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ブックマーク / satoshi.blogs.com (17)

  • MacWorld: AppleはApple TVでキャズムを超えることができるか?

    今回のMacWorldの発表で、個人的に一番うれしかったのはApple TVのアップグレード。去年の発売と同時に買い求めたものの、映画のトレーラーを見る以外にあまり役に立っていなかったApple TVが、今回のアップグレードで息を吹き返す。 特にうれしいのは、これが純粋なソフトウェア・アップグレードであること。新しいハードを買えと言われたら頭に来ていたところだ。 しかし、今回のアップグレードとiTune Storeからの映画のレンタルを組み合わせると、Netflixのサブスクリプションを辞めても良いのではないかと思えてしまう。もちろん、ラインナップしだいでもある訳で、しばらく使ってみないと分からないが、HDの映画まで借りられるところが強い魅力。 「インターネットを介した映画配信が、DVDなどの物理媒体にいつかは取って代わる」ことは火を見るよりもあきらかだが、それがいつになるかを予想するのは

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    ced 2008/01/18
    既に問題はキャズムを超えるか超えないか、というYES/NOの話ではなく、いつ超えるのか、というWHENの話になっていること。
  • 日本は世界経済にとってのガラパゴス諸島

    渡辺千賀さんの「日は世界のブラックホールか桃源郷か」というエントリー。「そう、そう」とうなずきたくなるようなエントリーだが、私が数年前から使っている表現は「日は世界経済にとってのガラパゴス諸島」。 2000年ごろから始まった、日特有の「ケイタイ文化」の進化は、主に言語と人種と非関税障壁の壁により隔離された日だからこそ起こったと言え、文化人類学的に見ても、グローバル経済の面から見ても、とても面白い。だから、米国のワイアレス関係の人たちの中でも目利きの人たちは、あいかわらず日を特殊な実験場のような目で注意深く見ている。 隔離されているからこそ、独自の変化を遂げることが出来ているのも一つの特徴だが、それゆえに「外来種」にあっという間に駆逐されてしまったり、海外でまったく勝負できないなどの例も後を絶たない。最近ではスターバックスが良い例である。昔良く見かけた「マイアミ」とか「カトレア」は

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    ced 2007/06/26
  • Life is beautiful: 「若者のテレビ離れ」と「釈迦にキリスト教」と

    CNETのブログに、「『若者のテレビ離れ』に関する一考察」というエントリーを書いたが、手っ取り早く言えば、これからの時代は、 ・朝起きて最初にすることは、メールとmixiのチェック ・テレビをつけない日はあっても、メールとmixiをチェックしない日はない ・一時はGyaoを見ていたけど、今はもっぱらYouTube ・テレビ番組はテレビでみるより、YouTubeで見たほうが楽しい ・YouTubeができてから、テレビ番組の流行に敏感になった ・iPodに入った曲のほとんどはどこかから手に入れたコピー ・プレステは持っているけど最近はほとんど電源を入れない ・次のパソコンはそろそろMacに切り替えようかと考えている ・「固定電話」ってなに? みたいな人たちに楽しんでもらえるデバイスやサービスを作らなければだめだということ。 そんな危機感を、今までひたすら「大きくてきれいなテレビ」や「髪の毛の一

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    ced 2006/10/20
  • YouTubeを使ったテレビ番組の「一部引用」の合法性に関する意見募集

    CNetのブログに、「YouTubeを使ったテレビ番組の『引用』の合法性に関する一考察」というエントリーを書いたので、まずはそれを読んでいただきたい。ここ数週間ばかり、私なりに「なぜSequoiaのような一流どころのVCがYouTubeに資金を提供したのだろうか」、「一見お金を垂れ流しているようにしか見えないYouTubeの当の狙いはどこにあるのだろうか」と考えて来た結果、やっと少し「著作権法との関係の落としどころ」のようなものが見えて来たような気がするので、それを自分なりにまとめて書いてみたのだ。 結局のところ、「テレビ番組の一部を『個人的体験の共有』のためにアップロードすることぐらい許容範囲」と多くの人が思うようになるのか(もしくは、既になりつつあるのか)が鍵である。CNetのエントリーに書いたように、人々の常識や良識が変化した時には、法律の方を変更すべきだ、というのが私の考え方であ

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    ced 2006/07/21
    フェアユースと引用は次元の違う話なのでYouTubeを日本の文脈で語るのは難しい。あと放送と通信の話もあるし、放送における著作権の扱いの微妙さ、という問題もあるので、後できちんと考える予定。
  • Life is beautiful: 見たい番組の存在は『放送後』に知ることが多い、だからYouTube

    ここのところ、YouTubeのお世話になることが多い。日マンションに置いてあるSharpのガリレオに予約録画しておいた日の番組をネット経由で視聴することが出来るとは言え、テレビガイドとにらめっこをしながら「どの番組を予約しようか」と時間を費やすほどのテレビ好きではない。そもそも、あらかじめ見たい番組を知っているケースはごくまれで、知り合いやブログを通して「こんなおもしろい番組をやっていた」という情報を『放送後』に得る場合がほとんどである。 そんな時に役に立つのがYouTube。今週だけでも、「ハルヒの最終回」が放映されたことを人気ブックマークで、「サラリーマンNEO」というNHKらしからぬ面白い番組が放映されていることを知り合いのブログで、「プリンス小林が再びホットドックの早いチャンピオンになったこと」をこのブログのコメント欄で、それぞれ知った。 どの情報も『放送後』に入手したため

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    ced 2006/07/08
  • YouTubeはメディアビジネスに対する進化圧

    最近日経新聞(朝刊)でYouTubeに関連した記事を見かけることが多くなりました。日のマスコミが同社を注視し大きく報道することに関して、YouTubeファンとしては多少複雑な心境です。正直私はGooleよりもYouTubeの将来の方が興味深々です。中島さんの視点をお借りすれば、NBC(米国3大ネットワークの一つ)は進化圧に敏感だと言えますね。 そうですね。「決まった時間に電波で放送される番組を見る」スタイルが既に若い人たちのライフスタイルとは大きくずれ始めている。DVDレコーダーに蓄積して見ることすら時代遅れになりつつある。そんな大きな潮流に短期的には逆らうことは出来ても、長期的には無理でしょう。 そこで、そんな潮流とどう折り合いを付けていくか、どの辺りが落としどころか、を見つける必要があります。YouTubeと提携することにしたNBCにしろ、iTunesでコンテンツを販売することにした

  • Life is beautiful: セカチューブームは「多元的無知」か

    CNETのブログのエントリー「既存のウェブサイトをAJAX化する意味が当にあるのか?」の中でも軽く触れたが、皆が良いと主張するものを誰も否定できなくなってしまい、結果的に集団として誤った方向に行動してしまう現象を社会心理学では「多元的無知」と呼んでいる。 難しい授業や講演を受けた人たちが、誰一人として全く理解できていないにも関わらず、それぞれが「理解できていないのは私だけかも知れない。それがばれるのは恥ずかしいから、私も分かったような顔をしてうなずいておこう」と考えて、全員が理解したような顔でうなずき質問もしない、などの状況が典型的な「多元的無知」の例だ。 近年では、十代の子供達の間での「セカチュー(世界の中心で愛を叫ぶ)」ブームが良い例だ。確かにそれなりに良く書けている小説かも知れないが、この手の「純愛もの」は通常はごく一部の子供達だけに受け入れられるたぐいのものである。 しかし、一旦

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    ced 2006/06/24
    「皆が良いと主張するものを誰も否定できなくなってしまい、結果的に集団として誤った方向に行動してしまう現象を社会心理学では「多元的無知」と呼んでいる。」
  • Life is beautiful: Amazon AffiliateがGoogle AdSenseに勝てる理由

    今まで、このブログでも何回もGoogleMicrosoftを比較して、Googleにばかり軍配を上げてきた私だが、Googleに弱点が全く無いと思っているかというと決してそんなことはない。そこで、今日はこのブログでも採用しているAmazon AffiliateとGoogle AdSenseとを比較した場合、どうして私が「長い目で見たらAmazon Affiliateの方が強いかも知れない」と思っているかを述べてみたい。 まずは、このブログでの過去数ヶ月の実データを元に、Amazon Affiliateの結果をまとめると以下のようになる。 ・測定単位: 10万ページビュー ・クリック数: 約2500クリック ・注文数: 約150点 ・アマゾンの売り上げ: 約25万円 ・紹介料: 約1万5千円 まあ妥当な数値である。クリック率は約2.5%。クリックから実際の注文へのコンバージョン率は約6%で

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    ced 2006/06/21
    「Amazon Affiliateは「末永く今の形で続かせることが可能なビジネスモデル」だが、Google AdSenseは「このままの形で維持するのは難しいビジネスモデル」」
  • 新しい Microsoft を引き継ぐのは Ray Ozzieか?

    「あれ、何か辺だな?」と思うことが幾つか重なり過ごしているうちに、あるとき突然ピタッと合わさったクロスワード・パズルのように「あ、なんだそうだったのか!」と思えることがある。昨日の夜、それを経験したので、今日のエントリーはその話。 最初の「あれ?」は、今年の5月にMicrosoft が Groove を買収したときに、Ray Ozzie をCTOに任命したこと(参照)。Groove を買収することは納得できるとしても、なぜ突然CTOなんだ、と違和感をおぼえていた。 次は9月の組織替え(参照)。Jim Allchin が引退したがっていることは3年ぐらい前から元Microsoft幹部の間では噂になっていたので驚きではなかったが、外から来たOzzie が一番将来性のあるサービスのリーダーシップを取ることになったのは、元Microsoftの私としては少し驚きであった。 そして、今回のBill G

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    ced 2006/06/16
    「Groove の買収という形で Ray Ozzie を迎え入れ、生まれ変わるべき Microsoft を託すことにした、と見るのが正しい見方なのであろう」
  • トイレ進化論、本当の大変化はこれから始まる!?

    先週は、JavaOneのためにサンフランシスコに行っていたのだが、ちょうど良い機会なので、IDEOのオフィスにも顔を出して来た。IDEOはMacのマウス、PalmVなどさまざまなプロダクツのデザインを手がけたインダストリアル・デザインの会社。私がCEOを務めるUIEvolutionがユーザー・エクスペリエンス(おもてなし)を重視する会社だ、というのもこの訪問の理由の一つだが、私自身がインダストリアル・デザインの話が好きな上に、プロトタイプを重視する姿勢など、彼らと共感できる部分が沢山あるという個人的な理由もある。もし私がソフトウェア業界以外で働くとしたら、IDEOは一度は働いてみたい会社の筆頭だ。 IDEOのオフィスを訪ねるのはこれで二度目だが、あそこに行くととにかく刺激される。IDEOで働く人たちはもちろんだが、そのオフィス環境から働き方まで色々と勉強になる。 帰り際に、「トムの新しい

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    ced 2006/05/22
  • E3 2006、心を打つ一言

    二年連続で行っていたE3、今年はネット観戦。ここのところ毎週の様に出張しているので E3 はパスさせてもらうことにしたのだ。 新しいゲームや次世代ゲーム機に関する記事やプレスリリースを読んだが、心に残るようなものは見当たらない。「やはり行く必要はなかったな」と感じていると、突然心臓をわしづかみにするような言葉が飛び込んでくる。 ...ゲーム初心者の場合、例えばどうぶつの森で、自分が眠っている間に自分の村に友達が遊びに来て、メッセージやプレゼントを残していく、そんな、毎日電源を入れるのが楽しみになるようなことが実現できます。...(任天堂の岩田社長スピーチ) この人は当にすごい。 「毎日電源を入れるのが楽しみになるようなこと」 あらゆるデバイスがネットに繋がり始めた今、ゲーム、ネット、AV機器、通信、メディア業界で働く全ての人たちが目指すべきものをこれほどまでにはっきりと分かりやすく示す言

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    ced 2006/05/10
  • 本当に生活の一部になると言及されなくなる

    会社にいるときは主にパソコンの前で仕事をしているのに、家に帰ってもついつい、すぐにパソコンに向かってしまう私だが、そんな私に投げかけるの言葉が、少しづつ変化している。 結婚当時 「ねえ、パソコンばかりいじってないで、私の言うことも聞いてよ」 数年前 「ねえ、インターネットばかりしてないで、私の言うことも聞いてよ」 最近 「ねえ、ブログばかり書いてないで、私の言うことも聞いてよ」 には申し訳ないが、これは大変興味深い現象である。確かに最近はブログを書いているケースが多いのだが、ブログを書くにはパソコンもインターネットも必要なのだ。それなのになぜ、もう「パソコンをいじっている」とか、「インターネットをする」と言わなくなって来たのだろう。 私はこれこそ、パソコンやインターネットが、特別なものではなくなり、テレビや電話と同じく我々の生活の一部になった証拠だと思っている。例えば、日曜の朝のこんな

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    ced 2006/04/29
  • デジタルデバイドとユーザーエクスペリエンス

    CNetのブログに「ユーザー・エクスペリエンスとパーベイシブ・アプリケーションの世界」というエントリーを書きつつ考えたことがあるので、今日はそれに関するエントリー。テーマはデジタルデバイドである。 デジタルデバイドとは、さまざまなデジタルデバイスやネットワークの恩恵を受けられる人と受けられない人の間に大きなギャップが生まれることを指す(参照)。ギャップが生まれる原因には、所得、地域、年齢、教育の違いなどさまざまなものがある。「所得・地域格差」に関しては、私のようなエンジニアに何が出来るわけでもないので口を挟むつもりはないが、「年齢・教育」に関しては言いたいことが山ほどある。 この手の議論の際に「デジタルデバイドを解消するために人々の情報リタラシーを高めよう」などという発言を聞くことがあるが、私はこの「○○リタラシー」という言葉が大嫌いだ。もともと「リタラシーがない」とは「文盲である」という

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    ced 2006/04/05
  • ゲーム業界のジレンマ

    今まで何度か間接的に指摘して来たゲーム業界の抱えるジレンマ、私自身がスクエニの内部事情を知りすぎていることもあり少し遠慮してきたのだが、やっとおおっぴらに話せるネタが発表されたので、今日はそれに関するエントリー。そのネタとは、 スクエニ、松下電器の「Tナビ」向けにカジュアルゲームなどを提供 キングタム・ハーツII、ファイナル・ファンタジーXIIなど超大作と比べたら、業界へのインパクトもファンの反応も微々たるものだが、実は「ゲーム業界の抱えるジレンマ」を乗り切るためにこれからスクエニが(そしてたぶん他のゲームメーカーも)着手するリスクヘッジ戦略の一つであるという意味ではとても重要な意味を持つ、「明日のための一手」である。 ゲーム業界の人であれば誰でも、ゲーム機の世代交代がおこる今年から2008年の前半ぐらいにかけてがゲーム業界にとって正念場であることは知っている。しかし、残念なことに業界の大

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    ced 2006/03/25
  • 知的労働者には「組織を移る力」がある

    前回のエントリーに、Doraさんという方から「次回エントリー『こうすれば日のSEは救われる!』を楽しみにしております!?」とのコメントをいただき、少し悩んでしまった。日SIer(少し前までは「SI屋」だと思っていた)の階層構造の問題を指摘しておきながら、何も提案しないのはあまりにも無責任かも知れない。 だからと言って、「日IT産業はこうあるべきだ」などと部外者である私が当の意味で影響力のある発言をするのはあまりにも難しい。特に、IT業界に限らず、一旦こういった階層構造が出来てしまうと、業界で力を持つ上位レイヤーの会社や人たちにとって、改革は自己否定にもつながりかねないので良いと分かってはいても自分からわざわざ着手できない、というジレンマがあるのが一層解決を困難にしている。 では、現時点でIT業界で苦しむSEやプログラマーの人たちは何をしたら良いのだろうか。 とても難しい問題では

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    ced 2006/03/24
  • Life is beautiful: SEはメニューのないレストランのウェイターか?

    一昨日書いた「ソフトウェアの仕様書は料理レシピに似ている」というエントリーに対して沢山の人からフィードバックをいただいた。このように情報を発信すると、逆により多くの情報が集まり自分にとっても勉強になる、というフィードバックプロセスがあるからブログは楽しくて仕方がない。 フィードバックの中に「これでSE不要論も再燃か?」などという過激なコメントから、自分自身がSEという立場の方からのものすごく真面目なフィードバックまでが集まったので、これを機会に、ここに私なりに「SE」という職業をどう解釈しているか書いてみようと思う。もちろん、私自身がSEという職業を経験したことがあるわけでなないので、間違っているかも知れないが、その場合は遠慮なく指摘していただきたい。 私の理解では、SEという職業はレストランに例えればウェイターである。それも、メニューから料理を選んでもらう通常のレストランとは異なり、「

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    ced 2006/03/22
  • Life is beautiful: ソフトウェアの仕様書は料理のレシピに似ている

    先日、経済産業省向けの仕事をしている知り合いと事をしたのだが、彼によると経済産業省の今の悩みは、「IT産業の階層化の弊害によっておこる下流のプログラマーの収入の低下」だそうである。「プライムベンダー」と呼ばれる「上流コンサルタント」たちがインドや中国にも仕事を発注できることを理由に、激しく値切り始めたために、今やわずか一人月30万円というケースもあるという。 こんな話を聞くと当に悲しくなる。まず第一に「プログラムを書く」という仕事は簡単な仕事ではない。数学的な頭を持っていないとかなり辛いし、基礎がしっかりと出来ていないとろくなソフトウェアは作れない。物価の安いインドや中国なら許せるが、米国よりも生活費の高い日で一人月30万円とはあまりにも低すぎる。 「彼らは下流のエンジニアで、詳細仕様書に従った通りのプログラムを書くだけの簡単な仕事をしているから給料が安い」という説明を聞いたことがあ

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    ced 2006/03/20
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