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社会とことばに関するcloserのブックマーク (2)

  • 絶叫機械+絶望中止 - 議論とは勝ち負けの問題か否か。

    議論とは勝ち負けの問題ではないと口をすっぱくして言っている側の人間として、この問いに返す言葉があるとすれば、勝ち負けなどというものは誰でも求めることのできる一番簡単な解決法であって、その問題に対する解決や解決の糸口とは何の関係もない、となるだろう。 もう少し詳しく書くなら、こうだ。 論理的な間違いを指摘すると、論理的にチャレンジブルなひとは、話を「勝ち負け」に持っていって「おれは勝った、だからおれは正しい」という同義反復を始めるので、まずは「勝ち負け」という価値判断の基準をなくしましょう。 そもそも議論は何のために行われるか。何らかの事象に対する答え、もしくは考えるための材料が必要だからだ。考える材料がなければ考えることはできない。その材料と自らが既に得ていた材料に齟齬があれば、比べて確かめればよい。出てきた答えや材料が自らの望むものであれ望まぬものであれ、発した人間と異論を唱えた人間の勝

    絶叫機械+絶望中止 - 議論とは勝ち負けの問題か否か。
    closer
    closer 2005/12/27
    論理的にチャレンジブルなひと
  • http://www2.odn.ne.jp/~cac05270/imprisonment.htm

    ◆ 謎に満ちた 「懲役13年」 右の「懲役13年」という文章は、A少年の作品であるとされています。しかし、当にそうなのでしょうか? (1) 作文は、自己の内なる深淵に住み込んだ虚無を魔物に見たて、この魔物に自分がどのように操られているか、しかもこの自分が周りの人々に対してはどのように振る舞っているかを、実に深く省察し、見事な文学的表現をもって表しています。自己の内面世界をここまで鮮列に対象化できる人物が、「分裂病あるいはその前段階」などではありえないことは、あきらかです。ニイチェの『善悪の彼岸』やダンテの『神曲』の中の言葉を巧みにちりばめつつ、人間実存の深みを哲学し能動的ニヒリズムの構造をかくも見事に表現したこの歴史的名文が、はたして14歳の少年に書けるでしょうか? (2) この「懲役13年」は、いわゆる「犯行メモ」に出てくる「バモイドオキ神様へ」という手紙形式の文章〔下〕とは―た

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