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ブックマーク / lets-skeptic.hateblo.jp (14)

  • 『もうダマされないための「科学」講義』にダマされるな - 僕と懐疑の関係

    著者の一人である片瀬さんから献頂きました*1。ありがとうございます。目次は以下。 『もうダマされないための「科学」講義』 1章 科学と科学ではないもの 菊池誠 2章 科学の拡大と科学哲学の使い道 伊勢田哲治 3章 報道はどのように科学をゆがめるのか 松永和紀 4章 3・11以降の科学技術コミュニケーションの課題  平川秀幸 付録 放射性物質をめぐるあやしい情報と不安に付け込む人たち 片瀬久美子 出版社の紹介にダマされるな この、出版社の宣伝を読む限りは、「科学とは何か」を今まであまり意識してこなかった人、「科学」をあまり知らない人(以下「一般人」と表記します)向けのなのですが、そこにダマされそうになりました。そういった方が読むと、話題についていけないか、曲解しそうな感じの部分が多いでしょう。 そんな優しいではないのです。ハードボイルドです。取扱注意です。むしろ伊勢田さんの2章ででて

  • 批判者に意識してもらいたい3つのこと - 僕と懐疑の関係

    ぼくは元超常現象信奉者で、信奉者としての議論経験も少なくない。そんな経験から、信奉者と議論する場合に、批判者として気を付けたいポイントをあげてみる。相手が純真な信奉者の場合は特に気を付けてほしいところ*1。 1. 信奉者をユニークな一人の人として扱う あたりまえのようで、あたりまえにできている人は少ない。 信奉者の主張には、どっかで聞いたような話が多いのは事実。そして何度も見てきたような間違いをしていることも多い。でも、やっぱり詳細は色々と違うものだから「またあのパターンか」「周回遅れ」「FAQ」と思っても、目の前の信奉者の意見を注意深く聞き、目の前の信奉者の意見に反論して欲しいと思う。 信奉者の意見をFAQとして一般化されたものへカテゴライズして、FAQへの返信を書いてしまうのは問題だ。信奉者は「こいつ、全くぼくの話を聞かないでどこかの誰かの話をしてる。話にならん。」とか「結局自分語りし

    批判者に意識してもらいたい3つのこと - 僕と懐疑の関係
    cham_a
    cham_a 2011/09/02
    その場での説得は出来なくても楔を打ち込む事が出来てるかもしれないし
  • 続・最悪の教育 - 僕と懐疑の関係

    前回触れた問題*1について続報がありました。詳しい状況は、kikulogのコメント欄を参照してください。 今回、メールと電話でお話ができ、問題点についてはかなり伝わったと思います。今後の役員会でも、それをふまえて、今回の件について議論をしていきたいとおっしゃっておりました。 関東地区公立小・中学校女性校長会(追記あり9/24) 前回のエントリで「校長会を叩くのは簡単です。しかし、それでは問題が解決しないことも確かです。FSMさんの「教育界の自浄作用が発揮されることを強く望む。」という文章に激しく同意します。」と触れました。今回のケースでは穏便なアプローチで先方も相互理解の姿勢が見られるようです。ひとまず、これは喜ばしいことです。 しかし、「女性校長会」の今後の対応を暖かく見守りながら、不適切なことがあればさらなるサポートが必要でしょう。 現実的な問題として、取り寄せた絵「水からのでんごん

    続・最悪の教育 - 僕と懐疑の関係
    cham_a
    cham_a 2008/10/06
    これをきっかけにじっくりしっかり考える機会になっていけばいいのになぁ/この会の人たちにニセ科学の問題が認識されれば影響力はでかいだろうし
  • レタスの発がん性はアフラトキシンB1の5倍 - Skepticism is beautiful

    Pesticide Residues in Food and Cancer Risk*3では、HERP (human exposure/rodent potency)という値を用いて発がん物質を評価している*4。ヒトでの平均暴露量を、げっ歯類で半数の発がんが見られる用量(TD50)を割って、その数値が高いほど発がんリスクが高いという考え方だ。この Table38.5によると、アフラトキシンのHERPは0.008、ダイオキシン(TCDD)のそれは0.0007で、アフラトキシンのほうが約10倍高い。つまり実際の暴露量ではアフラトキシンのほうがダイオキシンの約10倍のリスクになるのである。 (中略) ビールのHERPは2.1(一日の平均摂取量257g、エタノール13.1mL)で、アフラトキシンの260倍以上、ダイオキシンの3000倍なのである。 ねこるなのねこねこショウ ビール(アルコール)なん

    レタスの発がん性はアフラトキシンB1の5倍 - Skepticism is beautiful
    cham_a
    cham_a 2008/09/17
  • 科学はその成功ゆえ誤解される運命に - 僕と懐疑の関係

    既にどこかにもっと分かりやすい適切な話がありそうなのですが、「はてな」というエントリの「謙虚さが足りない」に対し脊髄反射的にエントリを上げてしまいます。一応、自然科学を頭に置いてますが、科学と呼ばれるのが適切な分野なら殆ど当てはまるものと思います。脊髄反射的なので、散漫な文章です*1。 科学は万能か? 「まともな科学者で科学を万能だと思っているような人はいない」というFAQとして有名なぐらい明確に答えられます。万能なんかじゃありません。もう、問われる前から「当たり前」だったんです。 論理で、「演繹」とか「帰納」とか出てきましたよね。帰納は論理的にも絶対的な真にはならないという話も知っている人の方が多いかもしれません。100人の人を集めてきて、陸上短距離100m走のルールで100mを10秒代で走る人が居なかったからといって、100mを10秒代で走る人が存在しないわけではありません。101人目

    科学はその成功ゆえ誤解される運命に - 僕と懐疑の関係
    cham_a
    cham_a 2008/08/05
    「人間に対しては鉄壁の傲慢さかもしれません」「傲慢な人間が、科学の成功を見て「もっと大きな成功を!」と過剰な期待をかけようとした」出来ない事ではなく「出来るようになった事」をあらためて確認するのが大切
  • 説得:逃げ道の用意をすべきである理由 - Skepticism is beautiful

    今回は、「説得の方法を考える(そしてやはり挫折するかも) - Skepticism is beautiful」のポイント3「逃げ道の用意」について書きます。逃げ道は必要という話について、菊池誠教授が一度「逃げ道は塞がない」という批判の指針に触れていたことがあるぐらいで、議論や批判の文脈では殆ど聞かない話です。 認知的不協和の解消 前回*1「認知的不協和理論」に触れました。もともと持っていた知識と、新たに提示された知識が矛盾する場合、認知的不協和がおき、人は、その不協和を解消するように動機付けられるという話です。 自分の知識と矛盾する知識に出会ったとき、「認知的不協和」が生じる事自体は特に問題のあることではありません。問題は、不協和を解消するときにどのような方法をとるかということです。 不協和を解消しないという選択肢はあるものの、既に不協和関係を解消するように動機付けられているので、解消しな

    説得:逃げ道の用意をすべきである理由 - Skepticism is beautiful
  • 相手の態度はコントロール不可能ではない - 僕と懐疑の関係

    批判されて、なるほどわかりました、となる人は少ない - カナかな団首領の自転車置き場と、ぽりあんてなというエントリを読んだ。どちらも、批判や議論、説得のコミュニケーションに関する話です。ニセ科学批判の話が前提にある模様。 批判というコミュニケーションは失敗し続けてきた 「批判されて、なるほどわかりました、となる人は少ない」では、批判したからといって相手がそれを受け入れることはそんなに期待できない。でも、ギャラリーへの影響を考えると無意味ではない。といったような、もっともなことが書かれています。 この話がもっともな話であるということは、批判というコミュニケーションが相手の意見を変えるという視点で見た場合は失敗し続けてきたということを意味しています。 新たな対処が必要なのではないか 「明るい懐疑とコミュニケーション」では、説得のやり方次第で、相手に与える影響が違うということに焦点を当てています

    相手の態度はコントロール不可能ではない - 僕と懐疑の関係
  • ある問題に対面したとき、頭の良さだけで解決できると思ってはいけない。 - 僕と懐疑の関係

    批判的思考のポイントは「態度」「知識」「技術」の3点でしたね。批判的思考を行うという態度をもっと重要視して欲しいというのが前回のエントリ*1でしたが、今回は知識に焦点を当ててみましょう。 批判的思考における「創造性」の重要さ 日の批判的思考研究者として有名な人として道田泰司教授が居ます。以前のエントリで道田教授の定義を取り上げました。 道田「批判的な態度によって解発され、創造的思考や領域固有の知識によってサポートされる論理的・合理的な思考」 批判的思考(クリティカル・シンキング)とは何か - Skepticism is beautiful 道田教授の定義には「創造的思考」というものがでてきます。道田教授は批判的思考がどんなものか?ということについて「見かけに惑わされず、多面的にとらえて、質を見抜くこと」という表現もしています。こちらの表現ではより創造的な思考に重点が置かれているという解

    ある問題に対面したとき、頭の良さだけで解決できると思ってはいけない。 - 僕と懐疑の関係
    cham_a
    cham_a 2008/06/14
  • 議論や対話に重要なこと - 僕と懐疑の関係

    皮肉と当てこすりとでは世界は変わらない。 - novtan別館という記事を読んだ。私も皮肉や当てこすりで他人の行動を変えることができるとしたら、それはネガティブというか破壊的な方向だと思います。 対話において重要なのは他者理解です。他者理解を妨げるバイアスも色々とあるようです。人には、自分の失敗は外的(環境や状況、タイミングなど)な理由で説明し*1、他人の失敗は内的(性格など)な理由で理解する傾向があります。特に、他人が自分と異なるグループに属しているか、嫌いな人物であれば、そういう傾向は高まります。これは「基的帰属錯誤」とか「究極的帰属錯誤」なんて呼ばれるものです。 人は他者を理解しようとしますが、ちゃんと理解するよりは自尊心を守るように方向づけられているのかもしれませんね。面倒な話です。 批判的思考でも、他者理解のために共感や相手の尊重が必要になるということが指摘されています。理解を

    議論や対話に重要なこと - 僕と懐疑の関係
    cham_a
    cham_a 2008/06/09
  • それでも私は彼らをバカなどではないと言い続けるッ!! - 僕と懐疑の関係

    トラックバックいただいたバカへの信を問う - モジモジ君の日記。みたいな。というエントリを受けて*1。 id:mojimojiさんが自分の中にしかない自分定義で「バカであるその人を目的とするようにバカにしろ」と主張するのと同じように、私は私が勝手に一般的な「バカ」の用法だと思っている「バカ」という単語を使い「彼らはバカではない」と言う。 個人個人が、id:mojimojiさん定義の「バカ」を用いるのならば、誰一人「バカ」でない人は居なくなるだろう。 「全ての人間はバカである」 それはレトリックとしては面白いかもしれないが、対話をしようとするのなら無駄にギラギラと派手な表現に思える*2。 id:mojimojiさんは、「バカはバカなりに人間として人間的に生きているんだ。対話しようではないか。」と言うだろうが、私は「彼らと僕らではない。ましてやバカと賢い人なんかでもない。同じ人間なんだから対話

    それでも私は彼らをバカなどではないと言い続けるッ!! - 僕と懐疑の関係
    cham_a
    cham_a 2008/06/02
    「人間は誰しも完璧じゃないのだから、誰でもいつか必ず間違える」
  • あなたの周りにいる人はバカばかりですか? - 僕と懐疑の関係

    ニセ科学や超常現象、オカルトなどを信じている人(世の中の多数派を占める人)がバカであるという考え方をする人は、id:mojimojiさんに限らず特に珍しくありません。私の印象だけで言えば、むしろ主流かもしれないと感じます。 もし、あなたがそういう考えを持つ人であるのならば、インターネットを離れて、リアルで付き合いのある周りの人の信念をよく見て欲しいと思います。おそらく9割以上がなんらかの非合理な信念を持っていることに気付くと思います。 あなたは賢いのですか? さて、あなたは自分の周りに見つけた9割*1の人を、当に自分より知的に劣る人間だと考えますか?あなたは当に上位1割*2の人間なのですか? もしかしたら、当にそう考えているかもしれませんね。 「人々の大半は、自分が平均以上に知能が高く平均以上に公平であり平均以下の偏見しか持たないと思っている。」という話もありますし、ある調査によれば

    あなたの周りにいる人はバカばかりですか? - 僕と懐疑の関係
    cham_a
    cham_a 2008/05/26
    マイナスイオンに引っかかってしまった自分は間違いなく「バカ」の一人。おまけにバーちゃんは「霊視」をやってた/ちなみによく当たると評判だったらしいw
  • で、それはどなたのことで? - 僕と懐疑の関係

    十字軍はバカに勝てるか - モジモジ君の日記。みたいな。というエントリを読んだ。文が長いので、まずは自分用にまとめます。尚、id:mojimojiさんの疑似科学の定義がオレオレ定義であることが判明しているので、疑似科学という言葉は用いず「ニセ科学とその周辺に存在する議論の問題」という意味で、ニセ科学を用いることにします*1。 「十字軍はバカに勝てるか」の自分用まとめ ニセ科学を信奉する人をバカとして論じます。 ニセ科学は問題である バカに悪意は無い(悪意がないから問題ないわけではない) バカである バカはまず治らない バカが行動を変えたとしてもバカじゃなくなったわけではない バカは科学を理解できない 批判の内容を理解して考えを変えるのは(バカに見えていても)賢い人だ ニセ科学批判者に対しては以下のような感じ バカがニセ科学を信じるのは(批判者が考えるほど)不思議なことではない 自分の頭を

    で、それはどなたのことで? - 僕と懐疑の関係
  • 疑似科学の定義問題 - 僕と懐疑の関係

    疑似科学って言いたいだけちゃうんかと - Skepticism is beautifulという記事を書いたわけですが、疑似科学って言いたくないだけちゃうんかと - モジモジ君の日記。みたいな。という返信をもらったので、返答はしておくべきかな?と。 id:mojimojiさんはもっと冷静になった方がいいんじゃないかな?なんだか、批判を文句と同等のものに捕らえることで、理解を阻害しているような気がします。余計なお世話でしょうけれども。 結局、lets_skeptic氏は、「疑似科学は科学ではないが科学のような主張」と定義した上で、それを扱うのが「疑似科学問題」と、やはり定義しているだけだ。──僕の方は、一般に疑似科学として大きく取り上げられている問題(たとえば水伝)での思考様式を疑似科学的思考様式として捉えた上で、そうした思考様式が必ずしも疑似科学問題としてメジャーなわけではない領域でも広く見

    疑似科学の定義問題 - 僕と懐疑の関係
    cham_a
    cham_a 2008/05/20
  • なぜニセ科学に言及するか - 僕と懐疑の関係

    id:dlitさんの僕がニセ科学問題に(ちょこちょこ)コミットしているわけβ版 - 思索の海という記事を読んで、私も書いてみようと思った。 今そこにある問題 今の世の中には非合理が蔓延していると思います。そしてその状況を良いとは考えていません。なにか、そういった問題の改善に役立つことができればという気持ちはあります。 もちろん昔がもっとまともだったかと言えば、そうではないかもしれません*1。しかし、今そこに非合理の問題があることは確実だと考えています。 ニセ科学の問題は非合理蔓延の一側面だと考えています。 なぜニセ科学問題を扱う? ニセ科学の問題は、政治問題や歴史問題と比較すると結論がはっきりしている問題です。だからこそ、扱いやすい面があります。 また、私は、超常現象関連の話題に強い興味を持っているため、かなり近い位置にいるニセ科学の問題は、他の問題に比べると得意だという理由があります。

    なぜニセ科学に言及するか - 僕と懐疑の関係
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