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ブックマーク / jun-jun1965.hatenablog.com (83)

  • 「ヌエ」と呼ばれた新島八重 - jun-jun1965の日記

    中村勘九郎(のち勘三郎)と竹下景子のデュエット「浅野川慕情」のドーナツ盤を入手した。どうやら同題の、小幡欣治作の舞台のものらしい。『勘九郎日記「か」の字』(集英社文庫)の上演年表を見ると、1983年5月中日劇場での上演である。勘九郎28歳、竹下さん29歳か。しかし『悲劇喜劇』2011年5月の小幡年表にはない。 - 『ちくま』に斎藤美奈子が新島八重のことを書いているが、これが面白い。当たっているところとはずれているところの対照が面白いのだ。 なぜ新島八重が、これまで福武久以外の人の関心をひかなかったのか、について、小ネタの合わせ技で偉人になりうる、まあ大した人ではないから、というのはその通りであろう。そして、写真で見るとブスでデブだから、ということを、斎藤が書いていないのも面白い。また、近年の校閲に屈せず「看護婦」としている。もっともこれは歴史上の人物だからかもしれず、筑摩書房だからかもし

    「ヌエ」と呼ばれた新島八重 - jun-jun1965の日記
    bt-shouichi
    bt-shouichi 2013/02/25
    「『ちくま』に斎藤美奈子が新島八重のことを書いているが、これが面白い。当たっているところとはずれているところの対照が面白いのだ。」
  • ■ - jun-jun1965の日記

    二週間くらい前の『週刊新潮』の連載で福田和也が、安倍政権になってこれで改憲ができると書いていて、そもそも現憲法は米国が作ったものでと言い、江藤淳が生きていたらと説く。江藤はGHQによる検閲を研究していたが、その際、福田恆存が検閲に協力していて、江藤に「アメリカまで行って調べなくても僕に聞けば良かったのに」と言った、とあった。私は初めて知ったので、ほうそうかと思った。 昨年の比較文学会で、占領軍の検閲でシンポジウムをやったのだが、聞いていた平川先生が最後になぜかぶち切れて、日側で検閲に協力した者がいるはずだ、なぜ隠すと騒いだという。その後、比較文学会の会報で、学会大会で個人および大学の名誉を毀損する発言があったという謝罪文が出て、これは何のことかなあと思ったのだが、学会事務局に聞いても、返事がなかった。ほかの人に聞いても、分からない、平川氏かもしれない、と言う。それで、平川先生は福田恆存の

    ■ - jun-jun1965の日記
    bt-shouichi
    bt-shouichi 2013/01/25
    福田和也が、検閲された側である福田恆存を、検閲した側であるかのように書いちゃったということで、謝罪
  • 重言  - jun-jun1965の日記

    こないだたまたまサイニイの論文で、工藤力男(1938- 成城大名誉教授)の重言の論文を見つけた。「過半数を超える」はおかしいというのである。「被害をこうむる」「在庫がある」「犯罪を犯す」も重言であると書いてあって、これは面白いと思った。「被害に遭う」「在庫している」「罪を犯す」でいいわけだ。なお「博打を打つ」も「打つ」が重なっている。 それで工藤のそういうエッセイを集めた『かなしき日語』(笠間書院、2009)を買って読んでいた。もっともたいていはサイニイで読めるのである。四股名が近頃おかしいとか、「海」と書いて「まりん」と読むとかの珍名の話とかで、うーんまあ「過半数」ほど面白くはない。 ところが中に「今上天皇」が出てきた。これは重言である、と私は指摘したことがある。「今上」だけで「今の天皇」の意味なのであって、これは『文学』の2004年に書いたから、工藤先生見落としたかな。それに「NHK

    重言  - jun-jun1965の日記
    bt-shouichi
    bt-shouichi 2012/12/25
    「「今上」だけで「今の天皇」の意味」
  • 会津もの嫌い - jun-jun1965の日記

    書店へ行ったら来年の大河ドラマの関連がいくつも並んでいたが、今年は立ち読みする気も起きない。何しろ近年の大河ドラマの傾向として、女が主人公になると、その時代としてありえない、ことが次から次へと出てくるのが常道だから、いや〜な予感がするのである。 だいたい、これで喜ぶのは福島の人というより同志社の人ではないか、というのもある。会津というのは福島の一部に過ぎず、また会津武士というのもまたそのさらに一握りでしかない。 考えてみると、どうやら私は、戊辰戦争で敗れた会津悲話というのが嫌いなのである。これは以前、『獅子の時代』で菅原文太が、「石光真清の手記」を原作として活躍したが、まあ途中から、当初予定されたストーリーとは違う方向へ行ってしまった。司馬遼太郎の『王城の護衛者』も、早乙女貢の『会津士魂』も読んでいない。津村節子の『流星雨』を読んだくらいか。 なんで嫌かというと、いろいろある。佐々城豊寿

    会津もの嫌い - jun-jun1965の日記
    bt-shouichi
    bt-shouichi 2012/12/20
    「女が主人公になると、その時代としてありえない、ことが次から次へと出てくるのが常道だから、いや~な予感がする」「だいたい、これで喜ぶのは福島の人というより同志社の人ではないか、というのもある」確かに…
  • 天皇と同和 - jun-jun1965の日記

    自由同和会という保守系の団体があることを私は知らなかったのだが、橋下について『週刊朝日』に抗議した文書に、「身分制を肯定し」とあったからおやおやと驚いた。橋下は天皇制というれっきとした身分制を肯定する人ではないのか。 それで自由同和会にメールを送って、お宅は天皇制を認めるのかと訊いたら、「hirakawa」ってメールが来たから、一瞬××先生からメールが来たのかとびびったが、これは自由同和会中央部事務局長の平河秀樹とかいう人だった。しかしこんな、単著も論文もない人のことは知らん。天皇制は認めている、国旗も掲げている、解放同盟とは一線を劃しております、小谷さま」とどうも私のことを知らないようだったから、「天皇制は身分制ではないのですか」と返したら、ややあって「天皇制に関する不毛な議論はこれで終わりといたします」と返事が来た。おいおい、何か苦し紛れに言えよと思うくらいたちまち議論拒否である。ど

    天皇と同和 - jun-jun1965の日記
    bt-shouichi
    bt-shouichi 2012/11/08
    「自由同和会という保守系の団体」が「橋下について『週刊朝日』に抗議した文書に、「身分制を肯定し」とあったからおやおやと驚いた。橋下は天皇制というれっきとした身分制を肯定する人ではないのか」
  • 「瓜二つ」か? - jun-jun1965の日記

    「1990年文藝春秋刊『紙の中の黙示録』(佐野眞一著)の38P〜43Pは1988年文藝春秋刊『新東洋事情』(深田祐介著)の70P〜73P(文庫版)と瓜二つで大宅賞選考委員だった深田」が怒ったと、猪瀬直樹がツイートしていた。 そこで確認してみた。いずれも、不法滞在のバングラデシュ、パキスタン、インドからの労働者について、荒川駅、板橋区で取材したものである。出だしに「京成線荒川駅」があったり、「女性の製業者」が出てきたりするところは確かに似ているが、瓜二つというほどではない。特に佐野は、1988年5-6月に起きた、不法滞在外国人労働者の摘発を受けて取材しており、深田著は、87年7月から88年4月まで『文藝春秋』に連載し、4月に刊行されたものだから、この摘発はまだ起きていない。「女性の製業者」は、深田著では入国管理局への不満を少し口にしているが、佐野著では、摘発を受けたあとだから怒りをあらわ

    「瓜二つ」か? - jun-jun1965の日記
    bt-shouichi
    bt-shouichi 2012/10/25
    「むしろ「瓜二つ」という書き方で、佐野が深田の本を丸写ししたように書くことのほうが問題だと思う。なかんずく、このタイミングで佐野を叩くというのは、橋下への援護射撃にしか見えない」/実際援護射撃でしょう
  • 平家にあらずんば人にあらず - jun-jun1965の日記

    さっきの・よりんさん(配役宝典)が、「平家にあらずんば人にあらず」は『平家物語』では平時忠「此一門にあらざらむ人は皆人非人なるべし」(岩波古典文学大系、禿髪(まぶろ))なのを、現行流通形式にしたのは誰かと言っていたので調べてみた。なお『源平盛衰記』では「此一門にあらぬ者は、男も女も尼・法師も、人非人」である。古典大系の注には「仏教で八部の鬼神をいう。人間以下の階級に属する」とある。 最初は、吉川英治『新・平家物語』かなと思ったのだが違うらしい。近デジを使ってみていたら、昭和6年『少年平家物語』(豊島次郎、金蘭社)に「平の一門でない奴は、みんな非人乞だ」とあった。実はこれ、大正14年の入交総一郎編『平家物語』(金蘭社)とまったく同じであることが分かり、つまり豊島次郎=入交総一郎らしいと変な副産物が出たのだが、こう見ると、 「ははーん、『非人』はいかにもまずいので、戦後になって『人にあらず

    平家にあらずんば人にあらず - jun-jun1965の日記
    bt-shouichi
    bt-shouichi 2012/10/01
    「平家にあらずんば人にあらず」は、『平家物語』では平時忠「此一門にあらざらむ人は皆人非人なるべし」だった/「人に非ざる」と書いた頼山陽の日本外史が最初か
  • 由紀草一氏との対話 - jun-jun1965の日記

    ブログ記事へのコメントを、由紀草一という方から貰った。茨城の伊奈の人で、高校はうちの父(ヌエ)と同じらしい。そういえば済世会とかいう同窓会の案内がよく来ていた。 著書も数冊、新書判であるので、『軟弱者の憲法論』というのを読んでみた。これは要するに九条改憲論だが、まえがきのところに、「私は右翼ではない。天皇制は支持するが」とあったので、私は『天皇制批判の常識』を送り、それから議論になっている。許可を得てここに載せるが、途中までは、右往左往していたので、前回の由紀氏のメールから、必要なところだけ抜く。その前に私は、天皇はいてもいいが、法から外して、家元のように京都にいて、好きな人が支持していればいいのではないかと言ったのだが、由紀氏は、法で定めたほうがいいと言う。 由紀氏 >さて、君主制のほうがいいとのことですが、それはなぜでしょう。 理由は以前に申したことでほぼ尽きています。が、もうちょっと

    由紀草一氏との対話 - jun-jun1965の日記
    bt-shouichi
    bt-shouichi 2012/09/11
    天皇を国家の中においておく意義を信仰や崇敬の念を前提とせずに説明しようとする人は、権威の必要とかいう理屈では説明できず、結局今憲法でそうなってるし国民も反対してないし…となりがち、という印象をもってる
  • ■ - jun-jun1965の日記

    「新しい歴史教科書」というのは、家永三郎系で以前にあったのだよな。まあそれで例の「新しい歴史教科書をつくる会」発足の時、『論座』が、賛同者の数人にインタビューしていて、大月隆寛が途中で怒ったのは有名な話だが、これは一問一答形式ではなくて談話まとめ記事だった。中に岸田秀がいて、「これが政治的な団体なら加わりませんよ。そうじゃないんでしょう?」と言っていて、あとで考えたら、インタビュアーは「そうですよ」と言ったのだろうか言わなかったのだろうかと気になったことであった。 東大名誉教授というような人たちが、こないだ私の藤原書店相手の期日の日に、安倍晋三を総理にしろとかいう声明を出していたそうだが、下らん。これも政治的な運動である。さるにても、東大名誉教授ともあろうものが、成蹊大卒の男を総理にしろと言うなどとは、秩序も乱れたもので、世が世なら、そんな聞いたこともない私大卒のやつになぞ国政が任せられる

    ■ - jun-jun1965の日記
    bt-shouichi
    bt-shouichi 2012/09/10
    「東大名誉教授ともあろうものが、成蹊大卒の男を総理にしろと言うなどとは、秩序も乱れたもの」w/安倍は小学校から成蹊。ノブテルは中学から、ゲルは高校から慶応。東大は町村(ガッキーも)。野田は早稲田
  • 「ぶれない」 - jun-jun1965の日記

    私は「ぶれない」という妙な流行語の、自己啓発的な響きがものすごく嫌なのでもちろん自分では使わない。『週刊文春』で坪内祐三が呉智英さんの文庫を評していたのは、へえ坪内は呉智英を読むのかと意外であった。何しろ盟友だか悪友だかの福田和也は「すべからく」を誤用していたことがあるし。そこで坪内は、呉智英はぶれないので、最近は読んでいなかったと書いている。坪内の美意識で、そういう語を使うのかとこれも意外だった。ただ呉さんについては、この数年、漫画と仏教のが主なので、私もあまり読んでいない。 しかし「ぶれない」というのはどういう意味なのであろうか。信念があってそれを曲げないとかそういう意味かと思うのだが、しかしそれは人間として当たり前のことで、宮台や福田和也のように情勢にあわせてほいほい変わるほうがおかしいので、褒め言葉としても、「嘘をつかない」というのと同じくらい、変だと思う。 まあそれはいいとして

    「ぶれない」 - jun-jun1965の日記
    bt-shouichi
    bt-shouichi 2012/09/08
    「全体としてビジネス書と、スポーツ選手礼賛ものが多いが、平山郁夫、斎藤孝、田母神、熊井啓あたりが異色である。たぶん最初はゴルフ用語だったのだろう」
  • 山川菊栄のアイロニー - jun-jun1965の日記

    山川菊栄というのは、社会主義の女性解放論者である。夫は山川均。戦後は労働省の婦人課長を務めたが、自由党政府の下だからいろいろやりづらかったようだ。 だが、その山川の著書で、岩波文庫に入っているのが、鈴木裕子が編纂した女性解放論集のほかは、『武家の女性』『わが住む村』『覚書幕末の水戸藩』である。山川はもと青山姓で、水戸藩の下層武士の家に生まれたのだが、『武家の女性』『わが住む村』は、1943年の著作である。つまり戦時下のもので、社会主義的なことが書いてあるはずもない。『武家の女性』の解説は、芳賀徹である。もちろん、保守派の比較文学者であるから、武家の女性の質素倹約、貞節の生活をいつくしんだ解説なのである。『わが住む村』のほうは鹿野政直。『山川菊栄集』に収められ、岩波文庫に入ったのは、いずれも山川の没後のことである。 あと平凡社の東洋文庫に『おんな二代の記』という、母と自分との伝がある。つまり

    山川菊栄のアイロニー - jun-jun1965の日記
    bt-shouichi
    bt-shouichi 2012/07/11
    「どうもこういう書物が、近世美化に寄与しているかと思うと、果たして山川が生きていたら、これらが自分の代表的著作として読まれていることを喜んだろうか、と疑問に思わざるを得ないのである」
  • ■ - jun-jun1965の日記

    これは前にどっかに書いた気がするんだが、阪大にいた96年ころ、やや年下の女性同僚の室にいたら、来客があった。ドアの前についたてがあるから、私の姿は見えないのだが、来たのは男子学生らしくて、彼女が出ていくと旧知の学生らしく、「あらいらっしゃい」の後、「今日は告白に来ました。先生が好きです。つきあってください」と言うので、私はうわっと驚き、中へ入ってきたらどうしようと、隠れ場所を探したりしたのだが、彼女もさすがに困り、「そんな…あなたはまだ若いんだし」などと言って、ようやく帰した。戻ってきて、はああー、十歳も違うのに、と言う。前から時々質問などに来ていた学生だという。 しかし私は感動したのである。仮に私が二十歳の学生で、十歳上の教師を好きになったとして(ただし私のころはそんな女性教師はいなかった)、とてもこんな真似はできないと思った。偉いと思い、『七人の侍』の木村功のように、「あなたは素晴らし

    ■ - jun-jun1965の日記
    bt-shouichi
    bt-shouichi 2012/06/24
    高校生の頃に30代半ばの女教師に劣情を刺戟されたことがあるが、あれは恋愛感情とはいえない…かな?
  • 条件法の誕生 - jun-jun1965の日記

    http://blog.goo.ne.jp/excelkoba/e/b176238c6bea52b70f602c028057eb4a 「こちらでよろしかったですか?」式の物言いも、日語がおかしいと言われつつ定着しつつある。 しかし、もしかしたらこれは、日語における条件法誕生の瞬間ではないのか。 日語には未来形というのがない。条件法も多分ない。 would you like...のwould はもちろんwill の過去形だが、条件法はほぼ助動詞の過去形を伴う。丁寧表現にも用いられるはずで、これは要するに過去形をもって条件法にし、新しい丁寧語を作り出しているのではないか。何しろ「こちらでようございますか」はちょっと古い。 - (活字化のため削除)→「凍雲篩雪」

    条件法の誕生 - jun-jun1965の日記
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    bt-shouichi 2012/05/15
    粕谷一希「異論に不寛容で、黙殺を決め込むお方が、自分の場合は黙殺するなと言うのだから、日本一の大ダヌキとでも言うほかない。」粕谷一希まだ生きてたんだな
  • ばあば - jun-jun1965の日記

    図書館へ行って、OPACで調べものをしていたら、後ろで、二人づれのおばさんらしき話し声が聞こえた。「発表会」とか「ばあばも呼んでるから」などと言い、子供に「ブースカ」と呼びかけていた。 私は「ばあば」などというのは、少女マンガか小説の中にしかない呼び方だと思っていた。実際に使う人がいるのか、と思った。 - 春場所が始まった。大阪である。私の知らない間に玉突き引退があった。追手風部屋の濱錦が引退して春日山になり、春日山だった元春日富士は雷(いかずち)になり、雷だった起利錦は勝ノ浦になっていた。勝ノ浦は、伊勢ノ海(藤ノ川)が定年退職した後、勝ノ浦だった北勝鬨が襲名して空いたのだ。 濱錦は、最高位前頭四枚目で、もう長く幕下に落ちていた。一時は名の高濱のしこ名でとっていたが、その後濱錦に戻った。私はてっきり、親方にならずに引退して協会を去るのだと思っていたから驚いた。何しろ部屋持ち親方になるので

    ばあば - jun-jun1965の日記
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    bt-shouichi 2012/03/12
    「濱錦が引退して春日山になり、春日山だった元春日富士は雷(いかずち)になり、雷だった起利錦は勝ノ浦になっていた」勝ノ浦だった北勝鬨は昨年伊勢ノ海を襲名していたのか。んで濱錦は春日山部屋も引き継ぐと
  • 世間が分かる - jun-jun1965の日記

    必要があって『佐藤栄作日記』を読んでいたら、秦野章が久しぶりに来た、というのがあった。秦野は1971年の都知事選で自民党から立って美濃部に惨敗したのだが、自民党に対しては不満たらたらだったらしい。石原慎太郎が立つ話もあったのだが、もし石原が勝って四年やって党へ帰ってくると党内の年齢秩序が乱れると言って反対する人があったようだ。確かに1971年、石原は39だから、無理もない。しかし石原は不満たらたらで、『諸君!』で高坂正堯と対談して、自民党をぼろくそに言った。すると三島由紀夫が「毎日新聞」に「士道について」というのを書いて、自分の党の悪口を言うのは士道に反するとした。それで、三島と石原は決別したので、それで石原は憂国忌に参加していない。 言うまでもなく、秦野が敗れた次には石原が立ち、僅差で美濃部に敗れた。 それはさておき、秦野が来た時佐藤は、都知事選後、しばらく姿を見せなかったが、漸く世間と

    世間が分かる - jun-jun1965の日記
    bt-shouichi
    bt-shouichi 2012/02/22
    佐藤栄作日記。秦野章が佐藤を訪ねる。「秦野が来た時佐藤は、都知事選後、しばらく姿を見せなかったが、漸く世間というものが判ってきたらしい、と書いている」/美濃部初出馬の選挙のときに石原が立つ話もあったと
  • 藝術家と伝記 - jun-jun1965の日記

    福田和也や坪内祐三が言うほど斎藤美奈子がひどいかどうか、新聞の文藝時評だけでは分からない(だいいち朝日をとっていないから毎月読んではいない)のだが、続けて届いた『Scripta』と『ちくま』の連載を読んで、やや迷走しているなあと思った。 『Scripta』のほうは、近頃斎藤がやたら入れあげている小林信彦の『極東セレナーデ』なのだが、私はこの小説を新聞連載時に読んでいて、面白かったのだが、さあこれからどうなる、というところで突然終わってしまったという記憶がある。なんだか不人気の連載漫画が打ち切られるみたいであった。 だからそれが、これからアイドルとしてデビューしようとしたヒロインが、原発のCMに出るのを拒んで引退するという終わりだった、というのも覚えていなかったのだが、ここで斎藤は、今こそと力んでいるわけだ。 しかしそれは、「言論の自由」があったかどうか、という一般論ではなくて、藝能人やマス

    藝術家と伝記 - jun-jun1965の日記
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    bt-shouichi 2011/06/25
    大鵬と大江健三郎の対談か。「世界の若者たち」
  • 世間というもの - jun-jun1965の日記

    韓国の軍事独裁政権の朴正熙大統領が暗殺されたのは私が高校生の頃で、授業中に倫理社会の目良教師がそのことを伝え、私は隣席の左翼っぽい男と手をとりあって喜んだものだ。それより前に、朴夫人が射殺される事件があったが、その時、朴について「あの人もやり過ぎだ」という声があったのを、覚えている。 伊丹十三の映画「マルサの女」で、大型脱税を摘発した際に、その組織と関係する政治家から、国税庁に圧力をかける電話がかかってきて、小林桂樹が対応する場面がある。小林は、この場合ちょっと悪質でございまして、とか、もう一部マスコミもかぎつけておりまして、先生のお名前に傷がついては、などと言ってかわすのだが、世間というものをよく描いていた。 世間というものは「悪」を「悪」として指弾するという行為を嫌う。もちろん、世の中には当に「やり過ぎ」というのはあるが、明らかに「悪」であっても、それを「やり過ぎ」という言い方で表現

    世間というもの - jun-jun1965の日記
    bt-shouichi
    bt-shouichi 2011/01/29
    江戸時代の暗君や切捨御免といった話は明治期にできたものとのこと
  • オフリミット - jun-jun1965の日記

    元前頭・大竜川の清見潟親方が初場所中に定年を迎えたので、竹縄親方の栃栄が清見潟になり、現役の春日錦が引退して竹縄になった。玉突き引退。 なおこの清見潟の株は、現役時代の北の湖が持っていて、引退の際、兄弟子の大竜川に貸していたので、大竜川はあやうく廃業するところだったのだが、北の湖が一代年寄を贈られたので廃業せず、定年まで務めたという、一代年寄の恩恵を最も受けた人といえよう。 - ブログやツイッターが広がり、有力政治家や有名文化人などが始めても、これに決して参入しない層というのがいる。官僚や大学教授(准教授)で、後者はもちろん普通にやっている人もいるが、ウェブサイトはあってもただ公式的なことがらしか書かれていないのが普通である。大橋洋一などは、匿名でやっている、と『週刊新潮』の記事で言っていたが、東大教授が匿名でブログやって人を罵倒していたらまずいだろう。それはそうと、リスぺクタビリティを守

    オフリミット - jun-jun1965の日記
    bt-shouichi
    bt-shouichi 2011/01/24
    清見潟が元大竜川→元栃栄と移り、竹縄が栃栄→春日錦と移った玉突き引退にちなんで、清見潟の株についての話。元々北の湖のものであり、定年まで借りることが出来た大竜川は一代年寄の恩恵を最も享受した人とのこと
  • 福田と坪内に - jun-jun1965の日記

    『SPA!』の対談で、福田和也と坪内祐三が私の悪口を言い合っている。福田は、私が東大の紀要に「俺は東大を出て留学もしているのに、なぜ福田などが文藝評論家なのか」と書いた、載せる東大東大だと思った、などと言っているが、そんな事実はない。思い当たるのは、『比較文学研究』(これは東大比較文学会が出している学術雑誌であり、紀要ではない)に「外国で日文学を勉強するということ」を書いた(1993年、63号)。その冒頭で私は、福田の『「内なる近代」の超克』について疑念を表明しているのだが、これは『男であることの困難』に入っている。見れば分かる通り、福田が言うようなことは書いていない。書くわけがない。しかもその後、私は95年の比較文学会で福田と話している。それからあと、『谷崎潤一郎伝』を書いて福田が絶賛したらころっと態度が変わった、と言っているが、それは事実である。しかし、実際にはその間に、福田との対

    福田と坪内に - jun-jun1965の日記
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    bt-shouichi 2011/01/19
    spa!の福田と坪内の連載への反論
  • 経済学不信 - jun-jun1965の日記

    昨年まで四年くらい、今ごろの時期になると、朝日ニュースターの討論番組に出ていた。しかしもう耐えられないので今年は勘弁してもらった。何しろ五時間近く、喫煙できないで座っている。休憩はあるが一回、CM時間に喫煙に出るがすぐにまた始まる。で、へとへとになって帰ろうとするとタクシーが用意されるのだがこれも禁煙だから、断って電車で帰ってくる。たまるか。で、内容がいつも経済ばなしである。そして、この社会問題をどうするか、ということになると、経済の人たちが、かくかくの予算を組めば良いとあたかも政府の予算委員会のようになる。 かねて私は、経済学は役に立たないと言っている。ただしこれは、経済学のことをよく知らないで言っているので、誰かに十分に説得されたらいつでも撤回する。若田部昌澄という人が、私のこの言を引いて『経済学者たちの闘い』を著したから買ってみたが、どうもこれにも説得はされなかった。 それでも時々、

    経済学不信 - jun-jun1965の日記
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    bt-shouichi 2010/12/31
    「・「考えれる」というら抜きは珍しい。」