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歴史と考え方に関するbruskyのブックマーク (3)

  • 新書の役割――「ナチスは良いこともした」と主張したがる人たち(田野 大輔)

    DIG 現代新書クラシックス(7)群像×現代新書のコラボ企画「DIG 現代新書クラシックス」の第7弾(『群像』7月号掲載)は、甲南大学教授の田野大輔氏による、石田勇治『ヒトラーとナチ・ドイツ』(2015年刊)の紹介です。 「ナチスは良いこともした」と主張したがる人たちの心理とは? 不正確で一面的な情報に惑わされないために、入門書が果たす役割を示します。 ナチスは良いこともした? ナチスが「絶対悪」であり、未曾有の災禍の元凶であることは、今日では常識となっている。だがインターネット上ではむしろ、「ナチスは良いこともした」と声高に主張したがる人が増えている。 アメリカトランプ現象やヨーロッパの排外主義運動といった近年の国際情勢を反映してか、わが国でもナチズムへの社会的関心は高まっているが、一般に出回っている情報には著しく不正確なもの、とうに否定された俗説も少なくない。 実は先日、筆者にそのこ

    新書の役割――「ナチスは良いこともした」と主張したがる人たち(田野 大輔)
  • 私たちは「善良」だったか? 『エール』の終戦が“被害者意識”の日本人に突きつけるもの | 文春オンライン

    戦争が憎い」という言葉は、これまで何度も朝ドラの中で発せられてきた。戦争は自由を抑圧し、表現を検閲し、主人公の夢を阻むものとして描かれ、終戦の玉音放送はその抑圧からの解放として、美しい青空とともに描かれるのが定番だ。 だが『エール』では「僕は音楽が憎い」という言葉が象徴するように、戦争は主人公の夢の達成そのものが招き、実現したはずの夢が悪夢に変わる光景に主人公は立ち尽くす。 これまでの朝ドラが「表現の自由」を戦争の反対側に置いてきたとしたら、『エール』は戦争に加担した側のクリエイターの『表現の責任』について、この時代の自分たちへの問いかけとして置いているように見える。 『二十四の瞳』に対する大島渚の激しい批判 1954年に公開された『二十四の瞳』という美しい反戦映画がある。1928年、瀬戸内海の小さな島に赴任した新しい時代の価値観を持つ若い女教師が、12人の子どもたちに「おなご先生」と慕

    私たちは「善良」だったか? 『エール』の終戦が“被害者意識”の日本人に突きつけるもの | 文春オンライン
  • 伊丹万作 戦争責任者の問題

    最近、自由映画人連盟の人たちが映画界の戦争責任者を指摘し、その追放を主張しており、主唱者の中には私の名前もまじつているということを聞いた。それがいつどのような形で発表されたのか、くわしいことはまだ聞いていないが、それを見た人たちが私のところに来て、あれはほんとうに君の意見かときくようになつた。 そこでこの機会に、この問題に対する私のほんとうの意見を述べて立場を明らかにしておきたいと思うのであるが、実のところ、私にとつて、近ごろこの問題ほどわかりにくい問題はない。考えれば考えるほどわからなくなる。そこで、わからないというのはどうわからないのか、それを述べて意見のかわりにしたいと思う。 さて、多くの人が、今度の戦争でだまされていたという。みながみな口を揃えてだまされていたという。私の知つている範囲ではおれがだましたのだといつた人間はまだ一人もいない。ここらあたりから、もうぼつぼつわからなくなつ

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