下の「冷たい福祉国家の幻想」のdojinさんのコメントがつきました。 http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2010/07/post-a1fa.html このあたり、ちょっと筋道はずれますが、むかし本ブログのあるエントリのコメント欄で、(妙なイナゴ諸氏の乱舞するなかで)ちょっとやりとりしたことがあります。 http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2006/09/post_b2d6.html(構造改革ってなあに?) >いなば: あと、飯田君はご自分の経済政策論と労働・社会政策論をそんなに無理矢理対立関係におかれる必要はないと思います。 ぼく自身は『教養』では連帯指向の社会運動・社会政策にもっぱら「後衛」、マクロ経済的に言えばビルトインスタビライザーとしてのみ肯定的な位置づけを与え、好況期にはむしろ市場に
We are proud to announce that we just published a timely monograph by William Brooks on Futenma issue, which has yet to be settled for indeed fourteen years, based on his rich experience in the American Embassy in Tokyo. Director, Kent Calder wrote, "It gives the Reischauer Center for East Asian Studies great pleasure to publish this monograph as the latest contribution to our Asia-Pacific Policy
小沢氏側の問題点 今回の件は、門外漢から見ても、今のところは巨悪をただちに暴き出すような捜査ではない。だから小沢氏側からすれば、昨年の西松建設違法献金事件に続き、なぜ形式犯的なもので自分ばかりが狙われるのかということになるのだろう。 一方で、政権交代以後の小沢氏のあり方はやはり目に余るものがあったと言わざるを得ない。記憶に新しいが、昨年十二月、民主党議員一〇〇名以上を引き連れて訪中し、胡錦濤国家主席に一人ひとり握手させ、自分が真ん中に座って写真撮影をするなど、あからさまに権力のありようを誇示した。 その直後には、訪日した中国副主席と天皇陛下の会見が急遽実現することになった。天皇の政治利用にあたるのではないかとの批判を受けて開いた記者会見では、宮内庁長官を厳しく批判して傲岸不遜な印象を与える態度を見せた。 予算案の決定においては、官邸に乗り込んでガソリン税の暫定税率維持や子ども手当へ
民主党の小沢幹事長の資金管理団体による土地購入をめぐり、元秘書の石川知裕衆議院議員らが政治資金規正法違反で逮捕された。翌日の民主党大会で、小沢氏は検察当局と「全面的に対決していく」と宣言し、鳩山首相もその姿勢を支持しているようだ。その後、小沢幹事長は検察の事情聴取に応じ、記者会見を開き、ソフト戦術に変えた感もある。だが相変わらず検察のリーク情報とおぼしき記事がメディアに躍り、小沢vs.検察の対決の構図はそのままだ。ここではまず、この事件を歴史的な文脈に位置づけることから始めよう。 「やがて悲しき政党政治」 小沢氏を近代史の、特に近代の政党政治史の文脈のなかで考えると、彼の先達と言ってもよい人物が三人いることに気づかされる。星亨、原敬、そして田中角栄である。 星亨(一八五〇〜一九〇一)は、伊藤博文を総裁とする立憲政友会創設時(一九〇〇年)の、旧自由党側の立役者である。一般に政党政治という
政治は国民のもの、即ちその使命と任務は、内に民生を安定せしめ、公共の福祉を増進し、外に自主独立の権威を回復し、平和の諸条件を調整確立するにある。われらは、この使命と任務に鑑み、ここに民主政治の本義に立脚して、自由民主党を結成し、広く国民大衆とともにその責務を全うせんことを誓う。 大戦終熄して既に十年、世界の大勢は著しく相貌を変じ、原子科学の発達と共に、全人類の歴史は日々新しい頁を書き加えつつある。今日の政治は、少なくとも十年後の世界を目標に描いて、創造の努力を払い、過去及び現在の制度機構の中から健全なるものを生かし、古き無用なるものを除き、社会的欠陥を是正することに勇敢であらねばならない。 われら立党の政治理念は、第一に、ひたすら議会民主政治の大道を歩むにある。従ってわれらは、暴力と破壊、革命と独裁を政治手段とするすべての勢力又は思想をあくまで排撃する。第二に、個人の自由と人格の尊厳を
旧民社党の関係者が6日夜、都内のホテルで、民社党結党50年記念のパーティーを開いた。会場には川端達夫文科相ら民主党の旧民社グループ議員のほか、塚本三郎元民社党委員長、伊藤英成元衆院議員らOBや職員など約300人が出席。川端氏は「民社党の精神を受け継ぎ良心に従って行動したい」と述べた。
底入れ感が出始めているとはいえ、日本経済はなお未曾有の危機の中にある。2008年4〜6月期から4四半期連続でマイナス成長、特に09年1〜3月期は前期比マイナス4%成長、年率換算でマイナス15・2%成長と、戦後最悪の大不況に陥っている。 政府は経済危機対策の一環として15・4兆円規模の財政支出増を決めた。だが、これは失業率を過去最悪の5・5%程度にとどめることを目標としており、今後急速に増大が予想される失業を食い止めるには十分ではなく、雇用問題の深刻化は避けられないであろう。 もちろんGDPギャップのすべてを財政支出で補う必要はない。昭和恐慌を上回る平成大恐慌となることを未然に防ぐために必要なのは、以下に述べるような、政府が考えるよりも大胆なリフレーション政策(以下、リフレ政策)である。 リフレ政策ではなかった量的緩和 リフレ政策の中心は貨幣ストックを大幅に増加させることである。日本銀
9日は浅沼稲次郎の命日。 刺殺されたリーダーというのは、相当に英雄となって祀られることになる。それ自体はいい。 浅沼氏を持ち上げる人たちが、本当に浅沼氏のことを理解しているのか、疑問に感じることがある。中国訪問での米帝は日中共同の敵という発言と、その後の右翼少年による刺殺された歴史だけを持ち上げて平和のシンボルのように語られているきらいがある。 浅沼氏が所属した河上派というのは、戦前から1950年代にかけては、西欧社民と、マルキストの中間に位置した社会主義運動の中間派。モデルとする社会主義像がなかったために、その独特な立ち位置から、民族主義と労働者や農民の救済を結びつけるようになった。1930年代末になると近衛文麿や軍部と結びつき、新体制運動を推進し、大政翼賛会に最も最初になだれこんだグループである。 彼ら河上派のグループは、理想と思想で新体制運動に合流したが、現実は官憲の選挙干渉を恐れる
55年体制そのままに、日本社会党本部が入居する社会文化会館は自民党本部に先んじて永田町の一等地にお目見えした。「大野党に恥ずかしくないものを」と力んでも、「労働者の党」に資金集めは容易ではない。さりとて財界に頭を下げるなどその自負が許さない。党名も党勢も一変したいま、建設秘話を探る御厨貴・東大教授を当時と変わらぬ故浅沼稲次郎委員長の像が迎えた。 ◇フル回転した江田人脈 東京五輪の年、政権獲得に思いはせ 社会文化会館(注1)--かつての社会党の館は、今年の四月で築後四十五年を迎えた。自由民主会館--今の自民党の館に先んずること二年。“三宅坂”と言えば戦前は参謀本部、戦後は社会党を表象する地名となった。 「よりどころがほしい」との思いは、保守党よりも戦後社会党に集った人々にとって切実であった。一九四五年十一月結党時は蔵前工業会館にあった党本部は、年末には焼け残りの新橋にある堤ビルに定められた。
代々木といえば日本共産党。政党の歴史と土地の記憶が、これほど強く結びつく例は珍しい。敗戦の直後、焼け野原の代々木駅に降り立つと、目に飛び込んだのは「共産党本部」と屋根に大書きした木造の党本部だったという。商店街と軒を連ねる風景は地域の「名物」だ。阪神大震災を機に近代的なビルに建て替えられた党本部を御厨貴・東大教授が訪ね、その来し方行く末を考える。 ◇再現された「古き良き学校」 理論の党から「恐竜」へ脱皮なるか 戦前の共産党(注1)に権力の館はなかった。そもそも安住の館すらなかった。すべてが非合法活動の世界なのだから。関係者の下宿や温泉地の旅館などに、集まっては散り、散っては集まるといった案配だ。だから議会政治の外にあって官憲の弾圧にさらされながら活動を続けた共産党を、「天眼鏡のなかのとかげを恐竜とまちがえてはならない」と、政治学者の升味準之輔は看破している。 しかし、外に対しては特高の監視
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『諸君!』秦郁彦・西尾幹二「『田母神俊雄=真贋論争』を決着する」の続きです。この度休刊が決まった文藝春秋のオピニオン誌『諸君!』の2009年4月号の、秦郁彦先生と西尾幹二氏の対談記事「重鎮・直接対決! 捨て身の問題提起か、ただの目立ちたがりか 「田母神俊雄=真贋論争」を決着する」について、本文を引用しつつ、西尾氏の歴史を見る方法(それは西尾氏にとどまらず、それなりの人数の人が同様に思っているようですが)の問題点を指摘するというものです。 前記事でかなりの量を引用をして、一つの記事の許容量に達しそうでしたので、記事を分割しました。で、本記事でも以下に比較的長めの引用を行い、しかる後に全体のまとめをしたいと思います。是非とも前記事から通してお読み下さい。 それでは、引用部分に入ります。これは前記事の最後の引用部分の続きです。以下の引用は少し長いですが、重要な箇所なので敢えて引用します。 前記事
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