人間が求める「結果」とは何か? 人による。それが最終的な回答だろう。たとえば、共産主義的なものを一種の「結果平等」と捉える人がいる。ありていにいえば、商才ある人もそうでない人も頑張った人もそうでない人も、みんな押し並べて平等に富が分配される。そういうものを「結果平等」とする考え方である。そうだろうか。違うだろう、とぼくは思う。それはただの「機会平等」である。何故なら、そのとき分配されるのは、数多ある生きる資源のひとつであって目的ではないからだ。それをどう使ってどんな結果を得るかが問題なのである。その意味で「富」は「知識」やなんかと同じレイヤーに属する。 いわゆる「機会平等」というのは、より良く生きるための「条件」をできる限り平均化することで、各自が人生におけるなにがしかの成果を「平等に」目指せる環境を作ろうという考え方だろう。そこから先は、個々人の才能や努力や運で各々目指す「結果」を手に入