アメリカによる水爆実験で、静岡県の焼津漁港に所属していたマグロ漁船の「第五福竜丸」が、被ばくした日から59年の1日、核兵器の廃絶を訴える集会が、焼津市で開かれました。 「第五福竜丸」は、昭和29年3月1日、太平洋のマーシャル諸島のビキニ環礁で行われたアメリカの水爆実験で乗組員23人が被ばくし、無線長だった久保山愛吉さんが、半年後に亡くなりました。 被ばくから59年の1日、核兵器の廃絶を訴える集会が焼津市で開かれ、元乗組員の大石又七さんが、およそ1700人の参加者を前に、「福島の原発事故以降、内部被ばくの問題が注目されるようになったが、私たちが被ばくしたときから、その危険性は分かっていた。第五福竜丸のような被害を繰り返してはならない」と訴えました。 またマーシャル諸島のケネス・ケディ上院議員が、「核実験によって降り積もったいわゆる「死の灰」は、2センチにもなり、何度も移住を余儀なくされた」と