら、書き手のfont-daさんは、「欲望は裁けない」という東氏の言明に基的には賛同しつつ、以下のように語る。 (前略)私もこれに賛同する。暴力を振るうことは禁じることができるが、暴力を欲望することは禁じられない。 その上で、私はその立場にあるのならば、次の責務があると考える。それは「欲望を行為に移さないシステムを考える」という責務である。相手を傷つける欲望を持っていても、その欲望をコントロールする方法が必要である。その方法を、いかに習得できるのか、という問題は、今、まったく解かれていない。欲望を肯定し、行為と切り離す以上、いかに切り離せるのかにも言及する必要があ

    欲望とその権能 - Arisanのノート
  • 性犯罪における言説――「自覚」すべきは誰か - 地を這う難破船

    はてなブックマーク - http://www.asahi.com/national/update/0216/SEB200802160003.html ⇒強姦被害から自分を守るために、少しでも意識したいこと。 ⇒これはとても不思議な現象なんだが ⇒性犯罪の被害者がどんなに愚かでもそれに言及するのは許されませんか ⇒http://koerarenaikabe.livedoor.biz/archives/51129051.html ■ 結局のところ。この種の事件が報じられるたびに判で押したかのごとく繰り返される言説がある。延々と。誰も、好きこのんでこのような話題に言及したくはない。被害当事者があることだから。事件が報じられるたびに、毎度のごとく繰り返され回帰する言説がある。すなわち、言説の延々たる回帰には強固な因がある。それを問題と考えるから、こうして執拗に同じことを記すことになる。 事後にお

    性犯罪における言説――「自覚」すべきは誰か - 地を這う難破船
  • このことについてははっきりさせておく - 地を這う難破船

    承前⇒感情を排して説明してみるということ - 地を這う難破船 花岡信昭氏のブログ⇒http://hanasan.iza.ne.jp/blog/entry/481804 少し、まじで呆れたので、はっきりと書くことにする。 この種の事件の論評はきわめて難しい。どう書いても、建前が先行してしまう。犯人の米兵が非道、悪辣で、被害者の中学3年、14歳の少女は気の毒であることこのうえもない。その貴重な人生に考えられうる最悪のキズを負ってしまったことを思えば、言葉もない。 といったことを前提として、「反米・反基地」勢力がこの事件によって、勢いづいていることを見逃せないという視点から、書いてみた。ご関心の向きは、関連記事に入れておくので、お読みいただきたい。 このコラムに対して、さまざまなコメントが寄せられた。少女が知らない米兵のバイクに乗ってしまったことは無念だ、といった趣旨の部分に対しては、同じ思いだ

    このことについてははっきりさせておく - 地を這う難破船
  • 「米兵が悪いのは当然として」「少女にも責任が」 - 過ぎ去ろうとしない過去

    http://www.asahi.com/national/update/0212/SEB200802120008.html http://sankei.jp.msn.com/politics/policy/080212/plc0802122007008-n1.htm http://koerarenaikabe.livedoor.biz/archives/51126750.html このような事件で「被害者少女にも責任が」などと言ってしまうのはセカンドレイプも甚だしく鬼畜のなせる業である、ということは自明なので論証は不要と思っていたのですが、そのような前提は案外共有されていなかったようでびっくりです。 というか「米兵が悪いのは当然として」と留保しておけば少女をディスってもいいのだと考えている自称中立厨があまりにも多いので、なんとか分りやすくそのような議論には問題があると伝えられないかを頑張

    「米兵が悪いのは当然として」「少女にも責任が」 - 過ぎ去ろうとしない過去
  • 義務とか権利の設定について - REV's blog

    * A→B * 夜8時に繁華街を歩いてました→米兵にレイプ→少女にも責任が * 基地移転に反対しました→補助金カット→市長にも責任が * ホテルで集会を開きました→右翼が街宣して迷惑→日教組にも責任が * 白人に席を譲りませんでした→逮捕→ローザ・パークスにも責任が http://d.hatena.ne.jp/hokusyu/20080213/p1 被害者側に、どこまで「注意義務」「危険回避義務」を「設定」するか、じゃないかな。 歩道を歩いていた人に、酔っ払い運転の車が突っ込んできて跳ねられたとしよう。 「もし、歩行者にSPがつき、常時前後左右を警戒しながら移動していれば、早期に異常な運転をする自動車を発見し、回避できたかもしれない」 という、鍵括弧の中が文章として成立していても、歩道を歩く歩行者には、そこまでの注意義務を負わないので、過失を問われない、そう考える。 これが、「運転中、交差

    義務とか権利の設定について - REV's blog
    baisemoi_bullet
    baisemoi_bullet 2008/02/15
    “我々が、「彼女に落ち度があった」と話すことは、世論の水準を変化させると思う。”
  • 犠牲者をダシにすんな - good2nd

    たまたま続けて読んだ産経の記事2。 一つはこれ。 仲良し家族が…“安い中国製に押され”足立・4人死傷(産経新聞) - Yahoo!ニュース 中国脅威論を言いたいのは構わないが、そのためにこんな痛ましい事件をダシにする性根が信じられない。 もう一つはこちら。 【政論探求】「反基地」勢力が叫ぶいかがわしさ (1/2ページ) - MSN産経ニュース それにしても、一部メディアのヒステリックな伝え方はいったいどう理解したらいいのか。事件事件、安保は安保、と冷静に切り離し、日米同盟の死活的な重要さに思いをはせてこそジャーナリズムだ。 「住民自決は軍命令」と信じて疑わない体質と共通する情緒的反応の弊害を、そこに指摘しないわけにはいかない。 なにこれ。笑うとこですか?「事件事件、安保は安保」と切り離して、かわりに何の脈絡もなく住民自決の問題をネジこむのがジャーナリズムとはね。 「知らない人について

    犠牲者をダシにすんな - good2nd
    baisemoi_bullet
    baisemoi_bullet 2008/02/13
    「政争の具にする」という言葉遊び。とりもなおさず、政治的主張や闘争は「その問題の為にこそ行われる」ものではなく「その問題を具にする」ものだとする、花岡氏と産経の姿勢を露わにしている。
  • 「大したことない」という論理 - ノーモアのコメント録

    南京事件論争でも、従軍慰安婦論争でもその全てを否定し「一切なかった」と主張する人は肯定派の中でも割と少数派である。 仮にいたとしても肯定派との論争を経るうちに、その9割5分ほどは「多少はあったが大したことはない」に主張を後退させる(残り1分は肯定派に転ずる人であり、残り4分は全ての史料・証言を陰謀論で片付ける人=俺は信じない!と主張する人である)。従ってそのほとんどは「大したことない」論者であると見てよい。 南京事件における「大したことない論」のパターンは ・民間人が30万人殺されていなければ大したことはない ・犠牲者数が30万人でなければ大したことはない ・戦意を失った敗残兵を皆殺しにするのは大したことはない ・捕虜になった兵士を殺害するのは大したことはない ・兵民分離をきちん出来ないのは戦時なので仕方がない(大したことはない) といったものがある。 従軍慰安婦論争においても ・二十万人

    「大したことない」という論理 - ノーモアのコメント録
    baisemoi_bullet
    baisemoi_bullet 2008/01/12
    「大したことはない」「仕方がない」は何からの逃避となるのだろう。それが「虐殺」である事からか、それが自分達の愚行である事からか、それを未だ克服できないでいる事からか。
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