artとsocietyに関するbarringtoniaのブックマーク (3)

  • 個人は国家に抗うことができるのか ~「『モナ・リザ』スプレー事件」を追う(荒井裕樹)

    の障害者運動史を研究しはじめて約20年になる。振り返ってみれば、この間、ずっと「国家や社会に抗うマイノリティ」を追いかけてきた。 ただし、私が追い続けてきたのは「巨大権力に立ち向かった果敢な英雄」というわけではない。正確に表現するのが難しいのだが、強いて言えば「自分自身の痛みと向き合い続けていたら、いつの間にか国家や社会に歯向かわざるを得なくなった人生を、結果として歩んでしまった人物」ということになるだろうか。 特にこの4~5年は、約半世紀前に起きた事件のことを考え続けていた。昨年は文字通り「寝ても覚めても」といった状態だった。その事件は、私に根源的な問いを突きつけてくる。個人は国家に抗うことができるのか。なぜ個人が国家と対峙せざるを得ない状況が生まれるのか。個人が国家に歯向かうことにどんな意味があるのか。こうした問いについて、取り憑かれたように考え続けていた。 『モナ・リザ展』初日に

    個人は国家に抗うことができるのか ~「『モナ・リザ』スプレー事件」を追う(荒井裕樹)
    barringtonia
    barringtonia 2022/04/21
    "国家が障害者を差別し、それに対して障害者が抗議行動を起こした際、司法はそれを「犯罪」として裁けるのだろうか。裁けるとしたら、国とは、社会とは、司法とは、一体何なのだろうか"
  • 排除アートと過防備都市の誕生。不寛容をめぐるアートとデザイン

    排除アートと過防備都市の誕生。不寛容をめぐるアートとデザインオリンピックに向けて東京の各所で再開発が進行した10年代。街には公共的で開かれるように、多くのベンチやパブリック・アートと思わしき造形物が登場した。しかしながら、それらの存在は、特定の人々の排除のために作用する「過防備」の一旦を担っているとも言える。これらを「排除アート」としての視点から研究する建築史家の五十嵐太郎が、都市機能としての不寛容さを指摘する。 文=五十嵐太郎(東北大学大学院・教授) 近年、排除アートが増えているというニュースが散見される。路上、あるいは公共空間において、特定の機能を持たない、作品らしきものが、その場所を占拠することによって、ホームレスが滞在できないようにするものだ。もっとも、こうした現象は最近始まったわけではない。16年前、すでに筆者は『過防備都市』(中公新書ラクレ、2004)を上梓した際、都市のフィー

    排除アートと過防備都市の誕生。不寛容をめぐるアートとデザイン
  • ホームレスを排除するための“排除アート”がファンシーに進化

    堀口 悠冴 @1921680222dbc 明らかに浮浪者の排除のみの目的なのに、悪意を感じさせないことが大事。長時間座れない椅子や横になって寝れない椅子は来の機能を失いつつも高い芸術性を維持し、景観を守り、なおかつ機能美にも優れている。排除アートに人間の美しさを感じる pic.twitter.com/0q9C3LfRSY

    ホームレスを排除するための“排除アート”がファンシーに進化
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