1990年、生長の家副総裁に谷口雅宣が就任し、地球環境問題や生命倫理問題を重視した運動が行われるようになると、飛田給派を中心に従来型の運動を求める声が高まるようになる[要出典]。1998年には生長の家社会事業団(社会事業団)が教団とは独自路線を採用するようになり、2002年には「反教団」を明確に掲げる「ときみつる会」が結成されて「本流運動」の流れが始まった[要出典]。 教団と飛田給派との対立は、教団系の教育団体である新教育者連盟(新教連)において激しい対立を生んだ[要出典]。日本教職員組合と激しく対立していた新教連には歴史的に保守・右派色が強く、教団の路線変更を「左傾化」として非難する意見[誰?]もあった一方で、従来通りの教団との関係を重視すべきだとの意見[誰?]も根強かった。しかし、2002年に新教連理事会において教団による支配を弱める内容での規約改正が強行された。これを受けて教団と新教