ヴォルガ河と知取川 芙美子を乗せた汽車は、午後3時ごろ知取(しるとる)駅に着いた。現在のマカロフである。 マカロフは、私が乗っている寝台急行サハリン号の最初の停車駅だ。時刻表を見ると、到着するのは午前2時46分。外の景色は見えない時間だ。私は芙美子に訊く。あなたの見た知取は? 知取の町は豊原よりにぎやかかも知れません。それに第一活気があって、まるでヴォルガ河口の工場地帯のようでした。灰色の工場の建物はやや立派です。煙が林立した煙突から墨を吐き出しているようなのです。ここでは新聞紙やマニラボール、模造紙、乾燥パルプをつくっています。 (林芙美子「樺太への旅」より) ヴォルガ河とはずいぶん壮大なたとえに思えたが、芙美子は想像で言っているわけではない。大陸を横断してパリへ行ったとき、シベリア鉄道の車窓から実際にヴォルガ河を見ているのだ。樺太への旅の3年前、1931(昭和6)年11月20日のことで