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歴史に関するbrink004のブックマーク (67)

  • 伊丹万作 戦争責任者の問題

    最近、自由映画人連盟の人たちが映画界の戦争責任者を指摘し、その追放を主張しており、主唱者の中には私の名前もまじつているということを聞いた。それがいつどのような形で発表されたのか、くわしいことはまだ聞いていないが、それを見た人たちが私のところに来て、あれはほんとうに君の意見かときくようになつた。 そこでこの機会に、この問題に対する私のほんとうの意見を述べて立場を明らかにしておきたいと思うのであるが、実のところ、私にとつて、近ごろこの問題ほどわかりにくい問題はない。考えれば考えるほどわからなくなる。そこで、わからないというのはどうわからないのか、それを述べて意見のかわりにしたいと思う。 さて、多くの人が、今度の戦争でだまされていたという。みながみな口を揃えてだまされていたという。私の知つている範囲ではおれがだましたのだといつた人間はまだ一人もいない。ここらあたりから、もうぼつぼつわからなくなつ

  • 安芸の夜長の暇語り 歴食サミット於益田・「毛利元就饗応膳」感想

    読んだや安芸の歴史など気の向くままに書き綴るサイト。 今のところ中世、毛利元就とその周辺の国人達が主。 歴サミットというものが出来ておりまして 去年は発祥地・山口で大内御膳がべられたのですが 今回は益田、毛利元就を益田氏がもてなした時の再現料理べんがため 益田まで行ってきました。 匹見峡まではよく行くのですが、益田までとなると遠いので 高速バスで行きました。 ・・・益田行きの高速バスで加計や千代田に行くこともできるんですね。 じゃけ~、予約いらんのかあと納得しました。 ていうか、途中で津和野市通るので、市内循環バス使えば津和野も行ける・・・。 益田行きの高速バス、意外と使えます。 道中も、また結構楽しかったです。 加計の辺りから雪が残っていて わ~雪じゃあ!!一ヵ月振りに見る!! と内心テンションあがってたんですが 吉和に近づくにつれてどんどん辺りが白くなり 田んぼも山も一面の雪

    安芸の夜長の暇語り 歴食サミット於益田・「毛利元就饗応膳」感想
  • 物理学、化学、生物学、地学の総がかりで迫る『地球の歴史』

    地球をシステムとして捉えた「地球惑星科学」の入門書。 地質学をベースに、天文学、地球物理学、分子生物学から古生物学、物理化学や環境化学、海洋学など、ありとあらゆる自然科学を総動員して説明してくる。その切り替えはスムーズで、「今から化学の視点で分析するよ」と宣言されない限り継ぎ目が見えない。地球という存在に取り組むにあたり、細分化された学問では説明しきれないという思いが文章のあちこちに溢れており、応用科学の真骨頂に触れる、エキサイティングな読書となった。 書を面白くさせているのは、視点スケールだ。すなわち、地球をまるごと把握するため、全体を一つのシステムとして理解する発想である。地球を「系」で考え、串刺しで説明しようとする。たとえば、地球寒冷化を説明する際、太陽活動や巨大隕石の影響のみならず、大気水圏で起きている事象と、固体地球圏での原因の相互作用として説明する。しかも、人のスケールである

    物理学、化学、生物学、地学の総がかりで迫る『地球の歴史』
  • 【事件】無人島で男女が集団サバイバル生活をした結果 - 歴ログ -世界史専門ブログ-

    無人島に流れついた男女… あなたの乗っていた航空機が無人島に墜落。乗客の半分は死亡しますが、あなたは偶然助かったとします。 どういうわけか救助は来なく、しばらくの間生き残った人同士で無人島で生活しなくてはいけない。 さあ、どうする。 日々の暮らしに必要な道具が一式ないのはもちろん、社会統制のためのルールや法律もない。 もちろん、生き残った人たちと協力して生きていかねばならないけど、 ここには集団を縛る行動規範がないから、料や縄張り、異性を巡った争いが起きてしまう。 人類が未踏の地にたどり着くたびに、このような困難は繰り返されてきたはずです。 今回は、実際に無人島に複数男女がたどり着き、その後どのようになったのかを2例紹介します。 英領ピトケアン島 ピトケアン島は、南東太平洋にある絶海の孤島。 現在もイギリスの委任統治領で、人口わずか50人。 最寄りの有人島まで400キロ、政庁があるニュー

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  • 【5年前の記憶の全て】 /寺田学 -TerataManabu- オフィシャルウェブサイト

    以前から、総理補佐官として官邸勤務をしていた当時の事を、備忘録を兼ねて書き記しておきたいと思っておりました。これまで全ての事故調で証言し、多くの取材でも聞かれたことは全てを正直にお話してきましたが、聞かれていない事、記事にならなかったものも多数あります。

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  • プロも熱中する「歴史マンガ」珠玉の5冊

    歴史の教科書に書いてあることは覚えていないけれど、歴史マンガを夢中になって読むうちに、いつの間にか史実や時代背景に詳しくなる――。そうした経験がある人も少なくないのではないでしょうか。 なぜ歴史マンガには、引き込まれるような特別な魅力があるのでしょうか。年号や史実関係の暗記が求められがちな歴史の授業に比べて、歴史マンガにはストーリーやロマンが盛り込まれています。そうしたドラマチックな読書体験から得た知恵や知識は、血肉となって定着しやすいと言われています。 教科書なら一行で終わってしまう出来事であっても、歴史マンガでは、何巻にもわたって詳しく描かれています。マンガ家さんは、膨大な量の資料を調べて、当時の服装から街並までを再現します。それゆえ、1コマに込められた情報量たるや、教科書の比ではないのです。 「歴史マンガ」には人生のヒントが詰まっている たとえば今、2200万部を超える歴史マンガのベ

    プロも熱中する「歴史マンガ」珠玉の5冊
  • 安芸の夜長の暇語り 「出雲尼子氏と芸備地域」講義録

    読んだや安芸の歴史など気の向くままに書き綴るサイト。 今のところ中世、毛利元就とその周辺の国人達が主。 先々週の日曜日に芸備地方史研究会さんの大会が 広大でありました。 会員外でも無料で参加でき、 今まで出た出版物とかの物販もありました。 さすがに大人買いする余裕がなかったので あれこれ悩みながら何冊か買って ほくほくしてます。 織田との抗争前に山名氏との関係で あれこれあったのでちょうど備後山名氏に関する論文を 数冊買いました。 芸備地方史研究会さんはバックナンバー見るだけで なにこれ読みたい!!と思う題や おお!この先生の論文だ!! とアドレナリンが出るラインナップなのです。 なかなか出回らないのでこういう時に大人買い! 財布は軽くなりましたが、心は浮き立っています。 さて、講師の先生は長谷川博史先生。 題は「出雲尼子氏と芸備地方」。 尼子氏研究の先生の話を聞くのは 今回が初めてなの

  • 『それでも、日本人は「戦争」を選んだ 』解説 by 橋本 治 - HONZ

    加藤陽子さんの『それでも、日人は「戦争」を選んだ』は、2010年度の第九回小林秀雄賞の受賞作です。その時に選考委員だった私は、半ば強引にこの作品を推しました。それをしたのは、もちろん、多くの人にこのを読んでもらいたいと思ったからですが、もう一つ、「中学高校生を相手にして講義をする」という形のこのが、叙述の形としては画期的に新しいと思ったからです。 5章の真ん中辺には、こういうことが書いてあります―― 保守的な月刊誌などが毎年夏に企画する太平洋戦争特集などでは、なぜ日アメリカの戦闘魂に油を注ぐような、宣戦布告なしの奇襲作戦などやってしまったのか、あるいは、なぜ日は潜在的な国力や資源に乏しいドイツやイタリアなどと三国同盟を結んでしまったのか、という、反省とも嘆きともつかない問いが、何度も何度も繰り返されています。 「保守的な月刊誌」だけではなく、新聞やテレビも毎年夏になれば「終戦特

    『それでも、日本人は「戦争」を選んだ 』解説 by 橋本 治 - HONZ
  • コラム別に読む : 家康、江戸を建てる [著]門井慶喜 - 末國善己(文芸評論家) | BOOK.asahi.com:朝日新聞社の書評サイト

    ■未来切り開くベンチャー精神 天正18(1590)年。徳川家康は、関白の豊臣秀吉から関東八カ国への移封を打診される。そこは240万石の広大な領土ながら、低湿地が多く、使える土地は少なかった。家臣団は猛反対するが、家康は居城を江戸に決め町造(づく)りに着手する。 『東京帝大叡古教授』が直木賞候補になった門井慶喜の新作は、江戸を大都市に変えた技術官僚に着目した連作集である。 湿地対策のため、利根川の流れを変える大工事を行う伊奈忠次を主人公にした「流れを変える」。神田上水の建設に尽力した大久保藤五郎と内田六次郎を描く「飲み水を引く」は、当時の土木工事を迫力いっぱいに活写した技術小説となっている。 秀吉の下で大判を作る後藤家に雇われていた庄三郎が、自分を認めてくれた家康のため、新通貨の小判を武器に通貨戦争を仕掛ける「金貨を延べる」は、経済小説としても秀逸である。 著者は、敵を倒す武将ではなく、無名

    コラム別に読む : 家康、江戸を建てる [著]門井慶喜 - 末國善己(文芸評論家) | BOOK.asahi.com:朝日新聞社の書評サイト
  • 書評・最新書評 : 戦国大名の兵粮事情 [著]久保健一郎 - 本郷和人(東京大学教授・日本中世史) | BOOK.asahi.com:朝日新聞社の書評サイト

    武士たちは、いかにべ、戦ったか 戦争は戦術・戦略・兵站(へいたん)の3要素から成る。戦術とは戦場でどういう作戦をとるかであり、戦略とは政治や外交を含む幅広い視野のこと。対して兵站とは物資(武器や馬など)の補給であるが、その根料である。「腹が減っては戦はできない」のだ。 戦国の合戦を語るとき、私たちはつい戦術に目を奪われる。桶狭間の戦いは奇襲だったか否か、長篠の戦いの鉄砲三段撃ちは当か、等々。戦略が語られることは少なく、足利義昭の信長包囲網などが辛うじて当てはまるのみ。兵站となると、もう具体的な様相がまるで分からない。これではいけない。「戦争のプロは兵站を語り、戦争の素人は戦略を語る」(石津朋之氏)というではないか。 戦国大名はどのようにして、どれくらい、兵粮(ひょうろう)を調達していたか。それを知りたければ書を読もう。そんな感じで書評すればいいかな、と実は思っていた。だが、読

    書評・最新書評 : 戦国大名の兵粮事情 [著]久保健一郎 - 本郷和人(東京大学教授・日本中世史) | BOOK.asahi.com:朝日新聞社の書評サイト
  • 戦国の庭 歴史館/ひろしま観光ナビ

  • 1万年前の「虐殺」は人類の戦争の起源か|WIRED.jp

    brink004
    brink004 2016/01/26
    1万年経ってもやってることはあんまり変わらないですね。
  • http://www.youtube.com/watch?v=Ei-xxp2cZsw

    brink004
    brink004 2016/01/08
    スーパー体験者ならではの重い説得力がある
  • 小野田さんはなぜ1年で日本を去ったのか

    小野田さんはなぜ1年で日本を去ったのか
    brink004
    brink004 2016/01/08
    侍です
  • 「首切りの歴史」書評 ひとの残虐性、心の変遷を知る|好書好日

    首切りの歴史 [著]フランシス・ラーソン ひとは、「切断された頭部=首」に引きつけられる、と書の著者は言う。そんな残酷で物見高い精神は持ちあわせていない、と反論するかたもおられると思うが、人類(のかなり多く)は脈々と、首への興味を維持してきたことが、書を読むとわかる。 フランスでは、斬首刑を人々が見物するのがふつうだったそうだが、死刑執行人の手腕によっては、スムーズにことが運ばないこともあった。そこで考案されたのがギロチンだ。ところが、はじめてギロチンによる処刑を見た人々は、なんと不満を漏らした。「すばやく通り一遍に仕事をこなす機械では、見るべきものがない」と。 第2次世界大戦中、南の島で戦死した日兵の頭蓋骨(ずがいこつ)を持ち帰ったアメリカ人もけっこういたらしい。居間に飾られた頭蓋骨に、家族も次第に愛着を感じ、そこにあって当然の存在として接した。 著者は古今東西の首にまつわる事例を

    「首切りの歴史」書評 ひとの残虐性、心の変遷を知る|好書好日
  • 日山城跡/ひろしま観光ナビ

  • 【関西の議論】どうする全国の「名城」建て替え 耐用年数近づく戦後のコンクリート城 木造再建はコストが課題 (1/4ページ)

    戦災で焼失するなどし、戦後の高度成長期に再建された全国の名城が、建て替えや改修の時期を迎えている。当時再建された天守閣の多くが鉄筋コンクリート(RC)製で、50~60年といわれる耐用年数が近づいたためだ。名古屋城など木造での格的な復元を目指す動きもあるが、大幅なコスト増や材料の確保など課題は多い。築57年の和歌山城(和歌山市)も老朽化した城の今後の判断材料とするため耐震診断を検討している。各地の名城の行く末は?(地主明世) 改修か木造再建か 「こんなに良い城だったとは。(徳川)御三家の落ち着いた雰囲気を感じます」。観光で和歌山城にきた大阪市の男性(70)は天守閣を見上げてこう感嘆した。 和歌山城は8大将軍・徳川吉宗を生んだ紀州徳川家の城として知られる。城の歴史は、紀州を平定した豊臣秀吉の命を受けて弟の秀長が天正13(1585)年に築城したのが始まり。元和5(1619)年に徳川頼宣が入城し

    【関西の議論】どうする全国の「名城」建て替え 耐用年数近づく戦後のコンクリート城 木造再建はコストが課題 (1/4ページ)
    brink004
    brink004 2015/11/16
    RCの天守閣なんか補修するようなもんじゃないでしょ。木造復元できないなら壊しゃいいのに。
  • 『動くものはすべて殺せ アメリカ兵はベトナムで何をしたか』 - HONZ

    ベトナム戦争終結から、今年でちょうど40年。その間、この戦争について多くの研究書や回顧録、ルポルタージュが刊行され、映画もたくさん制作されてきた。もちろん、これを主題とする小説も書かれた。わたし自身も何度かベトナム帰還兵の登場する作品を訳し、この戦争について学ぶ機会を得ている。英日翻訳を専門とする出版翻訳家なら、誰もが一度は向き合わざるをえないテーマかもしれない。 最近はベトナム戦争についてよく知らない若い人が増えていると聞くが、安全保障問題への関心が高まるなか、年配の世代でも、祖国の今後を考えるためにもいま一度、この戦争について知識を整理し直したいとお考えのかたもいらっしゃるだろう。きちんと知るには、フランス、そして日による植民地支配からベトナムの歴史をおさらいすべきだろうが、そんなふうに身構えずとも、ふと目を惹かれたを手にとってみることで、思わぬ興味が広がり、理解が深まることもある

    『動くものはすべて殺せ アメリカ兵はベトナムで何をしたか』 - HONZ
  • 「日米開戦 陸軍の勝算」を読む

    林千勝著「日米開戦 陸軍の勝算―「秋丸機関」の最終報告書』(祥伝社新書)を読んだ。 書の白眉は目からウロコの史実の発掘である。今日の近現代史は「日軍、特に陸軍は無謀な戦争に走った」という見方が定着している。 だが、実は、陸軍は「陸軍省戦争経済研究班」のもと日米欧の経済力と軍事力を徹底的に調査、研究し合理的判断のもと「勝てる戦略」を準備して、開戦に臨んだという。著者の林氏はその歴史的史料を入手し、書で詳細かつ具体的に検証している。 「無謀な戦争突入」という史観は左翼・リベラル系の学者やメディアによってのみ出されているのではなく、保守層の間でも幅広く定着している。その大きな要因の1つに、元都知事の猪瀬直樹氏が1883年に出版した「昭和16年夏の敗戦」がある。 安倍晋三首相の後継を狙う石破茂・地方創生担当大臣(元防衛庁長官)は同書を高く評価、「全日人必読の書だ」と絶賛している。 猪瀬氏の

    「日米開戦 陸軍の勝算」を読む
  • 「信長の城」千田 嘉博 著 | Call of History ー歴史の呼び声ー

    戦国時代の城で現存しているものは皆無である。なにせ四百年以上前の建築物だけに、遺構が残っているだけで貴重、多くは地中深く埋もれているか、その歳月によって跡形もなく破壊されて消え去っているものも少なくない。そこで、考古学的アプローチで城郭を調査研究することで、その姿を浮き彫りにしようとする城郭考古学という学問分野が発展してきた。書で、城郭考古学の第一人者である著者によって描かれるのは織田信長が拠点とした様々な城たちの姿である。 信長初期の城「勝幡城」「那古野城」「清須城」まず紹介されるのが信長出生の城、「勝幡城」である。信長の出生地としては勝幡城、那古野城、古渡城の三説があったが、近年、那古野城が織田家の支配下に入ったのが信長出生後ということが判り、那古野城とその奪取後に建てられた古渡城説が消え、勝幡城が信長出生地とされた。しかし、同城は江戸時代の治水工事によって城址の中心を日光川が貫き痕

    「信長の城」千田 嘉博 著 | Call of History ー歴史の呼び声ー