晩ご飯のあと、ごろんと寝ころんだら書棚にあった『貧困を救うのは、社会保障政策か、ベーシック・インカムか』(山森亮・橘木俊詔、人文書院、2009)という本の背表紙が眼に入った。 そのまま手を伸ばして読み始める。 書架というのはこういうときに便利である。 読み始めたらおもしろくて、最後まで読んでしまった。 橘木さんは67歳の経済学者、山森先生は40歳の社会政策学者。学問的なアプローチも、ものの考え方もずいぶん違うけれど、きちんとした対話になっている。 相手と意見が違うときも、ふたりとも遠慮なく「私はそうは思いません」と言うけれど、それはたいていの場合、相手の発語を塞ぐというより、「それ、私にもあなたにも、どちらにもわからないことでしょう」という表示である。 過去の事例だけれど、まだ成否の検証が済んでいない政策と、未来予測に属する政策については、「私はあなたと評価を異にする」ということを表明して
■自己の責任ではどうしようもない事に対する自己責任 これは問題の捉え方そのものが間違っている。 家庭の経済的事情という自分の責任ではどうしようもないことに対して、適切に行動しなかった事に対する自己責任が問われるのです。 「適切に行動しなかった事に対する自己責任」など誰も「問」うていない。「公立高校では学費を免除してもらっ」たことにしても「公立大学に育英会の奨学金で行」ったことにしても、「母子家庭で経済的に余裕がなかった」という事情に即して実に「適切に行動」しているではないかw 「さらなる配慮を求める声をあげ」ると、「貧乏なら夜間の高校や大学に行け」だの「『高校や大学は別に義務教育でない』という、反応が返ってくる」理由は実に単純で、「社会や他人のせいにする」から、相手は自分が「悪い」と言われたような気分になって反発するのだ。要するに双方とも、お互いに「おまえのせいだろ」という同じ台詞をぶつけ
2 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[]:2010/02/13(土) 13:28:25.65 ID:TCdVE4s+0 4 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[]:2010/02/13(土) 13:32:37.14 ID:TCdVE4s+0 6 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[]:2010/02/13(土) 13:37:43.62 ID:TCdVE4s+0 11 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage]:2010/02/13(土) 13:44:15.52 ID:JG4TaLixO >>6 充ちゃんをいじめないでwww 7 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[]:2010/02/13(土) 13:39:00.14 ID:iNE5T26W0 ,.,.,.,.,.,.,.,.,__
このエントリーは反論や批判ではないです。興味を持ったのは、ほぼ同じ(っていうかまったく同じ?)ことを仰るMBA持ちの金融屋さんやコンサルさんが周辺に複数いるので…。 何か大きなことを成し遂げるときに、最初にやること http://blog.goo.ne.jp/mit_sloan/e/a1d0d692eb3f8b2759829b6f04a14232 [引用]でも、ゴールにたどり着いた自分から見れば、道は自分が通ってきた一本だけだ。 ゴールにいる自分をよく想像する。 そこから今の自分を振り返ると、一本の通るべき道が見える。 その道をよく見ると、今の自分には大きく欠けている部分(Missing part)がいくつか見えるだろう。 そのMissing Partsこそが、最初に取り組むべきことだ。 「目標を決めましょう」「それを達成したときのイメージを作りましょう」というのは、良く言われます。でも、
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