「靖国は日本の正統な慰霊施設だ」という人がいるが、言うまでもなく、神道という一つの宗教の施設である靖国神社が、政教分離を採る現在の日本国家の"正統な慰霊施設"になることなどできない。
75回目の「終戦の日」。靖国神社を参拝した作家の石原慎太郎氏=15日午後、東京都千代田区(川口良介撮影) 元東京都知事の石原慎太郎氏が15日、東京・九段北の靖国神社を参拝した。参拝後、拍手で迎えた参拝者らに向けて「首相は当たり前だけど、天皇陛下に参拝していただきたい。なぜ参拝してもらえないのか」と訴えた。 石原氏は、靖国神社に近い日本武道館で全国戦没者追悼式が営まれていることに触れ「一足伸ばして、天皇陛下と首相はなぜ参拝しないのか。何で遠慮してるんだ」と主張すると、参拝者らから「その通りだ」などの声があがった。
今回、ご紹介する本は、グレース・ハルセル著 越智道雄訳 核戦争を待望する人々 −聖書根本主義派潜入記 朝日選書 386(下記リンク参照)をご紹介したい。 この本は、もともと、穏健的福音派の家庭で育った元新聞記者でリンドン・ジョンソン大統領のスピーチライターの一人でもあった著者がアメリカ合衆国内の原理主義的なキリスト教集団のイスラエル聖地旅行とその問題をジャーナリスティックに調査取材した取材記です。 この本がおもしろいのは、以前流行ったキリスト教のテレビ伝道師がやっているイスラエル聖地旅行に言ってみたこと、そこで見たこと、そこで感じたこと、アメリカ国内のユダヤ人とイスラエルという国家への視点、1980年代という時代を背景にした、当時の福音派と呼ばれる人々のかなりの部分の時代理解、福音派の信者と国家としてのイスラエルとの関係、アメリカ国内のイスラエルロビーと福音主義者との関係がかなり克明に描か
モスクワもいよいよ、街中がツリーだらけである。 ロシアではクリスマス、正月、ツリーの関係は少々ややこしい。かつてはヨーロッパと同様にクリスマスを祝い、帝政末期にはクリスマスツリーも浸透しつつあった。1917年の革命後は次第にクリスマスを祝うのは憚れるようになり、やがてツリーも負の遺産とされて一旦は姿を消す。しかし1935年の末に急遽、新年を祝う飾りとしてツリーを復活させる事が決定。36年の新年から、役割を新たにして再登場となった。 以後、「新年ツリー」(Новогодняя ёлка)として完全に定着して、現在に至る。 話は少々逸れるが、クレムリンの象徴の1つは、尖塔の頂点を飾る赤い星であろう。もともと、帝政時代のクレムリンの尖塔の頂を飾っていたのは、ロシア帝国の国章である「双頭の鷲」だった。これらクレムリンの「双頭の鷲」が撤去されたのは意外と遅く、1935年の10月である。代わりに4つの
北九州市小倉北区の山中に、巨大な十字架がそびえ、平和な海を見守っている。高さ約20メートルある十字架は「小倉メモリアルクロス」と呼ばれる。朝鮮戦争の戦没者を慰霊するため、1951年に米軍が建設したものだが、実は太平洋戦争で被害を受けたフィリピンと日本との「和解」に一役買ったという。この知られざる歴史を調べたのは、元北九州YMCA(キリスト教青年会)総主事の安東邦昭さん(75)=同市小倉南区。「後世に記憶を伝えたい」と、調査結果の執筆に取り組んでいる。 安東さんは北九州YMCAに約30年勤務。北九州のYMCAの歴史を調べる中で、メモリアルクロスの秘史を知った。 朝鮮戦争で北九州は、駐留や補給の拠点だった。そして戦死した米兵の遺体が、戦場から戻る地でもあった。安東さんによると、多くのYMCAの学生たちが遺体処理に従事。心を痛めた学生たちは、朝鮮半島の方角を向いた碑の建設を米軍に呼び掛けたという
筆者は講談社選書メチエから、『日本の戦争と宗教 1899–1945』を上梓した。2010年に同シリーズから出した『近代日本の戦争と宗教』の続編であり、前回が戊辰戦争から日露戦争までを扱ったため、今回は第一次世界大戦から太平洋戦争までを対象としている。 この間、戦争に際して日本の政府や軍は宗教をどのように取り扱い、宗教界―仏教界、キリスト教界、神道界、新宗教界―は、戦争にどう対峙していったのか。この両書をもって近代の戦争と宗教との関わりを素描することにつとめた。 なぜ、戦争と宗教なのか。筆者がこうしたテーマに関心をもったのは、ある資料との出会いにあった。2003年、筆者は「大教院の研究」(のち、慶應義塾大学出版会より刊行)と題する博士論文で博士号を取得した。大教院とは、明治初期、神道を国教化しようとする明治政府の政策に応じて、神道的教説を国民に布教していく教師を育成する機関であった。 こうし
田母神俊雄 @toshio_tamogami 第29代航空幕僚長 田母神俊雄です。私は明るくユーモアがあるいい人です。食事は好き嫌いなし。お酒はビールを少し飲んでそのあとは大吟醸です。ゴルフが大好きで、結構上手ですよ。カラオケも好きです。 tamogami-toshio.jp 田母神俊雄 @toshio_tamogami 靖国会の事務局長を長年務めてくれていた沼山光洋君が今朝4時頃に靖国神社前の道路上で割腹自決を遂げた。彼は日本国民の愛国心が足りなくて天皇陛下の靖国御親拝の環境が整わないことは天皇陛下に申し訳ないといつも言っていた。彼は命を懸けて国民に警鐘を鳴らしてくれた。立派な侍だった。 2019-05-11 17:00:10 田母神俊雄 @toshio_tamogami 沼山光洋君は細かい気配りをする男だった。今回の自決も靖国神社の敷地内ではなく敷地外の道路上であったのは彼が靖国神社に
日本国憲法に定める日本国および日本国民統合の象徴。 〈天皇〉は〈オオキミ〉とも〈スメラミコト〉とも呼ばれた。しかしこの二つの日本語は決して同義ではなく,むしろ両者の質の違い,それぞれの用いられる次元の相違に注目することが,〈天皇〉の歴史性に近づいてゆくための一項目となろう。まずオオキミは〈大いなる君〉の意で,キミはまた〈カミ=上〉と通ずる古来の日常的尊称であった。《万葉集》の恋歌に女性が相手の男性をキミと呼ぶ例が多いのも,それが親愛をあらわす生活の言葉だったことを示す。〈胸形君(むなかたのきみ)〉〈筑紫君(つくしのきみ)〉などと地方豪族の地位の称にみえるキミは日常語からの延長であり,それをさらに大きく称号化したものがオオキミだといえる。したがってオオキミは天皇だけをさす語ではなく,王族身分の称(額田王(ぬかたのおおきみ)など)に用いられ,さらに一般にとくに尊敬をこめた代名詞として使われた形
宗像大社(福岡県宗像市)は、ユネスコ(国連教育科学文化機関)の世界文化遺産への登録が決まった沖ノ島を保護するため、毎年5月に島で開催してきた現地大祭を来年から中止する方針を固めた。原則入島禁止で、年に1度だけ一般の上陸が認められる機会だったが、遺産登録に合わせて運用を厳しくする。 宗像大社によると、大祭は日露戦争の日本海海戦が1905年に沖ノ島近海であり、日本が勝利したのを記念。戦前は本土の宗像大社で式典をしたが、58年からは大社の沖津宮(おきつみや)がある沖ノ島で海戦のあった5月27日に開催し、両国の戦没者を慰霊してきた。 沖ノ島に一般男性の参拝が認められているのはこの日だけで、毎年、全国から公募で選ばれた200~250人が参拝していた。 ユネスコの世界遺産委員会は…
80年前のきょう、1937年2月17日の正午すぎから午後2時すぎまでのあいだに、東京都心の国会議事堂前、宮城(皇居)前広場、警視庁玄関、元外務次官官邸前、内務省の各所で、羽織袴姿の5人の青年が「死のう!」と叫びながら割腹自殺をはかった。彼らは「死のう団」と呼ばれる団体のメンバーで、いずれも未遂に終わる。 死のう団の正式名称は「日蓮会殉教衆青年党」。その母体となる「日蓮会」は1928年に江川桜堂という青年により結成され、既成宗教の退廃を厳しく批判、最盛期には約500人の信者がいたという。 1933年夏には、江川ら死のう団の28名が日本全国を説法してまわる旅「殉教千里行」に出る。「死のう」とは、法華経でいう不惜身命(仏道修行のため身体と命を惜しまないこと)の意を簡潔に伝える彼らの合言葉だった。だが、旅の途中、一行を怪しんだ住民の通報で逮捕される。このとき反体制運動や思想犯を取り締まる特別高
1993年、あまり頭のよくない一人の18歳女子が、北海道から上京した。 彼女が上京した理由は、「ヴィジュアル系バンドのライブにとにかくたくさん行きたい!」という下心のみ。あまりにもバカな理由だが、その18歳女子とは何を隠そう、およそ20年前の私である。 93年と言えば、「イカ天」「ホコ天」という言葉が口に出すのも恥ずかしい言葉になり始めていた頃。しかし、まだギリギリ「バンドブーム」なるものが続いてもいた頃。お金はないけど時間だけは膨大にあった私が上京してまず向かった先は、「バンドブームの聖地」と言われた原宿のホコ天だった。 しかし、「素敵なバンドがたくさんいるかも☆」という私の期待はホコ天に一歩足を踏み入れた瞬間、打ち砕かれた。目の前にいるのは、どこの国なのかわからないものの、ひたすらに濃い顔の人、人、人。しかも、全員が男。そんな異国の男たちが、地平線まで続きかねない勢いでひしめいている。
住友陽文 @akisumitomo 安倍首相の靖国参拝に何の道義もないからといって、百田尚樹氏の常日頃の発言が目に余るからといって、映画『永遠の0』が大ヒットしている事実はそれなりに受けとめねばならない。では、靖国参拝が歓迎されるのはなぜか。元日に見たTV番組を見て思う事があったので連ツイしてみる。 2014-01-03 23:05:16 住友陽文 @akisumitomo 元日のテレビ番組「ニッポンのジレンマ~この国のかたち2014」http://t.co/PVLNlAj26hは興味深かった。年齢20代後半から40代前半の研究者や起業家などが参加。靖国参拝に喝采を浴びせる世相の問題と関連しそうなので、感想を述べる。以下、ツイートは①から⑳まである。 2014-01-03 23:05:55 住友陽文 @akisumitomo ①やはり伊藤春香さんの「半径5メートルくらいの付き合いで自分の関
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