[語誌](1)「北本涅槃経‐二」などに由来すると思われるが、表白文、講式を介して定着したものか。中世軍記物以降、「会者定離」と対句的に用いられることが多い。 (2)意味の近い「盛者必衰」の語は「仁王経」などの仏典に見られるが、日本では「生者必滅」と混同して用いられることも多い。
本来は、疑わしくて有罪か無罪か判決しにくい裁判事件をいう。出典は、古い中国の『賈誼(かぎ)新書』に「梁(りょう)かつて疑獄あり、半(なか)ば以(もっ)て罪に当ると為(な)す、半ば以て当らずと為す」とあり、日本では、平安朝の法律解説書『令義解(りょうのぎげ)』獄令に「およそ国に『疑獄』(獄疑うところあり処断明らめ難きものなり)あり、決せざれば刑部省(ぎょうぶしょう)に讞(はか)る」とあるによる。転じて、第二次世界大戦前および戦後しばらくは主として、政治問題化した大掛りな贈収賄事件という意味に使われていたが、現在ではあまり使われなくなった。 明治以降、日本の資本主義はもっぱら、特権政商資本の政府権力への癒着と政商の手厚い保護のもとに育成された。そのため創成期には、山城屋(やましろや)事件、三谷三九郎(みたにさんくろう)事件、尾去沢(おさりざわ)銅山問題、藤田組贋札事件、開拓使官有物払下げ事件、
※吾妻鏡‐寛元元年(1243)一一月一日「其以後号二罪跡一、不レ申二事由一於レ令二領知一者、尤可レ為二過怠一」
記者が取材対象に密着すること、あるいはその様の形容。実際、朝の出勤時や帰宅を待ち受ける取材は、警察担当記者、政治部の番記者などでは珍しい話ではない。
仏教の世界観による全宇宙のこと。三千大千世界の略。われわれの住む所は須弥山(しゅみせん)を中心とし、その周りに四大州があり、さらにその周りに九山八海があるとされ、これを一つの小世界という。小世界は、下は風輪から、上は色(しき)界の初禅天(しょぜんてん)(六欲天の上にある四禅天のひとつ)まで、左右の大きさは鉄囲山(てっちせん)の囲む範囲である。この一小世界を1000集めたのが一つの小千世界であり、この小千世界を1000集めたのが一つの中千世界であり、この中千世界を1000集めたのが一つの大千世界である。その広さ、生成、破壊はすべて第四禅天に同じである。この大千世界は、小・中・大の3種の千世界からできているので三千世界とよばれるのである。先の説明でわかるように、3000の世界の意ではなく、1000の3乗(1000×1000×1000)、すなわち10億の世界を意味する。 [高橋 壯] 『定方晟著
中枢神経系の障害により、意思に関係なく筋肉が収縮・硬直する病気「ジストニア」の一種。職業性ジストニアは音楽奏者、塗装工、作家、タイピスト、理容師、スポーツ選手など、似たような動作を頻繁に繰り返す仕事に多く出現し、それらの職業柄必要な、決まった動作時だけ症状が出て動きが妨げられるもの。動作特異性ジストニアともいう。ジストニアは原因不明で難治性、症状が進行することもあるが、直接命が脅かされることはない。治療法に、抗コリン剤や筋弛緩剤を使った薬物療法、ボツリヌス毒素製剤の局所注射、ブロック注射、手術、作業訓練法などがある。2014年3月31日をもって、氣志團のドラマー白鳥雪之丞が、同疾患によりバンド活動から離れることになった。 (2014-3-17)
ものごとを深く知っている人は、みだりにそれを口に出したりはしないし、逆にやたらと話したがる人は、実はよく知らないものだ、ということ。 [使用例] 先哲曰いわく、知る者は言わず、言う者は知らずと。数すうを言う者は数を知らずして、数を言わざる者は或あるいは能よく数を知らん[幸田露伴*運命|1925] [使用例] 「知る者は言わず、言う者は知らず」という皮肉をおたがいに別なところで無関心に経験し合っているの奇観を、おたがいに知らない[中里介山*大菩薩峠|1913~41] [由来] 「老子―五六」のことば。「知る者は言わず、言う者は知らず(本当に知恵のある人はそれを口にはしない、口にする人は、本当は知恵がない)」は、その冒頭。そのあと、本当に知恵がある人の生き方として、目や耳、鼻や舌などの感覚に訴えてくるものを相手にせず、欲望が刺激されないようにすること、自己主張するのをやめて、争いごとを引き起こ
「遊戯する人間」の意。オランダの文化史学者 J.ホイジンガの提唱した概念で,著書『ホモ・ルーデンス-遊戯における文化の起源』 (1938) は,遊戯思想史上一時期を画した。従来,遊戯は文化のなかから出てくるものであり,文化のほうが上位概念であると考えられていたが,ホイジンガはこの考え方を逆転させて,原初から文化は遊戯のなかに,遊戯として発達するという画期的な主張を提出した。そしてヨーロッパ諸国だけでなく,インド,中国,日本など東洋をも含めた遊戯概念の言語学的,文献学的,歴史的考察を試みたが,彼の遊戯観の特徴は,遊戯のもつ対立的性格に注目し,遊戯と競技との根源的な関係を認めているところにある。しかし,彼は遊戯の文化史的考察に重点をおいているため,現代の遊戯を本来の遊戯の形骸化とみ,いわゆるプロ・スポーツを白眼視したり,また社会における遊戯の変質に目を向けない面があり,この点で R.カイヨアら
… (3)管轄権の重複と抵触 現行のように,企業活動が広く国際的に行われている時代においては,国家法による企業規制は必然的に重複し,ときには2国の法が同一行為に対して適用されることがあり,また,この両法の規制が相互に矛盾していることなどがある。これが独禁法等にみられる〈域外適用〉である。これについては,各国によってルールが異なり,いまだに統一的な原則が形成されていない。… 【渉外訴訟】より …刑事法や行政法の領域においてこれらの点をどう考えてゆくかは今後の問題であり,当面は自国裁判所における自国法の適用による処理のみが考えられている。その場合,独占禁止法や租税法に関してアメリカで最も顕著に見られる傾向として,広く外国の会社等に対しても自国のこれらの法規を適用しようとすること(域外適用)がなされる。けれども,国家管轄権の行使には一般国際法上一定の限界があるはずであり,その限界の画定をめぐり各
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