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ブックマーク / diary.lylyco.com (22)

  • まやかしではない「真の結果平等」を夢想する|ボクノタメニ泣イテクレ > 雑記

    人間が求める「結果」とは何か? 人による。それが最終的な回答だろう。たとえば、共産主義的なものを一種の「結果平等」と捉える人がいる。ありていにいえば、商才ある人もそうでない人も頑張った人もそうでない人も、みんな押し並べて平等に富が分配される。そういうものを「結果平等」とする考え方である。そうだろうか。違うだろう、とぼくは思う。それはただの「機会平等」である。何故なら、そのとき分配されるのは、数多ある生きる資源のひとつであって目的ではないからだ。それをどう使ってどんな結果を得るかが問題なのである。その意味で「富」は「知識」やなんかと同じレイヤーに属する。 いわゆる「機会平等」というのは、より良く生きるための「条件」をできる限り平均化することで、各自が人生におけるなにがしかの成果を「平等に」目指せる環境を作ろうという考え方だろう。そこから先は、個々人の才能や努力や運で各々目指す「結果」を手に入

    bunoum
    bunoum 2009/06/04
    インド哲学を思った。よく知らないけど。
  • 女性情報共有モバイルサイト「女の子牧場」|ボクノタメニ泣イテクレ > 雑記

    早速会員なっといたよ、「女の子牧場」。 そっか。ああいうのは持ちつ持たれつってやつだからね、ちゃんとこっちからも情報流さなきゃダメだよ。とりあえずこっちの知り合いでめぼしいところは登録しといた。写メとプロフィールが簡単に手に入る範囲で8人。もう合コンの誘いとか何件かき始めてるよ。そっちもキレイどころの知り合い多いみたいだし登録よろしくね。かなりアクセスくるんじゃないかな。最初のうちは友達承認なんて無条件でやっときゃいいし。しばらくやってみて全然情報上げてこないやつは切ってく感じで。今のところ、質の良い「友達」はふたりかな。かなりレベル高いわ。これは期待以上かも。 へえ、まだ3日くらいなのについてんね。じゃあ、週末は合コン三昧か。面倒っちゃ面倒だけど、背に腹は代えられないってね。5対5くらいでできりゃそれなりに効率的だし。一晩でべ頃4人の情報ゲットとか普通あり得ないもんね。相手だって実は女

  • ある種のネト充やオタクたちは決して「リア充」にはなれない|ボクノタメニ泣イテクレ > 雑記

    「リア充」という言葉、案外、廃れない。 どころか、じわじわとネト充圏外へと侵攻し始めている気配すらある。それだけインターネットが一般的になったということだろう。それにしても、リアルで充実とはややこしい概念だと思う。何しろ現実を真摯に見つめれば見つめるほど、大抵、充実からは遠ざかってしまう。現実とは来、身も蓋もないものだ。だから、充実の多くは夢や幻想や妄想に担保される。コンパやサークルの虚構性など今さらいうまでもない。そこにある人間関係も性関係も、所詮は個々人が抱く幻想同士の部分的な重なりにすぎない。解り合うことはおろか、認め合うことすらほとんどできはしない。 金持ちになることにも、異性にモテることにも、長生きすることにも、教祖になることにもさしたる意味はない。すべては等しく無意味である。一方で、巨乳を見れば揉みしだきたい衝動に駆られ、木陰で放尿する幼女の姿に興奮する。満たされぬ欲望はどこ

  • 対人スキルの基礎となるレベル別「空気」の読み方|ボクノタメニ泣イテクレ > 雑記

    最初に断わっておくけれど、ぼくは空気読みを偏重する世の中を好まない。 ・「空気読め」 空気なんて読めなくても快適に暮らせる。その程度には寛容な社会になればいいと思う。空気を読めない人間が何か迷惑をかけたなら、それは迷惑だと怒ればいい。誰かが不快な思いをしたら、その言動は人を不快にすると忠告してやればいい。もちろん、あなたに誰かを教育する義務はない。空気の読めない人間を見下したり、常識のない奴だと切り捨てるのも自由だ。その代り、自分が見下され切り捨てられることを進んで受け入れられるなら、だ。あなたを含め、完全に空気を読み切れる人間はいない。コミュニケーションの不完全性については、今さらいうまでもないだろう。 けれども、空気が読めないことを我がこととして真摯に考えられない鈍感な人間というのはいる。自分は読めていると慢心しているのかもしれない。だから、そういう人たちに関わらざるを得ないとき、少し

    bunoum
    bunoum 2009/04/02
  • 乾杯ビール問題の本質|ボクノタメニ泣イテクレ > 雑記

    他人にビールを強制する権利なんて誰にもない。そんなのは当たり前だ。 ・「最初の乾杯はビール」を強制されるのはもう嫌だ ぼく自身はたぶん匿名氏のいう2の体質で「下戸遺伝子を片親からもら」ったらしい。弱いけれど、ビール1杯でどうにかなるほどじゃない。体調によっては辛いこともあるし、酒が酷く不味く感じることもある。よって、真性下戸の辛さを縷々語る匿名氏には同情を禁じ得ない。が、残念ながらこれは体質がどうだとかいう問題ではない。そもそも人に何かを強制することが正当性を持つことはあまりない。つまり、最初から理は匿名氏にある。それは「飲めない体質だから」という理由の故ではない。飲めない理由がまったくなくたって「強制」される筋合いなんてあるはずがないのである。 だから、匿名氏が「下戸遺伝子」について口角泡を飛ばして説明することは、乾杯ビールへの質的な批判になっていない。来、正当性を証明すべきは「強制

    bunoum
    bunoum 2009/03/26
  • 子供には自尊心も自信も要らないことを思い知らせるべき|ボクノタメニ泣イテクレ > 雑記

    あってもいいけれど、なくたって全然構わない。そういうものは多い。 自尊心や自信というのも、そうしたもののひとつだと思う。もちろん、子供に自信を持たせることができればいいこともあるかもしれない。けれども、せいぜいが「かもしれない」程度のものである。むしろ、役に立つのは自尊心や自信なんかよりも「積極性」ではないかと、個人的には思う。そして、「積極性」と「自信」は必ずしも相関関係にあるわけではない。自信なんかなくても「やってみよう」と思うことはできる。にもかかわらず、いたずらに「自信を持つことは大切だ」などとやるから「自信がないからできない」だとか、おかしなことになる。むしろ逆効果ではないか。 教育で「自尊心」や「自信」を植え付けようとすることは、それらを「持つべきもの」と規定することになる。つまり、「それでも自尊心や自信を持てなかった人」は、ますます委縮することになるだろう。教育が100%うま

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    bunoum 2009/03/13
  • 効果的な「社会的制裁」としてのセクハラ告発|ボクノタメニ泣イテクレ > 雑記

    痛がっている人がいたらまずは善処せよ、とは真っ当な意見だと思う。 ・個人的痛みとしての「セクハラ被害」と社会的問題としての「セクハラ論」 - 玄倉川の岸辺 騒動の発端となったBritty氏のブログでこの問題は収束宣言がなされている。ぼくがこれから書こうとしているのは「外野の一般論」である。一般論に意味はない、或いは、興味がないという向きにはまったくツマラナイ話であることを予め断わっておく。むしろ、セクハラ被害者には不快な話題かもしれない。というのも、「性的いやがらせ」や「セクハラ」という言葉には、「痛いから足を踏まないで!」という叫び以上の社会的効果、はっきりいえば「社会的制裁」の意味があると、ぼくは考えるからだ。ただし、自覚的にその効果を利用することの是非はここでは問わない。 たとえば、宴席で卑猥な冗談をいわれ不快に感じた人がいる。これが上下関係や社会関係の縛りによって「そういう冗談は不

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    bunoum 2009/02/21
  • ネットサヨクの言葉が虚しく響くとき|ボクノタメニ泣イテクレ > 雑記

    ネットサヨクについて狭い観測範囲ながら、常々感じていることを書いておく。 ぼくは26歳までフリーターで、さしたる夢も自信もなく、といって将来のための努力もせず、渋々重い腰をあげて運良く採用された会社に入り、幸運を自覚しながらもその会社のありようが性に合わず2年で退職し、知人のツテで一時アルバイトに返り咲き、今は細々とサラリーマンをしている。い詰めるほどの薄給ではないけれど、それはただワープアではないという程度に恵まれているにすぎない。少し前の流行言葉でいえば負け組というやつだろうし、格差社会の下半分に含まれていることは疑いようもない。ネットサヨクというのは、来そういう人の味方なんだろうと思う。 彼らはインテリだ。書かれる文章は大抵小難しい。背景を知らないと正しく読めない主張や、学術的な思考力を要求する議論も少なくない。そして自らの言葉を解さず、誤読する人たちを冷笑的に、或いは、痛烈に罵

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    bunoum 2009/01/23
  • ロリコンを馬鹿にできる人の無邪気なメジャー信仰|ボクノタメニ泣イテクレ > 雑記

    男が成熟した女に欲情する。それはまったく自然なことではない。 自然なのは「欲情する」ことだけで、「成熟した女に」は実のところ学習の結果にすぎない。いい換えれば、人間は欲望の対象を能的に「正しく」選ぶことなんてできないのである。周囲に犬しかいない環境で育てば犬に欲情し、犬と山羊がいればその中からたまたま気に入った方に欲情する。木の枝に擦り付ける以外に快楽を知らなければ、形の良い木の枝に欲情する人間ができても不思議ではない。人間の性欲などそんなものだとぼくは思っている。つまり、異性に欲情するにはまず異性が性的なものとして確かに存在し、他の何よりも快楽を期待させる存在でなければならない。 昔は、女を抱く素晴らしさを喧伝する大人がいて、快楽を期待させる異性が周囲にごろごろ転がっていた。また、ひとりの人間の生活空間は今ほど隔絶されておらず、性的場面との接触可能性もずっと高かったろう。そして、向こう

    bunoum
    bunoum 2008/12/23
  • そして、人は社会のために子供を産む|ボクノタメニ泣イテクレ > 雑記

    いまや社会は人間の裏方ではなく、人間の方こそが社会の裏方なのではないか。 ・子供を生むとか生まないとか - チョコっとラブ的なにか 人間関係も恋愛結婚も出産も、すべてに意味がないと通らない。そんな窮屈さを感じることがある。好きになった。欲情した。一緒になった。子供ができた。作ったふたりで子供を育てる。好きになったんだからそれが自然じゃないか。一緒になって子供作るのが普通だろ。そんな物言いが通用しなくなった。普通や当たり前なんかない。それが正しい大人の態度になった。結婚なんかして何の意味があるんだよ。子供を産むことの意味がわかってるのか。どちらも、当たり前では済まされない。原因の一端は、ぼくたちの行動が「制度」に取り込まれたことにあるのかもしれない。 たとえば、誰かと一緒に暮らすことと結婚することはイクォールではない。男女が一緒になり子をなし生活の最小単位としての家族を構築する。現在の婚姻

  • 「やらない」いい訳と責任と罪|ボクノタメニ泣イテクレ > 雑記

    何かを「やらない」ことに理由は必要だろうか。 ・寄付の依頼が来た - レジデント初期研修用資料 ・「あなたのやり方が悪いので私は動員されません」という責任回避 - E.L.H. Electric Lover Hinagiku 必要なときもあるだろう。たとえば、しなきゃいけないことをしないとき。或いは、人の勧めや誘いを断るのに相手を気遣うとき。つまり、「あえてやらない」ことを選択するとき、といってもいい。そんなときは、理由があった方が座りがいい。けれども、来、何かをやらないことは、選択ですらないことの方が多い。ぼくが生八橋をべないことに理由はない。強いていうなら、べようと思ったことがないからだ。こんな理由は理由ですらない。つまり、ぼくがインド旅行をしないことにも、シシカバブを作らないことにも、セックス相手を亀甲縛りにしないことにも、特段の理由はない。 けれども、微妙なケースというのはあ

  • よくいわれる「正しい努力」とは何か?|ボクノタメニ泣イテクレ > 雑記

    社会に出た途端、努力が報われなくなる。そんなことはない。 ・「努力すれば報われる」の罠 報酬とは何かについて真面目に考えないからこういうことになる。たとえば、リンク先の匿名氏にとって受験勉強の報酬は何だったのか。身に付いた学力が報酬だという人もいれば、手に入れた学歴が報酬だという人もいるだろう。或いは、課題解決能力や、興味のある分野の専門知識に触れる権利や、青春時代のモラトリアムが報酬だという人だっているかもしれない。いずれ、努力して報酬を得ようと思えば、報酬を得るための努力をしなければならない。これは循環論法ではない。そして、広い意味での報酬は「自ら生み出すもの」と「他者から与えられるもの」に分けられる。 受験の例でいうなら、「自ら生み出すもの」は学力や課題解決能力の類である。そして、「他者から与えられるもの」は合格通知である。リンク先の文面から推し量るに、匿名氏が求めている報酬は主とし

  • 世間には自らの才能に自信のある人が多すぎる|Weep for me - ボクノタメニ泣イテクレ > 雑記

    実力主義や成果主義に賛同する声は意外なほど多い。 ・才能あるレジのおばさんにはそれ相応の給料を払ったほうが良い - コトリコ ・はてなブックマーク - 才能あるレジのおばさんにはそれ相応の給料を払ったほうが良い 実力があり、何かに貢献している。そういう人は何らかの形で報われてしかるべきだとぼくも思う。ただ、リンク先のような考え方には諸手を挙げて賛成はできない。あまりに素朴で短絡的だとも思う。たとえば、怒られていた新人の女の子がとても可愛くて、人当たりも良く、お陰で密かに店の売上に貢献していたとする。その場合、そのルックスや対人スキルに対してもやっぱり相応の給料を支払うべきだろう。そうした「現時点で給与に反映されていない才能」は、レジ打ちのような分かりやすい才能に限らず数多存在するはずだ。それらすべてを公平に評価することは難しい。 会社のように集団で働くことを考えると、そうした評価はより難し

  • すべての非モテは恋愛強者である|ボクノタメニ泣イテクレ > 雑記

    そもそも、恋愛に相手は要らない。相手に左右される恋愛など不純ですらある。 今更な話かもしれない。が、ともかくすべての恋愛は独り相撲である。だから「最高の恋愛は片想い」なんてことがいわれる。或いは、「恋する自分に恋する」だとか。要するに、恋愛とはそういう娯楽なのである。悪い意味でいっているのではない。妄想力さえあれば誰でも参加可能な素晴らしい娯楽だとさえ思う。そんなことはない、非モテは辛いのだ。そう思う向きもあるかもしれない。そう、辛い。むしろ、それこそが恋愛丸である。いや、幸せな恋愛というのもあっていい。けれども、より娯楽性が高いのは辛い恋なのだ。恋愛物語の傑作は失恋の物語と決まっている。 合コンで知り合って、なんとなく付き合ってはしっくりこずに別れる。そんなことを繰り返すリア充は恋愛弱者である。彼らの別れは失恋ではない。そこには胸を裂くような慟哭も、涙を涸らすカタルシスもない。失って

  • ネガタグやネガコメを貰って小遣いを稼ぐ方法|ボクノタメニ泣イテクレ > 雑記

    ネガタグやネガコメがなくならないなら、それを積極利用する不謹慎な方法でも書いておこう。 基的な考え方は、すでに複数の指摘がどこかにあるだろうと思う。が、気にせず書く。要するにネガだろうが何だろうがたくさんブックマークされれば、そのページのインターネット上での価値は上昇する。ホッテントリ入りでもすればそれなりの瞬間風速が期待できるし、はてなのシステムが提供してくれるリンクポピュラリティはスパムだなんだと揶揄されるくらいに密だ。つまり、その後のSEOにもほのかに期待できる。炎上マーケティングなんて言葉が囁かれるのも、こうした効果が実際に体感されるからだろう。意図的に釣るのは品がないけれど、品がないのはお互い様である。 ここで大切なのは、当の当に誰が読んでも[死ねばいいのに]と思うようなエントリーを書くことだ。とにかくインモラルに徹する。たとえば、学校で酷くイジメられ、家では実父に凌辱され

    bunoum
    bunoum 2008/10/09
    エレガントなえがdis
  • ホームレスの排除と差別は隣接するが同一ではない|ボクノタメニ泣イテクレ > 雑記

    差別は美しくない。できればそんな気持ちを抱かずに生きたい。そうは思う。 ・図書館ホームレス排除に苦心しているとかいう件についての私からの提案 - planet カラダン ・差別問題としてのホームレス問題 - planet カラダン ただ、社会が公共の利益のために行う措置と、差別感情とは分けて考えた方がいい。図書館という公共施設がどういう公共の利益を提供すべきかについては、その図書館を有する社会が決めるべきことだ。図書の閲覧、貸出にこだわらず、ホームレスの生活改善にも役立てるべきだという合意が得られるならそのように運用されるだろうし、逆に、図書館は貸出のみにすべきという合意が得られれば館の規模を縮小し閲覧スペースを削るという選択もあるだろう。そうした運用方針が結果として、図書館にそれ以外の利益を期待する層の利用を制限することになる。それは、はたして差別だろうか? 社会のルールによってすべて

  • 押井守が存在できない映画界はツマラナイ|ボクノタメニ泣イテクレ > 雑記

    最初に当然のひと言から。自分に決められるのは、自分にとっての価値だけだ。 ・「スカイ・クロラ」でひどい目に遭う - 挑戦者ストロング 面白がれる人がほとんどいない。良さを理解できる人が極めて少ない。そういう映画には価値がない。この人はそういっている。なんてツマラナイ意見だろう。その作品を愉しめるかどうかは、どこまでも個人的な問題だ。押井守が「スカイ・クロラ」を面白いと思って作ったなら、押井守に共感できる感性の持ち主がそれを面白がれる可能性は高い。たとえどんなに少数派でも、その事実を以て作品を無価値と断ずることは傲慢だろう。人気のない商業作品は市場価値が低い、という主張なら分からなくもないけれど、自分が愉しめないものに価値はないという暴言には眉を顰めざるを得ない。 リンク先でDersu氏は「こういうクソ映画のせいで映画というジャンルそのものが痩せていくんだよ。」と映画の未来を憂えている。ぼく

    bunoum
    bunoum 2008/08/28
    「押井守の問題は、本来あまりお金にならない作品を、お金をかけないと作れないところにある」
  • 利己的な恋愛はオタクや非コミュの専売ではない|ボクノタメニ泣イテクレ > 雑記

    この匿名女史がオタク仲間を袖にした理由は、単に利害の不一致だろう。 ・ダメな俺を丸ごと受け止めてくれ症候群 人はすべての事物を、自分の選択範囲内からしか選べない。当然、恋人も例外ではない。限られた交友関係の中から、自分が最適と思う相手を選択したり、相手から選択される努力をしたりする。選択の基準は人それぞれである。人の欲求はおよそ限りないけれど、すべての欲求が満たされることはないと知ってもいる。恋人に求める条件にも自ずと優先順位がつく。件のオタク仲間氏は選択肢の中から匿名女史を選ぼうとした。リスクを冒して交友関係を広げたり別の可能性に賭けたりするよりも、匿名女史と一緒にいる方が今よりも幸せになれると信じた。匿名女史に希望を見たんだろう。 だから、たとえ「交友範囲の中で唯一の女で、オタク趣味を認めてくれて、母親の代わりでもしてくれそうなのが私だったからじゃないのか。」という匿名女史の推測が当た

  • ホッテントリの本当の意味|ボクノタメニ泣イテクレ > 雑記

    はてなブックマークのコメント欄にはプチ批評家が多く生息している。 少なくないブロガーが批評家気取りで持論をぶつ。同じように、ブックマークにわざわざコメントを付けるような人も、結構な割合で批評家を気取る。そういう現状がまずある。一応は批評なのだから上目線なのは当然である。一所懸命に書いたエントリーにネガコメやネガタグがつくのも、批評家が多いのだから仕方がない。野球ファンが贔屓球団の監督の采配に厳しいのと同じである。彼らはたぶん監督の代わりに采配を揮えるわけではない。星野批判をする人が星野より上手くやれるわけではなかろう。だからといってプロのやることにケチをつけてはいけないという法はない。 ウェブ上に文章を公開するということは、その内容如何に関わらず批評の対象になり得るということだ。はてなみたいな批評好きが集まる場所に晒されたなら、なおさらである。ブロガーが批評家気取りだからといってその内容が

  • 学校を無菌室にすればいじめられっ子は救われるか?|Weep for me - ボクノタメニ泣イテクレ > 雑記

    学校の仕組みが生む同調圧力をいじめの原因のひとつと考える。一理あるとは思う。 ・学校の仕組みそのものがいじめの温床になっている - chanbaraの断片 - 断片部 ただ、こうした犯人探しは実はあまり役に立たないかもしれない。というのも、こうした要素はおそらく「いじめしか生まないもの」ではないからだ。もしも、「いじめしか生まないもの」が実際に存在するのなら、それは全力で駆除すべきである。ただ、現在の学校の仕組みは何も同調圧力だけを生んでいるわけではない。であれば、教育の効率やその他有用な要素からこの同調圧力だけを切り離すことは不可能だろうと思う。よしんば、同調圧力と呼ばれるものだけを首尾よく排除できたとして、その時、学校からなくなるものは果たしていじめだけだろうか、という疑問も残る。 また、「学校の仕組みそのものがいじめの温床」といういい方は、いじめのある環境すべてに敷衍できてしまう。た