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historyに関するcatfistのブックマーク (21)

  • 原爆は本当に8時15分に落ちたのか、止められた時計、14万の歴史 - 吹風日記

    1945年8月6日、広島において人類最初の核攻撃が行われました。原爆が投下された時刻、8時15分は子供でも知っております。ところが、この「8時15分」という時刻に疑いをもつ被爆者たちがいます。今日は、原爆が投下されたあの瞬間、人類が何を失ったのかについて考えます。 「お母さんはねえ、どうもあの時から、神経過敏になってね。あんな音を聞くと、つい、さっきのようにあわててしまって……」 「あの時からって、あの原爆?」と私はたずねた。 「ええ」と答えると、母は縫い物の手をやすめて、私の顔をじっと見つめた。 私は自然母の顔から視線をそらした。 長田新編『原爆の子』より 「時事ネタ」という言葉を知らぬ当ブログ。秋の気配すら感じるこんな時期に「原爆」ネタです。この時点で、3人ぐらいしかついてきてないような気がしますが、がんばります。 広島市に原爆が投下されたのは、8時15分。これは、もはや国民的常識とい

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  • 痛いニュース(ノ∀`):【沖縄戦】「ウソをつき通してきたが…」 "日本軍の命令で自決"、実は創作  渡嘉敷島集団自決で、初証言

    【沖縄戦】「ウソをつき通してきたが…」 "日軍の命令で自決"、実は創作  渡嘉敷島集団自決で、初証言 1 名前:☆ばぐた☆ ◆JSGFLSFOXQ @☆ばぐ太☆φ ★ 投稿日:2006/08/27(日) 12:00:28 ID:???0 第二次大戦末期の沖縄戦の際、渡嘉敷島で起きた住民の集団自決について、戦後の琉球政府で軍人・軍属や遺族の援護業務に携わった照屋昇雄さん(82)が、「遺族たちに戦傷病者戦没者遺族等援護法を適用するため、軍による命令ということにし、自分たちで書類を作った。当時、軍命令とする住民は1人もいなかった」と証言した。現在も多くの歴史教科書で「強制」とされているが、信憑性が薄いとする説が有力。琉球政府の当局者が実名で証言するのは初めてで、軍命令説が覆る決定的な材料になりそうだ。 照屋さんは、旧軍人軍属資格審査委員会委員を務めた。当時、援護法に基づく年金や弔慰金の支給対象

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  • 言語学研究室日誌:富岡幸一郎『新大東亜戦争肯定論』を読む

  • リンダ・メルヴァーン「歴史だって? この映画はフィクションだ」 - AztecCabal

    The Observerに掲載されたルワンダ・ジェノサイドの映画"Shooting Dogs"に対する批判記事。執筆者のリンダ・メルヴァーンはイギリスの調査ジャーナリスト。ルワンダのジェノサイドについての著書が2冊ある。"People Betrayed"ISBN:185649831Xェノサイドと国際社会の対応、"Conspiracy to Murder: The Rwandan Genocide"ISBN:1844675424の計画について詳述したもの。 1994年、恐怖の数ヶ月間のうちに、組織化されたシステマチックな虐殺によって最大100万の人々がルワンダで殺害された。ナチによる絶滅計画以来、ついぞみられなかったスケールの殺戮である。中心となる目的が一集団の絶滅であったため、ホロコーストとの比較をせずに済ますことはできない。ツチ全員がターゲットとされた。国連安保理が責任ある行動をとること

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  • http://www.ejapanesehistory.com/top.php

  • (都議会議員初鹿あきひろ先生応援サイト)mumurブルログ:「従軍慰安婦」が朝鮮人業者によるものだったということを朝日新聞が認めるも、反省の色無し

    ソウルからバスで1時間の広州(カンジュ)。小雪が舞う町はずれの山あいに「ナヌムの家」はあった。ナヌムとは「分かち合い」。日軍に性暴力を受けた元慰安婦9人が助け合い、静かに暮らしていた。 ◇ 「やっと平穏な生活を手に入れることができた」。李玉善(イ・オクソン)さん(78)はオンドルのついた8畳ほどの個室で編み物をしていた。「家」に来たのは6年前。戦後55年間、連行先の中国で暮らしていたという。 「無理やり連れて行ったうえ、戦争が終わっても、ほったらかし」。編み物をやめ、語気を強めた。 韓国南東部の蔚山(ウルサン)で、住み込みのお手伝いとして働いていた42年、大通りを歩いていると、背の高い男2人に突然、両脇をつかまれた。トラックに放り込まれて両手両足を縛られ、口をふさがれた。連れて行かれたのは中国東北部の延吉。電気の流れる鉄条網に囲まれた飛行場で草刈りや滑走路の掃除をさせられ、べ物は小さな

  • 愛・蔵太の気ままな日記 ユダヤ人団体をあおっている(=情報を提供している?)日本の団体について

    →「バターン死の行進」記事、ユダヤ人団体が文春に抗議 (読売新聞) 【ロサンゼルス=古沢由紀子】日軍が捕虜米兵らを炎天下歩かせた「バターン死の行進」についての月刊「文芸春秋」の記事が「歴史を誤って伝えるものだ」として、ユダヤ人人権団体「サイモン・ウィーゼンタール・センター」(部・米ロサンゼルス)は13日、当地で抗議の記者会見を開き、文春側に元捕虜らへの謝罪を求めた。 記事は、同誌の昨年12月号に掲載された「『バターン死の行進』女一人で踏破」。ジャーナリストの笹幸恵さんが、フィリピンで行進のルートを4日間かけてたどり、「栄養失調気味の私ですら踏破できた」と報告。「日軍による組織的残虐行為」との批判に、疑問を投げかけた。 行進を体験した元米兵でアリゾナ州立大名誉教授のレスター・テニーさん(86)は、文春側に抗議文を送付。会見で、「水や事をきちんととって歩いた彼女の行程は、当時の状況とか

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  • 製糸工場の工女は結核にならない?(その3):『あゝ野麦峠』許すまじ

    これは以下の日記の続きです。 →http://d.hatena.ne.jp/lovelovedog/20051030#p1 ということで、岡谷蚕糸博物館というところが出している『岡谷蚕糸博物館紀要』を読んでみました。普通に岡谷蚕糸博物館の人に頼めば販売してたりするし、国会図書館にバックナンバーがあります。 で、この紀要の中に、当時糸引き工女だった人の「聞き語り」などが毎号載っているのでそれを紹介しておきます。当時の工女の暮らしとか娯楽・仕事の状況などけっこうわかって面白いです。ただ、全文紹介するのは量もあるので、『あゝ野麦峠』に言及している奴だけ。 第一号は「武井はる子」さん(明治32年生まれ・聞き取りは平成7年7月)。p9 「野麦峠」って映画、ああいうこともあったかも知れないが、わしゃーの周囲にはなかったね。途中で病気になっても、仕事仕事って、ああゆうあわれなことはなかったね。*1 寄宿

    製糸工場の工女は結核にならない?(その3):『あゝ野麦峠』許すまじ
  • 製糸工場の工女は結核にならない?(その2):左寄りの人のテキスト紹介

    これは以下の日記の続きです。 →http://d.hatena.ne.jp/lovelovedog/20051029#p2 前回、輸出=国策産業だった(=それで明治政府が軍艦を買ったり軍事費をまかなったりした)生糸の女工に「結核が多かった」というイメージ操作を左寄りの人たちがしていた(実際に多かったのは「紡績の女工」なんだけど、繊維業界ということでひとまとめになると、確かに多くなってしまうことは事実)のでは、という推測を提示しましたけど、今回は具体的に実例を挙げてそれについて語ってみます。 実は役人のサポーターだった石原修さんの資料以外は、ほとんどすべて左寄りの人の意図的な(あるいは伝言ゲーム的な)誤誘導で、何がどうしてこうなってしまったのか皆目不明ですが、富国強兵・軍国主義をとても嫌っている戦後の人たちがいることは確かです。 たとえば、『製糸工女と富国強兵の時代 生糸がささえた日

    製糸工場の工女は結核にならない?(その2):左寄りの人のテキスト紹介
  • 2005-10-29

    なんか俺のところが「そのほかのブログ」でノミネートされた様子。 →SOFTBANK Creative「ネットランナー」公式ホームページ NetRunner:2005年12月号 - ベスト・オブ・常習者サイト2005 わーい、うれしいなぁ(棒読み)。しかしどのサイトもすごいところが多くて、その中に混じっているのは心苦しいです(棒読み)。他のノミネート・サイトと比べて俺のサイトが勝っているのは、引用部分がやたらに多いぐらいなものです。しかしまぁ、「ネットランナー」のサイトから来る非・常連者もそこそこいるみたいなので、少し週末に更新してみます。 『凡宰伝』(佐野眞一・文春文庫)(→bk1)(→amazon)という、小渕恵三に関するを読んでいたら(とても面白いなのでおすすめ。それはともかく)、以下のことが書いてあったのでおどろき。小渕さんの家は群馬で製糸業を営む家だったんですが(今はもうやめ

    2005-10-29
  • 保守政治勢力の変化と歴史観 - カワセミの世界情勢ブログ

    これは漠然とした印象であり、勘のようなものに過ぎないが、近年右傾化していると言われつつある論壇は、むしろ今年あたりから退潮の傾向があるのではないか。自分が良く見て回るブログで、最近保守論壇への嫌悪感を記しているのが目立つせいもあって、私がそう思っているだけかもしれないが。 保守政治家といっても、様々な立場の人がいる、雪斎殿のエントリで、マトリクス化による分析がなされたものがある。非常に参考になるので目を通して欲しい。そしてここでの分類では強いて言えばx軸かと思うが、いわゆる保守政治家の中でも、儒教的価値観や土着的伝統政治を重視する「伝統主義者」とでもいうような勢力が退潮したのではないかという印象を持っている。そしてこの政治勢力はしばしば民族主義的ナショナリズムの傾向も重なる。 この政治勢力の伸び悩みは様々な要因が考えられるが、私は情報化社会の進展が一つの要因だと思う。例えばブログなどで英語

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  • はてなブログ | 無料ブログを作成しよう

    ハリイカの焼売と中華炒め ハリイカをよく、見かけるようになりましたよ。生け簀で、泳いでいたものを一杯購入しました 立派な大きな墨袋や肝は冷凍保存して 柔らかな身は季節のお豆、お野菜と合わせて中華の炒めものに。新鮮なにんにくの茎は刻み、香り高く欲そそられますね 下足はミンチにし…

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    catfist
    catfist 2005/10/13
    マジなナショナリズムは危険。ネタでいきましょ、という話。
  • 「阿片王 満州の夜と霧」。 : Espresso Diary@信州松本

    2005年10月01日23:22 カテゴリ書評書評 「阿片王 満州の夜と霧」。 日の高度成長の秘密は、満州にある。昭和史を知れば知るほど、その思いは強くなります。たった13年で消えた幻の満州帝国には、高度成長の種が数多く宿っている。1945年8月15日の終戦のイメージが余りにも強いので、私たちは、つい戦前と戦後との連続性を見失いがちなのです。 佐野眞一が里見甫(はじめ)を描いた『阿片王 満州の夜と霧』を読み、「あぁ、アヘンだったんだ・・・」と思いました。イラクやパレスチナの映像を見れば分かる通り、たとえ強い軍事力があっても、それだけで国や地域の支配を続けることは難しい。共通のメディアや通貨があって、初めて安定した統治が可能になる。満州の秘密は経済とメディアの支配にあり、その核心が阿片だったんですね。満州国通信社の設立にかかわり、阿片を売りさばいた里見甫が、この両方を担えたのは、中国人の社

    catfist
    catfist 2005/10/02
    >「宗教は阿片である」と言ったのはマルクスですが、戦後の日本ではマスコミが阿片だったのです。
  • 二つの731部隊: Meine Sache ~マイネ・ザッヘ~

    2014年10月(1) 2014年09月(1) 2014年08月(2) 2013年02月(6) 2013年01月(17) 2012年12月(16) 2012年11月(12) 2012年10月(5) 2012年09月(2) 2012年07月(5) 2012年06月(2) 2012年03月(2) 2012年02月(21) 2012年01月(18) 2011年12月(8) 2011年11月(7) 2011年10月(1) 2011年08月(6) 2011年07月(4) 2011年01月(9) 2010年12月(7) 2010年02月(1) 2010年01月(17) 2009年12月(4) 2009年09月(10) 2009年08月(25) 2009年07月(26) 2009年06月(20) 2009年05月(5) 2008年06月(5) 読者のみなさんからたくさんメールを頂いております。励ましのメ

  • http://www3.diary.ne.jp/logdisp.cgi?user=329372&log=20050815

    catfist
    catfist 2005/08/26
    中国はかつては9/2を記念日としていた。
  • 時計じかけの日の丸 : 404 Blog Not Found

    2005年08月23日18:09 カテゴリTaxpayer書評/画評/品評 時計じかけの日の丸 このblogのこのentryを見て思い立ったことがある。 時計じかけのオレンジ Stanley Kubrick 戦後の日というのは、まさに治療後の主人公アレックスではないのか。 憲法とは、ルドヴィゴ療法だったのだろうか。 友人としても国家としても、アレックスはごめんこうむりたいのだが。治療前も治療後も。ましてや自分がそうなるのは。 Dan the Taxpayer 「Taxpayer」カテゴリの最新記事

    時計じかけの日の丸 : 404 Blog Not Found
  • 私たちの先人は大東亜戦争を戦ったのです

    先の大戦について肯定的に語ることがタブーのような空気に包まれている日に於いては、日人自身のそういった発言はすぐに色眼鏡で見られ、レッテル張りされてしまいます。そこで外国人の意見を集めてみました。 H・G・ウェルズ(イギリス、歴史学者) 「この大戦は植民地主義に終止符を打ち、白人と有色人種との平等をもたらし、世界連邦の礎石をおいた。」 アーノルド・J・トインビー(イギリス、歴史学者) 第二次大戦において、日人は日のためというよりも、むしろ戦争によって利益を得た国々のために、偉大なる歴史を残したと言わねばならない。その国々とは、日の掲げた短命な理想であった大東亜共栄圏に含まれていた国々である。日人が歴史上に残した業績の意義は、西洋人以外の人類の面前において、アジアとアフリカを支配してきた西洋人が、過去二百年の間に考えられていたような、不敗の半神でないことを明らかに示した点

  • シーボルトがドイツに紹介した江戸の産科医 (2005年7月24日) - エキサイトニュース

    1804年に世界で初めて全身麻酔術の成功をしたのは華岡青洲というのは有名な話だが、江戸時代の医学の世界でもう一人、偉大な人物がいるのをご存知だろうか。 彦根の産科医・賀川玄悦(1700-77)である。 賀川玄悦は、まだ世界的にも妊娠中の胎児は頭が上にあり、出生の時になってくるりと頭を下に転身するというのが定説だった時代に、胎児の正常胎位は上が尻で下が頭という「上臀下首」を発見をしたのである。 もともと按摩・鍼灸の術を行う一方で古医法を学んでいた賀川玄悦が産科医となったのは偶然のこと。ある日、近くに住む婦人が、難産のためにほとんど死にそうだったところに呼ばれた時、考えあぐねた末に婦人の命を救うことを優先し、道具を使って人工的に胎児を分娩させる方法をとった。 このことから、助産術には薬のほかにどうしても手術が不可欠のものであると確信。その後、助産術の研究を行なうようになったという。そして、その

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  • 【インフォシーク】Infoseek : 楽天が運営するポータルサイト

    catfist
    catfist 2005/07/14
    ドイツ戦争の歴史 フランス連敗の歴史
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