雑感390-2007.6.18「神栖井戸水ヒ素汚染事件 意外な展開 −公害等調整委員会で審理中−」 これまでの経過 茨城県神栖市の井戸水ヒ素汚染については、今までも何回か書いてきた。(過去の記事は文末の一覧へ) 旧日本軍の砲弾が原因というような報道が盛んに行われていた。また、環境省も毒ガス調査として、金属の砲弾が埋まっていることを想定したような調査を行い、また、被害を訴えている住民の救済には環境省があたった。 筆者は、「旧日本軍」「毒ガス砲弾」「国の責任」ということに対し、終始疑問を書いてきた。その近くでは、砂利が採掘され、砂利穴に廃棄物が埋め立てられていることが多かったことを知っていたので、まず、廃棄物を疑っていた。茨城大学広域水圏センターの楡井教授等の調査が契機になり、最終的にコンクリート塊の中に閉じこめられたジフェニルアルシン酸(DPAA)を主成分とするヒ素化合物が発掘され、
WEBRONZAから 6月27日のWREBRONZAに私は、「自然エネルギー、地に着いた議論がしたいー経済リスクも見落とせない」を書いた。その要旨が、7月5日付けの朝日新聞朝刊(11面)に紹介された。この原稿を書いて送るとき、この原稿は朝日に嫌がられるだろうなと思った。今回、本紙で紹介されたことは、嫌われていなかったことになるのだろうか? 雑感553-2011.6.27「『雑感』に戻ってきました」 長らく「雑感」を休んでいましたが、ようやく戻ることができそうです。毎週書けるかどうかははっきりしませんが、できるだけ書くようにします。半年くらい、あまり書かないという状況が続き、その上2月頃から全く書かないという状況になっていました。 この間に、東日本大震災という日本の歴史を変えるきっかけになるような災害がありました。そのことについては、おいおい書いていくことになると思うのですが、今日は、
雑感536-2010.10.12「ノーベル賞−二つの話題−」 戦後の技術革新時代の力量 クロスカップリン反応の発明者、活用者3人にノーベル化学賞が授与され、その内2人が日本人だったのでやや興奮。北大名誉教授の鈴木章さんと、米国Purdue大学特別教授の根岸英一さん。根岸さんの経歴を見ると、湘南高校、東大応用化学、帝人、Purdueとなっていて、その当時は最も秀才の人が辿る典型的な経歴である。 当時は、戦後の技術革新の波が押し寄せていた時代で、その内容は石油化学だった。成績の良い学生が応用化学に進み、その中で一番、二番の学生が帝人や東レなどの繊維系の化学会社に引き抜かれた。合成繊維がまさに技術革新の成果だった時代。そういう時代背景を考えると、根岸さんの受賞はよく分かる。1960年代(昭和30年代)の日本の力を反映しているように思う。 受賞の対象となっている反応が広く使われていること、さら
ハウルの動く城の謎について分析し、私の解釈をまとめたものです。よくあると思われる質問を想定し、回答集としてまとめてみました(FAQ)。 #0.ハウルの動く城はなぜわかりにくいのか #1.なぜハウルは若い女性の心臓を奪うのか #2.なぜ、ソフィーは歳をとったり、若返ったりするのか? #3.城の構造はどうなっているのか?そして、ソフィーは城をどうしたかったのか?なぜ、ソフィーの魔法は解けたのか? #4.ハウルは少年時代にカルシファーとなぜ、どういう契約を行ったのか? #5.ハウルは何故城を動かしたのか #6.なぜ原作にはない戦争シーンが映画では付け加わったのか #7.ハウルはなぜ浮気性なのか #8.ソフィーの家族構成は?そして、ソフィーは何故自分はダメだといつも考えているのか。 #9.ハウルは何故ソフィーに惹かれたのか #10.カカシのカブとは何者なのか #11.なぜ荒
雑感502-2010.1.12「『食のリスク学』−2010年のはじめに−」 本を出しました 新しい本を出すことができました。タイトルは、「食のリスク学−氾濫する『安全・安心』をよみとく視点」(日本評論社)です。この雑感が公表される頃に書店に出ます。 日本における食の安全問題の扱われ方 日本における食の安全問題の現時点での特徴を、私は、このように捉えています。 1)ほとんどリスクがない問題や単なる形式違反みたいな問題は大騒ぎをする、「直接的なリスクはないが、予防的観点からあってはならない」が常套句。そして、膨大な費用をかけて回収などを行うが、それらにはリスク削減の効果がない、そもそもリスクがないのに大騒ぎしているのだから。 2)リスクがありそうな問題には触れない、「風評被害を防ぐため」が常套句。 その理由は、a)関係者が有力な企業である、b)関係者が一次産業系である、c)従来市民
これが「棒の手紙」だ! 平成8年から9年にかけて世間を騒がせた「棒の手紙」――僕はたぶん、それを徹底分析した日本でただ1人の人間だと思うので(笑)、その分析結果をここに残しておきたい。 僕が「棒の手紙」のことを初めて知らされたのは、「オタク座談会」シリーズを出している音楽専科社の編集者からだった。 音楽専科社は『アリーナ37℃』という音楽雑誌を出しているのだが、その文通希望コーナーに名前が載った人の中で、「不幸の手紙」の被害に遭う人が続出した。「こわくて捨てられない」という訴えを受けた編集部では、「『不幸の手紙』を受け取った方は編集部までお送りください。こちらで処分します」と呼びかけた。すると「不幸の手紙」が編集部宛てに続々と回送されてくるようになった。 ところが、途中で字の汚い奴がいたらしく、「不」と「幸」がくっついて「棒」になってしまった。しかも「文章を変えずに」という指示がある
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