タグ

webとfinalventに関するcastleのブックマーク (70)

  • 2007-05-18

    教育を国家が扱えば井戸端会議でよろしい。教育は国家セクターの課題ではない。 高い伸びが続いた設備投資に一服感はあるものの、内需のもう一つの柱である消費が好調で、景気の足取りに大きな揺らぎは見えない。 にもかかわらず、景気減速ばかりを過度に警戒する向きが後を絶たない。この日は大田弘子経済財政担当相が「デフレから脱却したとはいえない状態だ」との見方を示した。 私は大田弘子経済財政担当相が正しいと思うね。というかがんばれ、大田さん。 大田氏の発言はこうした指標に注目したものだ。与党内には、量的緩和を打ち切り、ゼロ金利を解除した日銀の政策判断ミスではないかとの声まで出ている。そこには、日銀がわずかでも利上げすれば、安倍政権が進める成長戦略の障害になるという政治的思惑が見え隠れする。 判断ミスでしょ。 副作用を恐れる人がいるのも確かだが、ワクチンによる脳炎の発症率ははしかにかかった場合に比べてずっと

    2007-05-18
    castle
    castle 2007/05/20
    「今の勝ち組も負け組も微妙に連帯を失っている。そんな感じで」「例の「こうのとり」で捨てられた子への冷たい視線というのが私にはとても異和感。昭和の人間ならその現実を認めつつ、ある痛みの感覚を持っていた」
  • まあなんというか - finalventの日記

    たぶん、新しい閲覧者のかたなのでしょう。 ⇒極東ブログ: エキスポランド・ジェットコースター脱線事故メモ 文章が下手すぎ、長すぎで、何を言いたいのかわかりません。 投稿 香港豚児 | 2007.05.10 00:02 まあ、文章の上手下手についてはとくにない。長すぎについても同。「何を言いたいのかわかりません。」というのは、そうなんでしょう。ただ、そういうコメントを書く人の心性に向き合ううんざり感にも慣れていくものです。 このエントリで私が何を言いたかったかを香港豚児さんにわかるようにリライトすることは、たぶんできますよ。でもそうしないんです。 ブログをやっていて思うのだけど、上手でわかりやすい文章を書けば正しく理解されてよいというのがあるみたいだけど、相手にわかりやすい文章で理解されるとそのことがよくない結果をもたらすことがある。でも、別の相手には伝えておきたいということがあるとき、文章

    まあなんというか - finalventの日記
    castle
    castle 2007/05/14
    「「相手にわかりやすい文章で理解されるとそのことがよくない結果をもたらすことがある。でも、別の相手には伝えておきたいということがあるとき、文章のわかりやすさを放棄します」」
  • ぶくまで知ったのだけど、ブログが終わるときというか - finalventの日記

    はてなブックマーク - kmizusawaの日記 - ご挨拶 ⇒kmizusawaの日記 - ご挨拶 kmizusawaさんの日記はぶくまに上がると見る程度だったのだけど、先日の都知事選関連についてはずいぶん率直な意見だなと関心したことがあった。 で、と。 ここしばらくブログを更新しながら、ときどきいただく批判コメントやトラックバック等を参考にあれこれ考えた結果、「別に私が発言する必要なんてないんじゃないか」という結論に達しました。私はもともと「伝えたい」とか「共有したい」という感覚があまりなくって、書きたいことがメモ的に書ければいいので(長文になるのはただの癖)。 まあ、それをいうと私も同じかなとも思うし、ただ、なんかそうでもないような気もしているので、ただ惰性で続けていますね。 また、表面的には個別のエントリ内容への批判の形で、事実ではないことや勝手に思い込まれた意図を前提に、まった

    ぶくまで知ったのだけど、ブログが終わるときというか - finalventの日記
    castle
    castle 2007/05/14
    「>公開の場では書きたいことの5%も書けなくなっていました」「思い通りに書いたら、自分が怪物になってしまう。そうなってはいけない気がする」「うんざり感が山ほど。でも、捨てて行く。前へ前へ進んでいく」
  • [書評]フューチャリスト宣言(梅田望夫、茂木健一郎): 極東ブログ

    読みやすかったが、キーワードにひっかかりを持ってしまったせいで私には難しいでもあった。対談なので、当初は、前著「ウェブ進化論 当の大変化はこれから始まる(梅田望夫)」(参照)の解説的な話の展開か、あるいは同じく対談「ウェブ人間論(梅田望夫、平野啓一郎)」(参照)のように、対談者のホームグランドを生かすような展開――今回は脳科学――となるか、という二つの予断をもっていた。そのどちらとも言えないように思えた。 もちろん対談という特性はよく活かされている。両者が互いに相手を理解しつつ配慮しているようすも伺えるし、もともと共通の理解が成立しそうな対話者同士でもあるから、対話の流れがつかえることもなく表面的には読みやすい。個々の挿話も納得しやすい。書名になったフューチャリスト、つまり、マリネッティのそれではなく、インターネットの未来を肯定する人、という点からこの対談を要約するのもそう難しくな

    castle
    castle 2007/05/14
    「茂木の「偶有性」にはネットワークを統制する機能とは別に恣意的ともいえる機能が隠されているという含みが」「表向きの統制と、見えない統制の二系に分かれ、その見えない部分は、見える部分からは偶然性となる」
  • クローズアップ現代 “カリスマ”続々登場! ブログ新時代”、見たよ。 - finalventの日記

    サブリミナル効果(w)については、さておき。制作過程を少し推測させるものがありました。みなさまのNHKというか、クローズアップ現代としての切り方は、現状ではまだこういう感じかなと。 佐々木さんが出るあたりは、実は、予想していました。書いてないので後出しじゃんけんみたいですが、知り合いにはちょっと話しておいたので略。 佐々木さんが出られて、そして米国のブログ状況もわかれば、企画としては別の切り口も可能ですが、なかなか現状のメディアの力関係では微妙でしょう。っていうか、略。 あと、予想としては、ガ島ライン、ネタフルライン、FPNラインはきっちり大当たり。というわけで、たぶん、現状のブログシーンのリテラシーのある人々にとっては、ま・た・か・よ、だったかと思います。 ま、このラインをくさす意図はないですが、この方向は、ブログのありかたとしては資主義の従属の運動をしているだけで、そうした運動に

    クローズアップ現代 “カリスマ”続々登場! ブログ新時代”、見たよ。 - finalventの日記
    castle
    castle 2007/05/10
    「チカラ的には、ブログがこのクロ現的なトーンのシーンで強くなると2ちゃんねる的なチカラが相対化されるので揺り返しがあるでしょう(2ちゃんねるが増田化しないというのが今一番面白いネットのシーンだと思う」
  • いわゆるひとつの増田的アルファーブロガー論 - finalventの日記

    増田⇒アルファブロガーってさ 現実世界の(いわゆる、リア充の)それなりにスゴイ人たちがいっせいにブログ書き始めたら 一瞬で脇に追いやられるんじゃね?そのくらいのものじゃないの? これが 有名人を起用しても起用されるレベルの有名人ではそれほどのことはない、 リアルすごい人がブログを書くようなカネを循環させる仕組みはない で、この2がけっこうブログの質的なところで、そこの微妙さが実はブログに問われているところ。

    いわゆるひとつの増田的アルファーブロガー論 - finalventの日記
    castle
    castle 2007/05/10
    リアルすごい人がブログを書くようなカネを循環させる仕組みはない
  • ま、軽い気持ちでレスっていうか - finalventの日記

    ⇒真のアルファブロガーになるには何をすればいいのか? - GIGAZINE 以上の諸々から考えて以下のような結論に達しました。 1.たくさん更新する 2.その中で自分独自の意見と真実を上手に書いて表現していく 3.他者からどんなに非難されようが批判を受けようが人格攻撃されようが無視して書き続ける 4.来たるべき注目される時、すなわち「運」が向いてくるまで上記3つを行い続ける 「1.たくさん更新する」 → 多いと質が落ちる。多く書きたいときは、サブブログを持つほうがいいと思う。あるいはテーマが散漫なときもサブブログが吉。メインブログは、ある程度専門性を持たせるがバラエティがあるとしても、週刊誌編集的な、週刊誌的なアイデンティ・センスが重要。 「2.その中で自分独自の意見と真実を上手に書いて表現していく」 →それが難しい。あまり奇矯な意見や奇矯な表現方法をしていても、短期的には注目を浴びるし、

    ま、軽い気持ちでレスっていうか - finalventの日記
    castle
    castle 2007/05/10
    「結局のところ、あるアイデンティでブログが大きくなる経済学的なオプティマムは存在するので、アイデンティ側の変数もある」「メジャーになるにはたぶん、微調整のテクというよりアイデンティの問題があると思う」
  • たとえば - finalventの日記

    こだわっているみたいだが、まあ、もうちょっと語ってみるか。 きっかけ⇒知性なき「はてな」−の読めない技術者・伊藤直也 (セックスなんてくそくらえ) まともにものを考えようとする人間がしなければならないこと。 それは愚劣なものを愚劣と呼び、美しいものを美しいと呼ぶことである。さもしく卑しいシステムが育む知性無きコミュニティを、嘲笑も、あざけりも、傲慢さもなく、ただ愚劣であると呼ぶことである。たとえそれが愚かきわまりないブロゴスフィアであろうとも同じことであり、文盲とフェミニストとfinalventがのさばるこの世界、つまり「バカ」や「(笑)」という幼稚でつまらない単語を使わねばバカにされていることすら気がつかない人々で構成されるブロゴスフィアにおいても、知的であるということは困難であるが、やはり必要なことでなのである。 finalventがのさばっていないのは、このブクマ数を見てごらん。

    たとえば - finalventの日記
    castle
    castle 2007/04/17
    「謙虚に願い、その該当の書物を読む人が、たった一人でもいい、未来の日本に現れることを信じている。そしてその人に、私がもらったつらさをあげることになる。歴史存在であることの苦しみと孤独」
  • 読売社説 [匿名掲示板]「中傷“無法地帯”は放置できない」 - finalventの日記

    匿名が問題ということではないでしょとは思う。 02年に「プロバイダー責任法」が施行された。被害者らがネットの接続業者や掲示板の管理人に、書き込み内容の削除や書き込んだ人物に関する情報開示を請求できるようになった。ただ、これに応じるかどうかは業者側の判断に任されていて、実効性がない。 請求に従わない業者らに対しては、名誉棄損などの民事訴訟を起こす道が残されている。だが、裁判所が情報開示や賠償を命じても従わない業者がいる。 まあ、それが問題。つうことで、ま・ろ・ゆ・き。 もう、チェックメートかな。というか、これもただ情報操作の利権というか利害対立の大枠が決めているので、まろもその中の駒かも。 ま、どうでもいいけど。っていうか、2ちゃんってもうもう牛。

    読売社説 [匿名掲示板]「中傷“無法地帯”は放置できない」 - finalventの日記
    castle
    castle 2007/04/02
    「つうことで、ま・ろ・ゆ・き。もう、チェックメートかな」「というか、これもただ情報操作の利権というか利害対立の大枠が決めているので、まろもその中の駒かも」「っていうか、2ちゃんってもうもう牛」
  • 毎日社説 男女雇用均等法 職場から性差別の一掃を - finalventの日記

    まあ、この手の議論は簡単だけど現実はその議論と関係ない。現実はどうかというと、これは現実の中に生きてみるとわかる。で、その現実から言葉が紡ぎ出さらないようななにかがあるというか、つまり、それが権力構造になっていることに気が付かない。ネットも同じなんだけどね。これを言うとネットゲシュタポとクラスターブロガーが連動するみたいな権力構造がだね。もうちょっというと、「正義」ラベルの言説がただの抑圧にしか機能しないとき、それは根源的におかしいよ。

    毎日社説 男女雇用均等法 職場から性差別の一掃を - finalventの日記
    castle
    castle 2007/04/02
    「この手の議論と現実は関係ない」「その現実から言葉が紡ぎ出さらないようななにかがあるというか、つまり、それが権力構造」「「正義」ラベルの言説がただの抑圧にしか機能しないとき、それは根源的におかしい」
  • ビジネスブログではないけどビジネス的ブログっていうか - finalventの日記

    とても切れるブロガーとかいる。 でも、一年保たないように思える。つまり、なんというか、自滅系。(理由を付けて去っていくのは自滅の証明ではないのだろうか。) あるいは一年は経過しても、定常的に書いてないというか、たまに書いていて人気というか。で、それっていうのは、いわゆるエクセントリックな手法を伸ばしているだけで、やはり自滅系の変奏ではないのか。 ま、非難とかじゃないのだけどね。 ブログというのは、それがとても切れるとか人気があるというより、ただ、続いているというのにけっこうな意味がありそうに思える。 ま、そういうと自己弁護的に聞こえて嫌がられるのだろうけど。 これって、でも、ビジネスに似ているわけで。 ビジネスというのは、成功・失敗とかよく議論されるけど、現実的には、長く続けていればいいのですよ。というか、近江商人とかの智恵とか以前見ていて、たいていは凡庸なんなんだけど、存続の原理が優先さ

    ビジネスブログではないけどビジネス的ブログっていうか - finalventの日記
    castle
    castle 2007/02/20
    「日本でもブログシーンが3年を越えたわけで、匿名がどうたらじゃなくて、3年ブロガーとか1年ブロガーとかいう層で見てもいいのではないか。意外に、Google様はそのあたりのことがわかっていらっしゃるっぽい」
  • ブロガー、嘘付かない - finalventの日記

    は、ネタですが。 ⇒BigBang: ブログ性善説とマーケティングへの信頼 ブログ生善説。ブロガー嘘つかない。みたいな信仰もどこかあるのかなあ。 などと色々考える。 三年ブロガーだと、ついた嘘は累積されるので、逆にいうと、そういうふうに過去ログとの照合で読める人にとっては、「ブロガー嘘つかない」と概ね言えるかもしれませんよ。正確に言えば、「ブロガー嘘つけない」に近いか。あるいは、「ブロガーの嘘は見破りやすい」。 システム・スルー力じゃないけど、嘘を累積したブロガーは、嘘つきポイントが高いんですよ。そして嬉しいことにというか、この嘘つきポイントなんだけど、特定のイデオロギー集団が、あいつ嘘つきポイント高いじゃんとか、吹かす問題じゃなくて、システム的に決められそうということ。 なかなか表面的には見えづらいかもしれないけど、長くブログやっていると、そのあたりのシステム・シールドがきいてきて、一言

    ブロガー、嘘付かない - finalventの日記
    castle
    castle 2007/02/20
    「長いブログにはシステム・シールドがきいてきて、一言「お前馬鹿だろ」的なくさしが入ってもその人に返ってしまう。というか、三年ブロガーを理解できる人にとっては意識内でのシステム・スルー力になってしまう」
  • オントロジーのW3C規格化は無駄: 極東ブログ

    新しく取り上げるほどの社会的な話題はない。歴史的な話題にしてもいいのだが、趣向を変えてオントロジーの話を書く。とはいえ、この話題を書くのはためらうものがある。自分がこの分野にすでにロートルなので、たいした情報が提供できるわけではないからだ。が、どうせ私的なブログなのでメモがてらに書いてみよう。社会問題の話題を期待している読者がいたら、申し訳ない。一回休みである。 W3Cに祀り上げらたティム・バーナーズ・リー(Timothy John Berners-Lee)だが、最近RDFを深化させた形でセマンティックWebを提唱している。ようは、RDF(Resource Description Framework )の上にオントロジーを載っけるのだ。ほぉ、そう来たかという感じもした。 はてなさえブログブームに推されてRSSを付加するようになったので、RSSについては一般認知度が上がった。とはいえ、RSS

    castle
    castle 2007/02/10
    「「クオリア」についても結局は存在論に還元され、言語哲学的にナンセンスになるだろう」「クオリアというのは個人の命名しがたい感触にして脳内のネットワークという洒落なので、結局独我論的な閉鎖でしかない」
  • 機械は意識を持つか。コンピューターは意識を持つか。インターネットは意識を持つか。: 極東ブログ

    結論を先に書くと、機械は意識を持つか。イエス。コンピューターは意識を持つか。イエス。インターネットは意識を持つか。イエス。 昨日「極東ブログ: デカルト的な考えによれば人間の身体は機械である」(参照)を書いたおり、私は意図的に機械主義についてオートマトンから始め、デカルトとその後継の機械主義を分け、「デカルト的な考えによれば人間の身体は機械である」とし、けして「デカルトの考えによれば人間は機械である」とは書かなかった。デカルト自身は人間の総体については機械とは考えなかったからだ。 デカルトは、雑駁に言えば、人間の精神は別に存在し松果体によって身体と結びついていると考えていた。また、その精神こそが動物と人間との差異として考えた。このような人間の超越性についての考えの延長には現代ではチョムスキーの思想が存在する(彼はUGの構成性をピアジェが知性の基底を扱うような進化論的な獲得のプロセスモデルと

    castle
    castle 2007/02/04
    「我々の振る舞いが意識の有無を決定している。また人工知能はそのように発展するしかない」「こうした振る舞いは彼らとの付き合いの歴史性に寄る」「存在の意識のあり方は人との関わりの歴史が決定する」
  • 日本人はマイノリティか? - finalventの日記

    微妙。 べたなものを見るとあたりまえなんだけど。 日人があまり意識してない問題かもだけど、一つのかなりレギュレートされた母国語を一億人がしゃべっているなんて民族は、他にありませんぜ。 しかもその一億人がべたべたにメディアにプラグされてる。 英語の人口は大きいというのはあるけど、あれは基的に言語の人口っていうならコミュニケーション手段であって実際の帰属意識は州のマイカントリーっていうのか、理念としてのフィデラルってやつなので、ちょっと日人と日語とちとずれている。 中国語の人口も大きいし、これから英語っぽくなるかもだけど、基的に普通語っていうのは中国人とって外国語。 インドに至っては言語がもうもう。 ドイツ語、フランス語はまどうでもいいでしょっていうくらい。 スペイン語、ポルトガル人口も多いけど、けどみたいな。 話戻すと、日語人口っていうのはどうみても、それだけでやめてくれっていく

    日本人はマイノリティか? - finalventの日記
    castle
    castle 2007/01/30
    「一つのかなりレギュレートされた母国語を一億人がしゃべっているなんて民族は他にない。しかもその一億人がべたにメディアにプラグされてる」「変な巨大な言語がずでんとネットに居座っているとしか他から見えない
  • NHKスペシャル グーグル革命の衝撃 〜あなたの人生を“検索”が変える〜 見たよ - finalventの日記

    NHKスペシャル|グーグル革命の衝撃 〜あなたの人生を“検索”が変える〜 ちょっとシナリオ臭というか映像があざとかった。 まったくのはずしではなかった。私的に得るところはほとんどなかったが、そうだなぁ、ブログってのは利率の高いAdSenseを配信してもらうようなキーワードをちりばめて書くといいかもなとちらと思ったがそれがクリック率に直接繋がるわけでもなし、さて、そういう意識を持ちながらエントリを書くうざったさを思うと、却下かなと。 身も蓋もなく言うと日の場合、Googleはだめですから。 さらにAdSenseやAdWordsも日ではだめっぽい。が、それはそれなりにレートを下げる良い効果もあるかもしれない。いずれにせよ、カネの動く層にGoogleは日でもシフトしなければいけないのだけど日の広告屋とかに勝てないでしょう……というあたりであれなんですよね、米国だとそんなこと考えなくても

    NHKスペシャル グーグル革命の衝撃 〜あなたの人生を“検索”が変える〜 見たよ - finalventの日記
    castle
    castle 2007/01/23
    「米人はボトムな人でも連邦、州、地域というものをわかり、そこの行動がよく区分され、そこに商業活動も乗っかっている」「Google技術者は何かに取り憑かれている。そのあたりの根っこがGoogleなるものエネルギー源」
  • finalventを推敲する (セックスなんてくそくらえ)

    ■システム・スルー力におけるコメントの事実性 ネタだなと思いつつ、システム・スルー力のことをぼんやり考えていた。 ■匿名コメントを取捨選択する能力-間違い指摘コメントに関する雑感 またこういうことを書けばはてなの馬鹿読者に老人のたわごとと思われて「ネタ」というタグを振られるのだろうなと、いつものように諦念とあきらめの入り混じった気持ちを抱きつつ、ブロガーが匿名コメントを取捨選択する能力をなんと名づけようか、これを「スルー力」と名づけるのがよいのかとぼんやりと思いついたので、今日も駄文を書き連ねることにした。 コメント力ではないが、コメントの意義というか位置は重要だと思う。というか、スルーされていけないコメントが存在するために、悪意コメントとのリスクとバランスして自分のブログはコメントを開けているのだった。 コメント能力というと直接的すぎるかもしれないが、たとえばコメントそのものの意義という

    castle
    castle 2007/01/04
    「システム・スルー力=匿名コメントを取捨選択する能力」あー、すごくスッキリした。システム・スルー力が何かフィルタリングソフトウェアみたいなものに関する言及かと思ってたから。脳内システムみたいな話か。
  • 極東ブログ: [書評]ウェブ人間論(梅田望夫、平野啓一郎)

    対談書「ウェブ人間論」は、表題の類似性から「ウェブ進化論」の続編として読まれるかもしれない。確かにそうした文脈もあり、特に「第三章 、iPod、グーグル、ユーチューブ」に詳しい話が展開されている。いわゆるネット業界的にはこの三章の情報が有益だろうし、出版界にとっても非常にわかりやすく示唆的な内容に富んでいる。 単純な話、未来の書籍はどうなるのか。平野啓一郎はある危機感を感じているがこれは現在出版に関わる人にとって共感されることだろう。これに対して梅田望夫は大きな変化はないだろうとしている。 文学者と情報技術の先端にいるコンサルタントとの、時代の変化に対する嗅覚の差もあるが、ここで梅田の判断の軸になっているのは「情報の構造化」という考え方だ。確かにネットには多くの情報がある。だがそれは構造化されていない。梅田の著作に表現されているアイデアの大半はすでにネットで公開されているが、それらは書籍

    castle
    castle 2006/12/12
    「テクノロジーが進歩すれば、人間自体も劇的に変容する」「平野は、人間の匿名性を重視している。これは性的な身体の欲望性を可能にする匿名性ということで、隠されているのは名前より、欲望をむき出した身体だ」
  • ウェブ広告で伝染的効果を挙げる7つのしかけ - finalventの日記

    ⇒口コミマーケティングに欠かせない7つのテクニック | p o p * p o p ⇒7 tricks to Viral Web Marketing - Baekdal.com 1: Make people feel something (感覚的に人に訴える) 2: Do something unexpected (想定の範囲外のことをする) 3: Do not try to make advertisements (that sucks) (広告を打とうとするな、つまらないから) 4: Make sequels (続編を用意せよ) 5: Allow Sharing, downloading and embedding (共有、ダウンロード、Webページ埋め込みを許可しろ) 6: Connect with comments (コメントに対応しろ) 7: Never restrict acc

    ウェブ広告で伝染的効果を挙げる7つのしかけ - finalventの日記
    castle
    castle 2006/11/29
    「感覚的に人に訴える」「想定の範囲外のことをする」「広告を打とうとするなつまらないから」「続編を用意せよ」「共有、ダウンロード、Webページ埋め込みを許可しろ」「コメントに対応しろ」「閲覧者を限定するな」
  • 人に向かって自意識過剰だなと思ったことはあるが言ったことはないように思う - finalventの日記

    単純に言うと、他者に向かって、おまえは自意識過剰だと、言えるほどの自意識をもってないというか。 というか、書かれた自意識というのは、言うまでもないことだが、読まれうる視線のなかの総合として出てくる。だから、書かれたものがそのまま自意識であるということは前提としてありえないのだが、そのあたりをふつうに理解している人は少ないかと思う←こういう感想が自意識過剰に見えるのでしょうけど。 いわゆる作家というのは、社会システムを介して、読まれうる視線を了解し、その了解を社会責務とし、さらに労働の対価としている存在。 それでも、職業作家でもどう読まれるかでその自意識には大きなプレッシャーがあり、簡単にいえば、ふつうの人はそこで潰れるようにできている。そこで生き残る職業作家の自意識というのはもう運命というか不幸としかいいえないものであり、その必然性だけが社会的に是認されるものだろう。作家に必要なのは才能で

    人に向かって自意識過剰だなと思ったことはあるが言ったことはないように思う - finalventの日記
    castle
    castle 2006/11/29
    「作家というのは、社会システムを介して、読まれうる視線を了解し、その了解を社会責務とし、労働の対価としている存在」「どう読まれるかでその自意識には大きなプレッシャーがありふつうの人はそこで潰れる」