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ブックマーク / www.aozora.gr.jp (24)

  • 森鴎外 訳本ファウストについて

    私が訳したファウストについては、私はあの訳をして自ら語らしめる積でいる。それで現にあの印行にも余計な事は一切書き添えなかった。開巻第一の所謂(いわゆる)扉一枚の次に文芸委員会の文句が挿んであるが、あれも委員会からの注意を受けて、ようよう入れたのである。その裏に太田正雄さん、文壇での通名木下杢太郎さんがこのの装釘をして下すったと云うことわりがきがドイツ文で書き入れてあるが、あれも文芸委員会の文句を入れるに極まってから、その紙の裏が白くなるので、それを避けるために、思い立って入れた。それは太田さんに尽力して貰って難有(ありがた)く思っていたので、何かの機会に公に鳴謝したいと思っていたからである。文芸委員会が私にその機会を与えてくれたのである。それ以上には何物も書き添えて無い。この極端な潔癖の結果として随分可笑(おか)しい事が生じた。それはあの印行二冊のどこにもファウストの作者ウォルフガ

  • 坂口安吾 安吾の新日本地理 伊達政宗の城へ乗込む――仙台の巻――

    仙台は伊達政宗のひらいた城下町。その時までは原野であったそうだ。 この城は天嶮だね。しかし眼下に平野を見下し、水運には恵まれないが、陸路の要地ではある。政宗が仙台を開府したのは、大坂や江戸の開府よりも後のことだ。だが、大坂や江戸にくらべて、地点の選び方が田舎豪傑式であり、近代性が低いのである。 秀吉は主として信長の独創を実践した人で、彼自身の、独創というものはあまりないが、大阪の地に立って四方を見ると、ここに居城を選んだ彼の識見の凡庸ならざることがハッキリするね。海陸ともに交通の要点で、これにまさるいかなる要点も有り得ない。ビワ湖に面した安土城(信長晩年の設計)と大阪の地とでは、雲泥の差があるね。安土の地はなお戦国的な要点であるが、大阪は近代の首府に通じる要点だ。 江戸の選定も家康の智恵ではなくて秀吉のすすめであったと云われている。秀吉が小田原の北条氏を攻めたとき、石垣山の頂上へ家康を案内

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    betelgeuse 2017/01/11
    坂口安吾が仙台と政宗をボロクソに書いてる文、牡鹿半島で子供たちが自動車に敵意を見せてるようすや当時のクジラの町・鮎川を評した内容が意外に面白い
  • 北大路魯山人 山椒魚

    ひとつ変ったたべものの話をしよう。 長い間には、ずいぶんいろいろなものをったが、いわゆる悪の中には、そう美味いものはない。 「変ったたべものの中で美味いものは?」 と問われるなら、さしずめ山椒魚(さんしょううお)と答えておこう。 山椒魚をうのは、決して悪ではないが、ご承知のように山椒魚は、保護動物として捕獲を禁止されている上に、どこにもいるというものでないから、滅多に人の口に入らない。その意味から言って、山椒魚は文字通りの珍味であると言えよう。 でも、私が山椒魚を珍味と言うのは、単に珍しいという点ばかりではない。いくら珍しくとも、美味くなければ珍味とは言えない。世の中には珍しがられていても、美味くないしろものがいくらもある。ところが、山椒魚は珍しくて美味い。それゆえにこそ、名実ともに珍味に価すると言えよう。 大分前の話になるが、旧明治座前の八新の主人が、山椒魚料理の体験談を聞かせて

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    betelgeuse 2016/05/09
    井伏鱒二のサンショウウオと餌のカエルの短編のほうではなく、どう調理して食べるかの話。煮込み時間がとにかく長いようだ。現代では圧力鍋を使うのだろうか
  • 新美南吉 手袋を買いに

    寒い冬が北方から、狐(きつね)の親子の棲(す)んでいる森へもやって来ました。 或朝(あるあさ)洞穴(ほらあな)から子供の狐が出ようとしましたが、 「あっ」と叫んで眼(め)を抑(おさ)えながら母さん狐のところへころげて来ました。 「母ちゃん、眼に何か刺さった、ぬいて頂戴(ちょうだい)早く早く」と言いました。 母さん狐がびっくりして、あわてふためきながら、眼を抑えている子供の手を恐る恐るとりのけて見ましたが、何も刺さってはいませんでした。母さん狐は洞穴の入口から外へ出て始めてわけが解(わか)りました。昨夜のうちに、真白な雪がどっさり降ったのです。その雪の上からお陽(ひ)さまがキラキラと照(てら)していたので、雪は眩(まぶ)しいほど反射していたのです。雪を知らなかった子供の狐は、あまり強い反射をうけたので、眼に何か刺さったと思ったのでした。 子供の狐は遊びに行きました。真綿(まわた)のように柔(

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    betelgeuse 2016/03/03
    "お母さん狐は、「まあ!」とあきれましたが、「ほんとうに人間はいいものかしら。ほんとうに人間はいいものかしら」とつぶやきました。"
  • 夏目漱石 硝子戸の中

    硝子戸(ガラスど)の中(うち)から外を見渡すと、霜除(しもよけ)をした芭蕉(ばしょう)だの、赤い実(み)の結(な)った梅もどきの枝だの、無遠慮に直立した電信柱だのがすぐ眼に着くが、その他にこれと云って数え立てるほどのものはほとんど視線に入って来(こ)ない。書斎にいる私の眼界は極(きわ)めて単調でそうしてまた極めて狭いのである。 その上私は去年の暮から風邪(かぜ)を引いてほとんど表へ出ずに、毎日この硝子戸の中にばかり坐(すわ)っているので、世間の様子はちっとも分らない。心持が悪いから読書もあまりしない。私はただ坐ったり寝たりしてその日その日を送っているだけである。 しかし私の頭は時々動く。気分も多少は変る。いくら狭い世界の中でも狭いなりに事件が起って来る。それから小さい私と広い世の中とを隔離しているこの硝子戸の中へ、時々人が入って来(く)る。それがまた私にとっては思いがけない人で、私の思いが

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    betelgeuse 2015/11/28
    @Reviken_Tokyo 青空文庫で見れますね。 「喜久井町」も漱石パパが区長のときに夏目家の家紋からつけたらしい、と。「彼の虚栄心を、今になつて考へて見ると、厭な心持は疾くに消え去つて、ただ微笑したくなるだけ」がな
  • 中谷宇吉郎 サラダの謎

    私はごく普通のフランス風のサラダが好きである。レタスとトマトを、酢とオリーブ油でドレスしただけの簡単なサラダのことである。洋は、一般にいってあまり好かないが、このサラダだけは例外で、卓に出ていると、つい先に手が出る。 ものの好き嫌いなどというものは、たいてい子供の頃か、せいぜい二十代までの生活環境できまるものらしい。私がこのサラダを好きになったのは、若い頃、もう三十年も昔のことであるが、ロンドンに留学していた頃に、下宿で毎晩非常にうまいサラダをわされたのが、今日まで後をひいているようである。 大学を出て、三年間理研(りけん)で、寺田寅彦先生の助手をつとめていたが、北海道大学に理学部が出来ることになって、急に文部省の留学生として、ロンドンへ留学することになった。 ロンドン人は、人づき合いが悪く、世界で一番英語の通じないところは、ロンドンだといわれている。そこへまだ三十前の、しかも日

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    betelgeuse 2015/11/15
    サラダに入れるおろしニンニク「英国人へ嫁したフランス婦人の気持」「レタスを木鉢に一杯入れたあと」「乾からびたパン切れを、わさびおろしの代りに使っている」
  • ハンス・クリスチャン・アンデルセン Hans Christian Andersen 大久保ゆう訳 マッチ売りの少女 THE LITTLE MATCH-SELLER

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    betelgeuse 2015/09/14
    マッチ売りの少女。 貧乏人が路上死を迎えるにあたって複数の幻覚。彼女はマッチ大量投入のタイミングをおばあさん出現に合わせ最高のVR体験で人生をシメました、という視点なんだよな……。 http://t.co/5LCXC8iRhM
  • 作家別作品リスト:阿部 次郎

    公開中の作品 合三太郎の日記 序 (旧字旧仮名、作品ID:50421) 合三太郎の日記の後に (旧字旧仮名、作品ID:50735) 帰来 (新字旧仮名、作品ID:50279) 三太郎の日記 第一 (旧字旧仮名、作品ID:50422) 三太郎の日記 第三 (旧字旧仮名、作品ID:50423) 三太郎の日記 第二 (旧字旧仮名、作品ID:50424) 作業中の作品 →作業中 作家別作品一覧:阿部 次郎 狐火 (旧字旧仮名、作品ID:50736) 親友 (旧字旧仮名、作品ID:50737) 痴人とその二つの影 (旧字旧仮名、作品ID:50738) 西川の日記 (旧字旧仮名、作品ID:50739) 北越の夏 (旧字旧仮名、作品ID:56947) 関連サイト

  • 寺田寅彦 田園雑感

    現代の多くの人間に都会と田舎(いなか)とどちらが好きかという問いを出すのは、蛙(かえる)に水と陸とどっちがいいかと聞くようなものかもしれない。 田舎だけしか知らない人には田舎はわからないし、都会から踏み出した事のない人には都会はわからない。都鄙(とひ)両方に往来する人は両方を少しずつ知っている。その結果はどちらもわからない前の二者よりも悪いかもしれない。性格が分裂して徹底した没分暁漢になれなくなるから。それはとにかく、自分は今のところでは田舎(いなか)よりも都会に生活する事を希望し、それを実行している。 田舎の生活を避けたい第一の理由は、田舎の人のあまりに親切な事である。人のする事を冷淡に見放しておいてくれない事である。たとえば雨のふる日に傘(かさ)をささないで往来を歩きたいと思ったとしても、なかなかそうはさせてくれない。鼻の先に止まった蚊をそっとしておきたいと思っても、それは一通りの申し

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    betelgeuse 2015/08/27
    「人のする事を冷淡に見放しておいてくれない事である。」 「親切であるために人の一挙一動は断えず注意深い目で四方から監視されている。」 寺田寅彦
  • 服部之総 武鑑譜

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    betelgeuse 2015/08/18
    明治時代前半には江戸時代の「武鑑」を継いだ「役人のすべての肩書や住所や給料がわかる一覧」があった、という話
  • 寺田寅彦 子猫

    これまでかつて(ねこ)というもののいた事のない私の家庭に、去年の夏はじめ偶然の機会から急に二匹のがはいって来て、それが私の家族の日常生活の上にかなりに鮮明な存在の影を映しはじめた。それは単に小さな子供らの愛撫(あいぶ)もしくは玩弄(がんろう)の目的物ができたというばかりでなく、私自身の内部生活にもなんらかのかすかな光のようなものを投げ込んだように思われた。 このような小動物の性情にすでに現われている個性の分化がまず私を驚かせた。物を言わない獣類と人間との間に起こりうる情緒の反応の機微なのに再び驚かされた。そうしていつのまにかこの二匹のは私の目の前に立派に人格化されて、私の家族の一部としての存在を認められるようになってしまった。 二匹というのは雌の「三毛(みけ)」と雄の「たま」とである。三毛は去年の春生まれで、玉のほうは二三か月おそく生まれた。宅(うち)へもらわれて来たころはまだほんと

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    betelgeuse 2015/02/22
    『私は猫に対して感ずるような純粋なあたたかい愛情を人間に対していだく事のできないのを残念に思う。そういう事が可能になるためには私は人間より一段高い存在になる必要があるかもしれない。』
  • 夏目漱石 吾輩は猫である

    吾輩(わがはい)はである。名前はまだ無い。 どこで生れたかとんと見当(けんとう)がつかぬ。何でも薄暗いじめじめした所でニャーニャー泣いていた事だけは記憶している。吾輩はここで始めて人間というものを見た。しかもあとで聞くとそれは書生という人間中で一番獰悪(どうあく)な種族であったそうだ。この書生というのは時々我々を捕(つかま)えて煮(に)てうという話である。しかしその当時は何という考もなかったから別段恐しいとも思わなかった。ただ彼の掌(てのひら)に載せられてスーと持ち上げられた時何だかフワフワした感じがあったばかりである。掌の上で少し落ちついて書生の顔を見たのがいわゆる人間というものの見始(みはじめ)であろう。この時妙なものだと思った感じが今でも残っている。第一毛をもって装飾されべきはずの顔がつるつるしてまるで薬缶(やかん)だ。その後(ご)にもだいぶ逢(あ)ったがこんな片輪(かたわ)に

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    betelgeuse 2014/07/14
    ラストはビールを飲んだ猫が酔って屋外の甕に落ち溺死
  • aozorablog » 電子の本が燃やされるとき

    カテゴリー:,電子書籍,青空文庫 | 投稿者:OKUBO YuAuthor: OKUBO Yu About: 青空文庫には高校生のとき参加して、今や翻訳家・翻訳研究者。しばらく青空文庫をお休みするつもりだったのにそうも言ってられなくなってしまっててんてこまいの日々。ここでは電子のことをしゃべったり、物語を書き散らしたり、はたまた青空文庫批判をしてみたり、自由にやっていくつもり。See Authors Posts (55) | 投稿日:2014年5月22日 | が青空の棚から消えてなくなる、という事態は、単に図書が閉架になることでも、禁帯出になることでもない。 著作権法上、データベース上にアップロードしてアクセスだけ禁じる、という形で残すこともできない。また青空であることは館内がないということだから、まさにを棚から消すことしかできないわけだ。 それは青空の棚の実務に携わる者からすれば

  • 作家別作品リスト:上司 小剣

    公開中の作品 石川五右衛門の生立 (旧字旧仮名、作品ID:51226) ごりがん (旧字旧仮名、作品ID:51227) 死刑 (旧字旧仮名、作品ID:53520) 太政官 (旧字旧仮名、作品ID:51228) 父の婚礼 (旧字旧仮名、作品ID:51229) 天満宮 (旧字旧仮名、作品ID:53539) 東光院 (旧字旧仮名、作品ID:53488) 鱧の皮 (旧字旧仮名、作品ID:51230) 鱧の皮 (新字旧仮名、作品ID:1334) 兵隊の宿 (旧字旧仮名、作品ID:51231) 作業中の作品 →作業中 作家別作品一覧:上司 小剣 石合戦 (旧字旧仮名、作品ID:53837) 石川五右衛門の生立 (新字旧仮名、作品ID:48436) ごりがん (新字旧仮名、作品ID:49184) 生存の拒絶 (旧字旧仮名、作品ID:62122) 天満宮 (新字旧仮名、作品ID:49136) 木像 (旧字

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    betelgeuse 2014/04/04
    かみつかさ しょうけん
  • 中島敦 山月記

    隴西(ろうさい)の李徴(りちょう)は博学才穎(さいえい)、天宝の末年、若くして名を虎榜(こぼう)に連ね、ついで江南尉(こうなんい)に補せられたが、性、狷介(けんかい)、自(みずか)ら恃(たの)むところ頗(すこぶ)る厚く、賤吏(せんり)に甘んずるを潔(いさぎよ)しとしなかった。いくばくもなく官を退いた後は、故山(こざん)、略(かくりゃく)に帰臥(きが)し、人と交(まじわり)を絶って、ひたすら詩作に耽(ふけ)った。下吏となって長く膝(ひざ)を俗悪な大官の前に屈するよりは、詩家としての名を死後百年に遺(のこ)そうとしたのである。しかし、文名は容易に揚らず、生活は日を逐(お)うて苦しくなる。李徴は漸(ようや)く焦躁(しょうそう)に駆られて来た。この頃(ころ)からその容貌(ようぼう)も峭刻(しょうこく)となり、肉落ち骨秀(ひい)で、眼光のみ徒(いたず)らに炯々(けいけい)として、曾(かつ)て進士に登

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    betelgeuse 2014/03/17
    「しかし、このままでは、第一流の作品となるのには、何処か(非常に微妙な点に於いて)欠けるところがあるのではないか、と。」主人公のラーメン屋を訪れた友人、的な感想
  • 太宰治 走れメロス

    メロスは激怒した。必ず、かの邪智暴虐(じゃちぼうぎゃく)の王を除かなければならぬと決意した。メロスには政治がわからぬ。メロスは、村の牧人である。笛を吹き、羊と遊んで暮して来た。けれども邪悪に対しては、人一倍に敏感であった。きょう未明メロスは村を出発し、野を越え山越え、十里はなれた此(こ)のシラクスの市にやって来た。メロスには父も、母も無い。女房も無い。十六の、内気な妹と二人暮しだ。この妹は、村の或る律気な一牧人を、近々、花婿(はなむこ)として迎える事になっていた。結婚式も間近かなのである。メロスは、それゆえ、花嫁の衣裳やら祝宴の御馳走やらを買いに、はるばる市にやって来たのだ。先ず、その品々を買い集め、それから都の大路をぶらぶら歩いた。メロスには竹馬の友があった。セリヌンティウスである。今は此のシラクスの市で、石工をしている。その友を、これから訪ねてみるつもりなのだ。久しく逢わなかったのだか

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    betelgeuse 2013/06/02
    村からやってきた屋外移動型羊養殖業者メロス氏と、同じ村出身で現在は都市部で石材加工業を営むセリヌンティウス氏。メロス氏は買い物後、単細胞に任せて王宮に踏み込み、警察の持ち物検査で刃渡りの長いナイフが見
  • 岡倉覚三 村岡博訳 茶の本 茶の本

    茶は薬用として始まり後飲料となる。シナにおいては八世紀に高雅な遊びの一つとして詩歌の域に達した。十五世紀に至り日はこれを高めて一種の審美的宗教、すなわち茶道にまで進めた。茶道は日常生活の俗事の中に存する美しきものを崇拝することに基づく一種の儀式であって、純粋と調和、相互愛の神秘、社会秩序のローマン主義を諄々(じゅんじゅん)と教えるものである。茶道の要義は「不完全なもの」を崇拝するにある。いわゆる人生というこの不可解なもののうちに、何か可能なものを成就しようとするやさしい企てであるから。 茶の原理は普通の意味でいう単なる審美主義ではない。というのは、倫理、宗教と合して、天人(てんじん)に関するわれわれのいっさいの見解を表わしているものであるから。それは衛生学である、清潔をきびしく説くから。それは経済学である、というのは、複雑なぜいたくというよりもむしろ単純のうちに慰安を教えるから。それは精

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    betelgeuse 2013/05/22
    小堀遠州『偉い利休は、自分だけにおもしろいと思われる物をのみ愛好する勇気があった』
  • ホーマー Homer 土井晩翠訳 イーリアス ILIAS

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    betelgeuse 2012/11/04
    青空文庫で読める
  • 宮澤賢治 〔雨ニモマケズ〕

    雨ニモマケズ 風ニモマケズ 雪ニモ夏ノ暑サニモマケヌ 丈夫ナカラダヲモチ 慾ハナク 決シテ瞋ラズ イツモシヅカニワラッテヰル 一日ニ玄米四合ト 味噌ト少シノ野菜ヲタベ アラユルコトヲ ジブンヲカンジョウニ入レズニ ヨクミキキシワカリ ソシテワスレズ 野原ノ松ノ林ノノ 小サナ萓ブキノ小屋ニヰテ 東ニ病気ノコドモアレバ 行ッテ看病シテヤリ 西ニツカレタ母アレバ 行ッテソノ稲ノ朿ヲ[#「朿ヲ」はママ]負ヒ 南ニ死ニサウナ人アレバ 行ッテコハガラナクテモイヽトイヒ 北ニケンクヮヤソショウガアレバ ツマラナイカラヤメロトイヒ ヒドリノトキハナミダヲナガシ サムサノナツハオロオロアルキ ミンナニデクノボートヨバレ ホメラレモセズ クニモサレズ サウイフモノニ ワタシハナリタイ 南無無辺行菩薩 南無上行菩薩 南無多宝如来 南無妙法蓮華経 南無釈迦牟尼仏 南無浄行菩薩 南無安立行菩薩 底:「【新】校

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    betelgeuse 2012/10/21
    一日に玄米4合。消化管を通過するのに一日半として、この時代の日本人はつねに体内に玄米6合=1L、1.5倍の水で炊いたとして2.5Lの「ご飯だったもの」を保有していることに。
  • 太宰治 小説の面白さ

    小説と云うものは、来、女子供の読むもので、いわゆる利口な大人が目の色を変えて読み、しかもその読後感を卓を叩いて論じ合うと云うような性質のものではないのであります。小説を読んで、襟(えり)を正しただの、頭を下げただのと云っている人は、それが冗談ならばまた面白い話柄でもありましょうが、事実そのような振舞いを致したならば、それは狂人の仕草と申さなければなりますまい。たとえば家庭に於いても女房が小説を読み、亭主が仕事に出掛ける前に鏡に向ってネクタイを結びながら、この頃どんな小説が面白いんだいと聞き、女房答えて、ヘミングウェイの「誰がために鐘は鳴る」が面白かったわ。亭主、チョッキのボタンをはめながら、どんな筋だいと、馬鹿にしきったような口調で訊(たず)ねる。女房、俄(にわ)かに上気し、その筋書を縷々(るる)と述べ、自らの説明に感激しむせび泣く。亭主、上衣を着て、ふむ、それは面白そうだ。そうして、そ

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    betelgeuse 2012/07/01
    サブタイトル『もし太宰治が島崎藤村の「夜明け前」を読んだら』