55年体制そのままに、日本社会党本部が入居する社会文化会館は自民党本部に先んじて永田町の一等地にお目見えした。「大野党に恥ずかしくないものを」と力んでも、「労働者の党」に資金集めは容易ではない。さりとて財界に頭を下げるなどその自負が許さない。党名も党勢も一変したいま、建設秘話を探る御厨貴・東大教授を当時と変わらぬ故浅沼稲次郎委員長の像が迎えた。 ◇フル回転した江田人脈 東京五輪の年、政権獲得に思いはせ 社会文化会館(注1)--かつての社会党の館は、今年の四月で築後四十五年を迎えた。自由民主会館--今の自民党の館に先んずること二年。“三宅坂”と言えば戦前は参謀本部、戦後は社会党を表象する地名となった。 「よりどころがほしい」との思いは、保守党よりも戦後社会党に集った人々にとって切実であった。一九四五年十一月結党時は蔵前工業会館にあった党本部は、年末には焼け残りの新橋にある堤ビルに定められた。