公開中のお正月映画『男はつらいよ お帰り 寅さん』に思わぬトラブルが発覚した。同作品について、山田洋次監督(88)と旧知の間柄である世界的アーティスト・横尾忠則氏(83)が「自分のアイディアを山田監督に無断使用された」と怒り心頭だというのである。横尾氏は自宅アトリエで120分間、本誌・週刊ポストに思いの丈をぶちまけた。 【写真】山田洋次監督に重大トラブルが 今回の新しい『男はつらいよ』のコンセプトとアイディア、それは僕が山田洋次監督に示したものが核になっているんです。公開直前になるまで、その事実を彼は全然世間に明かさなかったし、僕に一言の断わりもなかった。事実を隠蔽されたから怒ってるんではありません。モノづくりに携わるアーティスト同士のモラルが、あまりに欠けてることに呆れ、憤ってるんです。要するにプライドの問題です。
四三の優勝杯、見つかる 1911年の国内初マラソン五輪予選会 所在不明の「小」を玉名市立歴史博物館で5日から公開 1911(明治44)年に国内で初めて開かれた五輪予選会のマラソンで、優勝した金栗四三に贈られた優勝カップのうちの一つが、熊本県内在住の縁故者から玉名市立歴史博物館に寄託された。同博物館は「日本の五輪史や金栗の足跡を記録する貴重な資料」として、開催中の「金栗四三展」(13日まで)で5日から初公開する。 予選会のマラソンは東京・羽田競技場を発着点に開催され、学生選手の金栗は、非公認ながら当時の世界記録を上回るタイムで優勝。日本の五輪初参加となる翌12年のストックホルム大会では途中棄権したが、後にマラソン一筋の人生を歩む原点となった。 この時の優勝カップは大小二つあったことが当時の写真などで確認されている。主催者の大日本体育協会が贈った大カップ(高さ約33センチ)は現在、金栗生誕の地
リリース、障害情報などのサービスのお知らせ
最新の人気エントリーの配信
j次のブックマーク
k前のブックマーク
lあとで読む
eコメント一覧を開く
oページを開く