1941年(昭和16)6月に日本語新聞が廃刊されて以後は、日本人たちにとって、ポルトガル語を多少読むことはできても、ブラジルのポルトガル語紙の記事は連合国側のデマ宣伝で信用できないとして、人づてに聞く日本からの短波放送の情報のみが信用できる情報となっていった。日本の放送にも連合国側同様にプロパガンダが含まれているとは考えなかった。 1945年(昭和20)8月14日、日本のポツダム宣言受諾を伝える放送はブラジルでも聞くことができ、敗戦の知らせを聞いた日本人たちは呆然とするばかりであった。しかし、少し時間がたつと、敗戦という受け入れ難い事実を受け入れる代わりに、それまでに得た情報を願望によって都合よく再解釈し、敗戦はデマであり、実は日本が勝ったのだと言い出す者が出てきた。その言説は、すぐさま日本人の間に伝わり、敗戦を受け入れたくない多くの人たちに信じられることになった。これらの人たちは、勝ち組